第3話 総理、ダンジョンに潜る



「ナノデバイスモニター……起動」


 ダンジョンの入口に立った迅一郎は、小さくつぶやく。

 それと合わせて、視界の端に、青みがかったホログラムのスクリーンが次々と浮かび上がった。


 短いロードタイムが挟まったあと、スクリーンには、迅一郎が立つ現在地を描写したデジタルマップや、ダンジョンの情報など様々なデータが表示されていく。


 ナノデバイスモニターは、ダンジョンで発見された新技術を応用して作成されたウェアラブルデバイスだ。

 専用のコンタクトレンズを着用するだけで、視界に様々な映像を直接表示することができる。

 ダンジョンで探索をするにあたり、欠かすことのできない必需品。


 やがて、そのウインドウの一つに、ヘッドセットマイクをつけた女性の顔が表示された。

 涼しげな目元に知的な光を宿し、白雪のような銀髪を後ろでまとめた女性である。

 画素数がやや荒いモニター越しに映っていても、その気品すら感じさせる美貌は隠しきれない。


「やあ、白瀬くん」


 迅一郎が声をかけると、モニター越しの彼女は軽く頭を下げて会釈した。


 白瀬結月しらせ ゆづき——


 として常に迅一郎の傍らにある女性。

 若干二十四歳ながら、九カ国語を自在に操り、冷徹とも称される事務処理能力と、その美貌で霞ヶ関の誰もが一目置く才媛だ。


『総理、ナノデバイスモニターの調子はいかがですか? 視界に乱れや不具合はありませんか』

「問題ない。オールグリーンだ」

『画面についての説明は必要でしょうか?』

「いや、粗方は理解できる……が、一つだけ。右端にある赤い円の表示は、これはなんだ?」

『それは内閣支持率です』

「内閣支持率?」

『厳密にいえば、赤円ではありません。わずかながら緑の表示も含まれています』

「確かに……細いな……」

『それは、現在の総理の支持率である4.6パーセントを、円グラフとして表示しています」


 結月の説明に、迅一郎はわずかに苦笑する。


「つまり赤色は私に対する不支持率を表していると……」

『配信中、総理の一挙手一投足が国民の目に晒されます。場合によっては支持率の上昇につながったり、反対に下落することも有り得る。重要な情報だと判断し、用意しました』

「ああ、そのとおりだ。どれだけ目を反らしたくなる現実であろうと、一介の政治家として国民の政治不信から逃げるわけにはいかない」

「…………」


 短い沈黙が流れる。

 迅一郎は、彼女が言葉を慎重に選んでいる気配を感じ取った。


「白瀬くん、何か?」

「この配信を経て、総理の真の実力が知れ渡れば、国民の評価は必ず変わります。わたしはそう……信じていますから」

「ああ、ありがとう」


 迅一郎は静かに笑う。


「君の信頼に報いるためにも、全力を尽くすことにしよう」


 迅一郎の言葉を受けて、モニター越しの彼女の表情がふわりと柔らかく緩んだ。

 

 だが、それは一瞬。

 口元から微笑は消え、冷徹な官僚の顔へと戻る。


『——では次にドローンのカメラテストを行います。少し歩いてみてください』


 結月の指示通りに足を進めると、迅一郎の頭上に浮かぶ小型ドローンが、少し遅れて追従した。

 迅一郎はしげしげとその様を眺める。


「これが最新のダンジョンドローン……凄い技術進歩だ。僕が現役だった頃は、セルフィーカメラ片手に探索していたものだが」

『技術の発展は日進月歩ですから。あの頃とは何もかもが違います』


 ダンジョンドローン。

 ダンジョン内部をリアルタイムで撮影するために開発された、自走式の小型ドローンだ。


 そもそも、ダンジョン探索において、ドローン技術が発展したのには理由がある。

 この世界にダンジョンが誕生してから、それを管理するために定められた国際基準——〝ジュネーブ協約〟。


 その条文のひとつに、が盛り込まれていた。

 希少資源の独占や人権侵害を防ぐために、〝探索者は探索の様子を必ず記録・公開しなければならない〟と定められたのだ。


 ダンジョン内の探索活動の記録化が求められた結果、生まれたのがダンジョンドローンであり、年月を経て、その在り方も形を変えていった。


 記録アーカイブから、娯楽エンターテイメントへ。


 やがて配信プラットフォームと結びつき、いまやダンジョン探索は、リアルタイムで視聴者が楽しむ配信コンテンツ——いわゆる〝ダンジョン配信〟として定着したのである。

 

『総理の準備が整い次第、撮影を開始します』

「こちらの準備は完了だ。いつでも構わないよ」

『わかりました……総理、ご武運を……』


 その言葉を合図に、ドローンのカメラが点灯する。

 それは生中継が始まった合図だった。

 視界に表示されたコメント欄に、堰を切ったかのようにコメントが流れ出す。


:始まったww

:総理wなにやってんすかwwwww

:ほんとにダンジョンに入るのかよ!


 コメント欄は一瞬にして祭りと化す。

 迅一郎はそんな視線を意にも介さず、淡々と口を開いた。


「国民の皆さん、こんにちは。内閣総理大臣の和泉迅一郎です。先の就任記者会見で説明したとおり、これから私はダンジョンに潜ります」


:ほんとに言っちゃったよwwww

:総理大臣がダンジョン配信って

:この絵面だけで面白い

:これ税金でやってんの?

:↑まあまあ、力抜こうよw

:しかし相変わらずやっぱり顔はいいな


 軽口と皮肉が飛び交うコメントを一瞥してから、迅一郎は視線を正面へと向ける。

 その視線を追うように、ドローンがゆっくりと方向を変えた。


 その先、真っ黒い穴が空いていた。


 まるでブラックホールの再現映像のように、穴の周囲の景色がぐにゃりと歪み、滲んで見える。

 空間そのものが侵食されているかのような異様な光景は、迅一郎にとって見慣れたものだった。

 それこそが、ダンジョンへと続く入口。

 都市の真ん中にぽっかりと口を開けた、異界への裂け目だった。


「今、私が立っている場所は〝第46号特地〟の入口です」


:とくち?

:ダンジョンの正式名称のこと。〜号特地という感じで、番号で管理されてる

:総理ー、分かりにくいから、通称でいったほうがいいと思うよー


 視聴者からの指摘に、迅一郎は素直に従うことにする。


「失礼しました。46号特地……いわゆる新宿ダンジョンです。迷宮深度は、マグニチュード7.8。日本国内で最高難度に分類されるダンジョンの一つです」


:ダンジョン発生時は、大災害だったもんなー

:死者・行方不明者2万人だっけ?

:ほんと、このレベルのダンジョンが、ポンポン発生するんだから、日本に住むってあらためて考えると無理ゲーよな


「一方で、無人機による試掘調査の結果、このダンジョンの下層には、希少資源の一つである〝オリハル鉱〟が眠っていることが判明しています。従って、今回の探索で私はオリハル鉱の採掘ルートを切り拓きます——」


:無茶苦茶ww新宿ダンジョンって、中層までしか探索が進んでないんだぞ

:その間で何人の探索者が死んでるか知らないの?

:内閣総辞職RTAですね わかります


 迅一郎はもうコメントには取り合わず、一歩足を踏み出した。


「これより、ダンジョン探索を開始します——」


 迅一郎は、そのまま、真っ黒な穴の中へ飛び込んでいった。




《TIPS》首相秘書官

正式名称、内閣総理大臣秘書官。

国家公務員の役職で、総理大臣に常に付き従い、機密に関する事務や関係各部局との調整を補佐する者である。内閣法上は「内閣総理大臣に附属する秘書官」とされ、総理の命を受けて臨時の業務も担い、総理と官僚組織を結ぶ重要な役割を果たす。


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