第4話 総理、無双する


 暗闇。のち、視界が反転。

 足裏に固い地面の感触が戻った。


 そこは冷気の澱む薄暗い空間だった。

 ごつごつとした岩肌は湿り気を帯び、天井の割れ目から落ちる水滴が、一定間隔で床を叩いている。

 ナノデバイスモニターが自動で照度を調整し、迅一郎の視界を確保する。

 彼の視界の先、細長い洞窟のような通路が、どこまでも続いていた。


 耳元に、結月の声が届く。


『第46号特地……転移正常終了です。環境データ、送りました。酸素濃度、瘴気濃度、共に正常域です』

「了解、マッピングを頼む」

『すでにデータ転送済です。ご確認を』

「流石だ、白瀬くん」


 短く返事を返してから、迅一郎は一拍の逡巡もなく、闇の先へ歩を進めた。

 足取りは淡々として、あたかも通勤路を歩くそれに近い。

 ドローンが肩越しに、つかず離れずの距離で彼を追う。


:え、普通に歩いていくの怖すぎ

:ふつーさー、まずマッピングとか、周辺のモンスターの確認とかさあw

:散歩感覚でダンジョンを歩くな

:総理、怖くないの?

:この人、実は超大物なのでは?

:いや、ただのバカだろ


「現場では私一人ですが、ナビゲートも含め、優秀な部下に常にバックアップしてもらっていますので、ご安心ください」


:あー後方支援がいるのね

:そりゃそうか

:きっと何百人も、この無駄な配信に無理やり付き合わせられてんだぜ

:無能な政治家のアホな思いつきに振り回される周りも大変ねw


 コメント欄は相変わらず好き放題だ。

 迅一郎の発言の一つ一つの言葉尻を捉え、揚げ足をとっていく。

 そのことについて、迅一郎はどこ吹く風だ。

 一方で、モニター越しの結月は眉をひそめた。


『総理……今のは不要な発言かと。総理の実力を演出するのなら、あくまで総理の個としての力を全面に押し出すべきでした』

「む……そういうものか?」

『良くも悪くも、国民はわかりやすさを求めています。総理は正直すぎるのです』


 結月はそう言ってから、誰にも聞こえないくらいの小さな声で「でもそれが良いところなんですけど」と付け加えた。


 迅一郎は、結月のナビゲートに従って、目的地に向かって歩を進めていく。


『総理、前方の分岐ですが、左に進むとトラップ。右に進むと瘴気ポケットに突き当たります。直進してください』

「了解した」


:てかなんで最初から新宿ダンジョンなん?

:難易度バグってるだろ

:もっと優しい所から始めてさぁ……


 未だ淡々と続くダンジョン探索を受け、視聴者からのコメントが流れる。

 話題はなぜ新宿ダンジョンを探索地に決めたのかというテーマだった。


 もちろん、この探索を実行に移すにあたっては、結月を始めとして、関係者との綿密な打ち合わせを繰り返してきた。


 迅一郎の実力。

 先に眠る希少資源マテリアルの種類。

 想定モンスターのランク。


 多くのデータと検証を経て、意思決定されたのが、今回の新宿ダンジョン探索だ。


 迅一郎は悩む。

 その意思決定プロセスを丁寧に説明してもいいが、説明を尽くせば尽くすほど、分かりやすさからはかけ離れていくことを、彼は政治家として痛感していた。

 先程、結月から「国民はわかりやすさを求めている」とアドバイスを受けたばかりである。


(ここは素直に白瀬くんのアドバイスに従うことにしよう)


 迅一郎は流れるコメントに向かい、咳払いを一つしてから口を開いた。


「おぼろげながら浮かんできたんです。46という数字が——」


:は?

:意味不明で草

:でました迅一郎構文www

:美しさすらある


 その意味不明な発言に、当然ながらコメントはツッコミ一色になる。

 流石に慌てて、自身の発言の釈明をする。


「いえ、言葉が足りませんでした。新宿ダンジョンはつまり、第46号特地ですよね? ですから46という数字が、シルエットとして、くっきり浮かび上がっていたと、そういうことです」


:だから意味不明で草

:どういうことだよw

:神託かな?

:迅一郎=卑弥呼説


 釈明すればするほど、ますますコメント欄は困惑と笑いに染まっていく。


「と、とにかく、綿密な準備のもと、私はこうして新宿ダンジョンに足を踏み入れています。どうかご安心ください」


 苦し紛れの言葉を残し、話題を無理やり打ち切ると、探索に意識を切り替えた。


 やがて、延々と続いていた細い通路が途切れ、視界がぱっと開ける。

 その先には、天井の高さが暗闇に溶けるほどの巨大な空洞が広がっていた。


 ダンジョンは細い通路と開けた空洞が複雑に組み合わさって構成されていることが多い。

 その空洞は俗に玄室と呼ばれ、侵入者を拒むかのように仕掛けや脅威が待ち構えているのが常だった。


『総理、モンスター反応です』


 そんな迅一郎の予感を裏付けるかのように、結月の声が耳に届いた。

 普段と変わらぬ冷静さを装ってはいたが、その声音にはわずかに緊迫の色が滲んでいる。


『前方二十メートル……反応三。注意してください。大型です』

「了解」


 迅一郎が短く返事を返した次の瞬間、暗闇の奥から、三つの影が姿を現した。


 赤茶けた皮膚に覆われ、三メートルを優に超える筋骨隆々の巨体。

 頭部からは二本の角が突き出し、顔には蜘蛛を思わせる八つの複眼がぎらついている。

 その手には棘付きの棍棒が握られていた。振り下ろされれば、人間など一撃で肉片に変わるだろう。


 その異形の名は——オーガ。


:オーガ!?

:マジかよ! 上層だぞここ!?

:さすが新宿ダンジョンwえげつねえな

:無理無理無理!

:いやマジで逃げろって! ホントに死ぬぞ!

:死んだらどうすんの国

:内閣総辞職やで

:就任初日なのにwww


 コメント欄が浮足立って騒ぐ中、迅一郎は辺りに漂う獣臭にわずかに眉をひそめただけだった。


『総理、現在は上層二階。Aランクモンスターであるオーガ種との会敵エンカウントは想定外です。通常であれば撤退を判断するところですが……』

「却下だ。国民の期待を背負っている今、退くわけにはいかない」

『総理ならそう仰ると思っていました。戦闘準備に入ります——』

「頼む、白瀬くん」


 迅一郎はおもむろに左手を上げる。

 その掌に、淡い光点が三つ、四つと結ばれ、細い糸で編まれるように形を成していく。

 光の格子が刃長を決め、鍔が描かれ、鞘が最後に現れる。


「――千子村正〈顕現〉」


 顕現したのは迅一郎が長年使い続けてきた愛刀だった。

 鞘に収まった刀を手のひらで確かめるように握りしめ、そのまま自然な動きで腰に落とす。

 そして流れるように抜刀し、正眼の構えを取って三体のオーガへと向き直った。


:マジで戦うの!?

:逃げたほうがいいって!


「私は内閣総理大臣です。これはよく知られていないことですが、総理大臣ということはこの国の首相ということです。だからこそ、困難を前にして退くわけにはいかない。つまり前に進む。そういうことなんです——」


:すいません、みんな知ってます!

:緊迫の場面で、流れるような迅一郎構文やめてくれる!?

:なにその無茶苦茶な理屈

:その姿勢は立派だけれども!

:総理、ホントに死んじゃうよ!?

:支持率が低いからって何も自殺しなくても


『グゴアアアアアアアアアッ!!」


 オーガの咆哮が空洞を震わせる。

 ドローンのマイクが過負荷でノイズを走らせた。

 

 だが迅一郎は動じない。

 静かに呼吸を整え、相手をまっすぐに見据えた。


「これより、敵対的な特地内原生生命体に対し、防衛行動を実施する——」


 迅一郎がそういった直後。

 三体のオーガのうち一体が突っ込んできた。

 巨体に見合わぬスピード。

 地響きのような足音が響く。


:いやああああああ

:はい死んだー

:【速報】内閣総辞職のお知らせ


 配信を見ていた誰もが、次の瞬間に迅一郎が叩き潰されると覚悟した。

 その予感を現実にせんと、オーガは棍棒を振り上げ——、一直線に振り下ろそうとした、その刹那。


 閃光。


 すれ違う迅一郎とオーガ。

 その瞬間、空間を満たしたのは、ただの静寂。

 オーガの巨体が硬直し、振り下ろしかけた棍棒が宙に止まった。


「まず、一つ——」


 迅一郎が低く告げた言葉と同時に、オーガの胴に一筋の赤い線が浮かび上がっていく。

 次いでその巨体がゆっくりと左右にずれていき、上半身がずしんという地鳴りと共に崩れ落ちた。

 遅れて吹き出す血飛沫が、床を赤く染め上げる。


:は?

:今なにが起きた??

:倒したのか?オーガを?

:え、一撃!?


 コメントが騒然とする中、迅一郎は静かに刀を払って血を散らし、構えを解かぬまま残りの二体へ視線を向けた。


 仲間を失った残り二体のオーガはわずかに怯んだかのうように後ずさる。

 だが、闘争の本能が恐怖をかき消した。

 咆哮とともに、二体は同時に飛びかかってきた。


 迅一郎は一切慌てず、静かに一歩を踏み出す。その所作は舞のように滑らかで、迫りくる巨体に対してわずかな隙すら見せない。


「二つ、三つ——」


 迅一郎は迫りくる二体の棍棒を、最小限の動きでいなしながら一歩踏み込んだ。

 次の瞬間、刀閃が二条の弧を描き、巨体が同時に斜めに裂ける。

 鮮血が宙を舞い、二体のオーガは断末魔を上げる間もなく地に崩れ落ちた。


:なにが起きたんだよwwww

:あっという間に真っ二つになったんですけど!?

:……総理、なにしてんすか!?

:マジで倒した……?


 静まり返った玄室に、迅一郎は刀を納める音だけを響かせた。


『……お美事です』


 結月の落ち着いた称賛がモニター越しに届く。


『総理、朗報です。先の戦闘の活躍により、内閣支持率に変化が生じました。支持率

4.9パーセント。幸先の良いスタートです』

「まだまだ、こんなものじゃないさ。もっと、国民の皆様の意見を真に受け止め、その期待に答えなければ……」


 迅一郎は小さく口角を上げた。


「防衛行動、終了——探索を継続します」


:かっけええええええええ

:総理www一生ついていきますwwww

:いや強すぎるだろwww

:完全にチート主人公じゃん

:お前ら手のひら返しがはやいってwwwww


 あふれる称賛コメントを背に、迅一郎は玄室の奥の通路へと歩みだした。






《TIPS》防衛行動

外部からの武力攻撃や侵略に対して国家や国民を守るために行う行動を指す。日本では憲法の制約のもと、「自衛のための必要最小限度の実力行使」に限って認められており、個別的自衛権や集団的自衛権の行使もこの範囲内で行われる。



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