第4話 初めての夜の詩は夫婦のはじまり

 バルドとブレイブが夫婦ふうふとなって、はじめて一緒いっしょごす夜。

 バルドは一人、ベッドの上で正座せいざをしていた。

 風呂ふろに入っているブレイブは今この場にいないが、うつむくバルドの心臓しんぞうおどろくほど強く早鐘はやがねを打っていた。

 それもそのはずだろう。

 時刻じこくは夜、場所はブレイブの部屋、自身とこの部屋のあるじ以外いないしたずねてくることもない。

 会ってもないとはいえ二人は正式せいしきな夫婦。

 そうなれば夫婦が夜、二人きりの部屋ですることといえば……ブレイブの頭にかぶたった一つの解答かいとう


――子作こづくり……!?


 バルドはエルフの森でずっと暮らしていた。

 もちろんエルフだって夫婦のいとなみはある。

 しかしエルフ族の中ではまだ若いバルドは森のみんなから子供扱こどもあつかいをされていたため、そちらがわ知識ちしきはほぼ皆無かいむ

 過去かこ一度いちどだけ森でちょっとした事件があり、エルフたちがまるで淫魔いんまのように18きん展開てんかい地獄絵図じごくえずになったことがあった。

 しかしその時もバルドは、族長ぞくおさの手によって奥に隠されていて、その事件に巻きこれることもなければ、詳細しょうさいを知らされることもなかった。

 それゆえにバルドはそちらの方面ほうめんの知識は、思春期ししゅんきより前の人間の子供にもおとる。

 そして自身が幼い子供程度の知識しかわせていないことはバルド本人も重々承知じゅうじゅうしょうち事実じじつ

 しかし夫婦になるのだから多少たしょうなりとも知っておかなければと、バルドはギルドでブレイブを待っている間に、受付嬢うけつけじょうから一冊いっさつの本を借りてきた。

 その本を読んでから、バルドはずっとこの調子なのだ。

 サイドテーブルに置かれたその本の表紙に書かれた題名だいめいを、バルドは横目よこめにらみつけた。


――保健入門書ほけんにゅうもんしょ成人せいじんした男女のせい知識ちしきかかわりかた


 その本に書かれていた内容ないよう自体じたいは、学生がくせい授業じゅぎょうおそわる程度ていど基本的きほんてきな知識ばかりだったのだが、その手の知識が皆無のバルドには全てが未知みち領域りょういきだった。

 そのせいか彼の頭の中には、刺激しげきの強いページの部分ぶぶんだけが残ってしまった。

 今のバルドの心境しんきょう文字もじこすとこうなる。


――本を読んではみたはいいけれど、結果よくわからなかった。よくわからなかったけれど、なにやらとんでもなくスゴイことになるらしい。


 そんな漠然ばくぜんとしたイメージだった。

 そんなこんなで彼がやきもきとしている間に部屋の扉が、ガチャリと音を立てて開けられた。

 ブレイブが風呂から戻ってきたのだ。

 水をしたたらせている彼は、どこかあやしく、そしてつやめいた色気いろけ存分ぞんぶんただよわせている。

 本人はただ風呂から戻ってきただけで、そんな色気を漂わせているつもりは、全くといっていいほどないのだが。


「お風呂も入りましたしそろそろ……」


 何気なにげなくつむがれるブレイブの言葉に、とうとう来たかとバルドの心臓とともに彼の肩は自身でも驚くほど大きく跳ね上がった。

 そんな彼の様子は見ていなかったブレイブだったが、ふと顔を上げてバルドを見た瞬間、そろそろ……のあとに続くはずだった、ましょうか、という言葉を思わずんだ。

 そして少し戸惑とまどいのいろにじませながらもバルドを気遣きづかう言葉が彼の口からこぼれる。


「えっと……大丈夫ですか?」


「だ……大丈夫とは……?」


 いかけに問いかけで返されたブレイブは、やはり多少の戸惑いを含みながらもゆっくりと答える。


体調たいちょうでもすぐれないのでしょうか?私が風呂をいただく前とまったく同じようにベッドの上で正座をしたままでいますし、今思えば私が風呂にいる間、時折ときおりですけど苦しげにうなっていたようですし……ほら、汗もかいてますよ」


 風呂上がりの温かいブレイブの手がバルドのひたいに滲む汗をすくうようにでながらぬぐう。

 そんなブレイブの気遣いからくる行動にも、意識してしまっているバルドは何もかもに敏感びんかん反応はんのうしてしまう。

 夫の何気なにげない言葉や表情、行動の全てに勝手にまれている気がしてしまっているバルドは、思わず彼から距離きょりを取ろうとしてしまう。


「いえ!体調はすこぶる快調かいちょうなんで全然!!ブレイブさんが心配するようなことは何も……」


 そう言いながら体をよじり自身から逃げようとするバルドに違和感いわかんを感じたブレイブは、一気いっき間合まあいをめて妻の眼前がんぜんまり、彼のひとみからるようにみつめる。


「ブレイブ……ですよ。そう呼んでくださいと言ったじゃないですか」


 熱のこもった強い眼差まなざしを向けられたあと、たっぷりのあまさをふくんだ瞳でこまったように微笑ほほえむ夫のとうとさと美しさに、バルドの心と体は限界げんかいむかえた。

 バルドはベッドにゆだねるように、正座をしたままうしろにたおむ。


「バルドっ……!!」


 ハッとした表情のブレイブがあわててばす。

 ブレイブがバルドをたおすようにひとつのベッドの上で二人の体がかさなる。

 咄嗟とっさべられたブレイブの手がバルドの後頭部こうとうぶつつんだおかげで、バルドはベッドのかどに頭を打ちつけずにすんだ。

 しかし今のこの状況にバルドは戸惑ってしまった。

 体は硬直こうちょくしたように動かないくせに、心臓ばかりうるさく主張しちょうしてくる自身の身体からだうらめしくさえ思ってしまう。

 ギシリと音を立てて、二人の体重をあずけられたベッドがきしむ。


「あ、あの……ブレイ……ブレイブ……」


 緊張きんちょうかわいたのどは思ったようにバルドに言葉を紡がせてくれない。

 そんな様子の彼の瞳を今一度、絡め取るようにみつめてから、真剣しんけんにけれど優しい声音でブレイブが問いかける。


「痛いところは?どこかにぶつけていませんか?」


「えっと、大丈夫」


「そう……よかった」


 ブレイブは安堵あんどいきらしながらバルドの頭をまくらに委ねるようにゆっくりと手を離す。


「それにしても、一体いったいどうしたんですか?急に後ろに倒れ込んだからおどろきましたよ。理由りゆうを聞かせてください。もし、具合ぐあいが悪いなら薬を……」


 そう優しく問いかけられて、バルドはおずおずと答える。


「具合っていうか……僕……誰かと夫婦になったの初めてで……」


「私も誰かをめとったのは初めてですよ。あなただけですよ……娶りたいと思ったのも、恋したのも、愛したのも、これからも愛し続けたいのも、そばにいてほしいのも、そばにいてあげたいのも、あなただけ……」


「うん、わかってるよ。でも、僕、ずっとエルフの森にいて、世間知せけんしらずで……そういうことは、てんでうとくって」


「そういうこと……?」


 ブレイブの短い問いかけにうなずいたバルドはを捩って手を伸ばし、サイドテーブルの本を取る。

 そして自身の顔を隠すように両手で持って、ブレイブにその表紙を見せる。


「……最初の夜が大事だいじって聞いたことがあって……だから本を借りて読んでみたんだけど……でもちょっと読んでも……なんか、すごく、よくわからなくって」


 その本の表紙に書かれた本の題名を見て、ブレイブは少し驚いてから、花がほころぶように破顔はがんした。

 もうわけなさそうにつぶやくバルドの一生懸命いっしょうけんめい姿すがたが、懸命けんめい頑張がんばりが、なによりそれを自分のために学ぼうとしてくれていたことがうれしかった。

 ブレイブはバルドをずっといとおしいと思っていたけれど、さらにあいらしくいとおしく思えた。


「あなたが私と一緒にいたいと思ってくれたこと、夫婦であろうとしてくれていること、そのために頑張ってくれたこと嬉しく思いますよ。けれど私も……私も全てが初めてで……誰かを愛おしいと思ったのも、娶りたいと思ったのも、娶ったのも、このうでいだきたいとおもったのも……あなたが初めて」


 そう言ってブレイブはそれまで両腕りょううでささえていた自身の上体じょうたい片腕かたうでで支えるようにして、強くにぎられたバルドの手から本をゆっくりげる。

 顔はバルドに向けたまま、器用きようにその本をベッドよこのサイドテーブルに戻した。


「私も初めてなんです。だから……一緒に、ゆっくり知っていきましょう。ゆっくり……ゆっくりと私たちの歩幅ほはばで……」


 ブレイブはそう言いながら、本を置いた方の手をバルドのほおわせてやわらかく微笑んだ。

 恥ずかしさからか少し泣きそうになってしまっているバルドの頬をすべるように撫でる。

 そのまま頬を離れたブレイブの手は、今度はバルドの手を取り、かせるようにゆっくりと、その手にかるれるだけの口吻くちづけをした。

 バルドは一瞬だけじらいより驚きがまさって、ブレイブの言葉を肯定こうていするように小さく何度か頷いてから破顔した。

 その表情の変化の理由をブレイブが目だけで問いかけると、恥じらいが戻ってきたバルドが呟くように白状はくじょうした。


「そういえば僕、あなたに初めてバルドって、初めて敬称けいしょうしで呼ばれたかもって思って……呼んでくれて嬉しかったなって思って……」


「慌ててましたから咄嗟に出てしまいました」


「うん。でも……心配かけちゃったし、不謹慎ふきんしんかもしれないけど嬉しいなぁって」


 もちろん夫婦間でも敬称があった方がいい人もいるだろうが、バルドは敬称無しで名前で呼ばれたことが嬉しかった。

 ちかしく、そして対等たいとうな感じがして嬉しかったし、それと同じくらい、自身が彼のものだと感じられて胸の奥が熱くなった。

 この感覚をブレイブにもけてあげたくて、はにかみながらもバルドは彼の名を呼ぶ。


「ブレイブ……ありがとう」


 その時の甘くいとおしく妻をみつめるブレイブの花笑はなえみは生涯しょうがいバルドしか知ることはない。

 バルドとブレイブが夫婦となって、初めて一緒にごす夜。

 その日、二人は一つのベッドで手をつなぎ、バルドが先にねむりにちてしまうまで、たわいい話にはなかせた。

 そんな夜だった。

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