空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ

「わたしたちは高一の時から付き合い始めた。同じクラスで、お互いぼっちだったからかな。友達から始まって、次第にって感じ」

「ぼっちって、なんで玲花が?」

「わたしはレズだって認知されてたから、誰も気持ち悪がって近寄ってこなかった。彼女は——、気が小さくて、大人しくて、一番は野暮ったくて貧乏臭かったところかな。彼女の家庭は小さな町工場で、結構無理して入学したみたい。霧山学園はセレブ校だから、そういうところに敏感なんだよね」

 玲花は言葉を切って、少し遠い目をしました。

「わたしはそういう彼女が好きだったんだけどな。素朴で飾り気がなくて、安心できた。外面ばかりを取り繕っている人間に囲まれていると、そんなふうに感じちゃったんだよね」

 出会った頃を懐かしむ玲花。

 そんなにも優しい顔を見せないでほしい。

「彼女とわたしには接点はなかった。わたしは誰とも仲良くなるつもりはなかったし、彼女は誰とも仲良くなれなかったから」

「でも、付き合うことになったんだよね?」

 どうしてと思います。どうして聞きたくもないことを聞き出そうと質問をしているのでしょうか。

「接点はなかったけれど、共通点はあったの。——二人とも本を読んでいたってこと。休み時間になると自分の席か図書室で本を読んでいた。——ぼっちらしいよね」

 玲花は皮肉な笑みを見せました。「話すようになったきっかけは、図書室かな。同じ作家の本を探していて、同じ棚の前に立った。そして、眼が合った。

「最初はぎこちなかったけれど、徐々に打ち解けて、好きな本やおすすめの本を貸し借りするようになった。それから、わたしが彼女に特別な感情を持つようになったんだと思う。彼女はずっと変わらなかったから。彼女はわたしに対して遠慮っていうか、気後れみたいなのを感じていたの。もちろん差別的な意味じゃなくて、彼女自身のコンプレックスっていうか、自信のなさっていうか、そういうの。彼女とわたしでは釣り合わないんじゃないかっていう気持ちだったみたい」

 玲花はさっきより優しい表情を浮かべます。

「そんな彼女が焦ったくもあったし、イラついたりもした。でも、それよりもいじらしくて、愛おしかった」

 玲花は言葉を切ります。

「そして、わたしから告白した。もうわたしが同性しか好きになれないっていうのは彼女も知っていただろうし、それでもわたしと仲良くしてくれるのだからって、打算はあったかな。彼女も最初は驚いたみたいだけど、次の日にはいい返事をくれた。幸せだったよ。これで一人じゃないって思えたから」

 玲花は美しい思い出に浸ります。

「もともと、彼女は誰ともお付き合いしたことがなくて、恋人関係みたいなのは初めてだったの。特別変わったことはなかった。今まで通り本の貸し借りや、いっしょに出かけたり。それでも、彼女から感じていた遠慮や距離感が徐々に薄れていくのは実感できた。それだけでも告白してよかったって思えたの」

 わたしは何を聞かされているのでしょうか。わたしが話してほしいと頼みながら、聞きたくもないという感情が湧き上がってきます。

 玲花と彼女の馴れ初めなど、どうでもいい! そう叫んでしまいたいほどでした。

「でも、わたしと付き合っていたのがいけなかった」

 玲花は淡々と続けようとしました。「彼女もレズだって噂が立って、いじめられるようになったの。わたしにはいっさい手を出さないで、気の弱い彼女だけを標的にした陰湿で卑劣ないじめだった——」

 玲花は唇を噛みしめました。両手を握り拳にして、それが小刻みに震えていました。

「彼女がいじめられているのを知った時、わたし、勘違いしちゃったんだよね。——彼女を守らなきゃって。わたしが彼女の支えになって、彼女を救わなきゃって。——バカだよね。クラス全員からいじめられてると言っても大袈裟さじゃなかったのに、そんなのどうやって彼女を守れるっていうの? それよりも別れるっていう選択肢のほうが現実的だったんじゃないかって、全部結果が出てから思った。わたしと別れてわたしとの関係を断ち切ってしまえば、いじめがあそこまでエスカレートすることはなかったんじゃないかって——」

「なにがあったの?」

 淡々としながらも、熱のこもった話し方に、わたしは短い質問しかできませんでした。

「レイプされそうになった——」

 わたしは息をのみます。いじめがそこまでエスカレートするものなのかと、吐き気さえ覚えます。

「三年になって七月になったばかりの頃、放課後に体育倉庫に呼び出されて、そこで三人の男に——。レズでも男とできるのかって、ゲスみたいな理由で——、幸い近くを掃除していた用務員さんが気がついて未遂に終わったけど、もし気づかれなかったとしたら、ぞっとする」

 玲花は自分で自分を抱きしめるように、腕を組みました。今や震えは全身に広まっていました。

「運良く未遂には終わったけれど、彼女はそれ以来不登校になった。結局学校には居づらくなって、転校することになったの」

「犯罪じゃない。女の子が転校させられるっておかしいじゃない。先生や警察はなにもしてくれなかったの?」

「それがね、その男っていうのが、同じクラスだったんだけど、学園理事長の孫で、親が市議会議員をやっているボンボンなの。全部示談で済ませて、お金を払っておしまい。男には期限付きの停学処分が言い渡されただけだった」

「そんなのって——! 女の子は泣き寝入りなの⁉︎」

「男のほうはお金も権力も持っていて、彼女のほうはなにも持っていなかった。そして、お互いに経歴に傷を残したくなかった——、ただそれだけだよ」

「それだけって——。玲花はそれでよかったの?」

「いいわけないよ!」

 玲花は叫び、わたしを睨みつけます。本気で怒っている顔でした。軽率な質問をしたわたしに対してはもちろん、その時の周囲の対応を思い出して憤っているのでした。

「あの事件が起こってから、わたしは毎日彼女の家を訪ねた。でも、いつも彼女のお母さんがまだ会えないって、会いたくないって伝えるだけで、彼女の声すら聞けなかった。それでも通い続けたよ。とにかく会いたかった。会って一目でいいから、顔を見たかった」

 玲花は捲し立てるように、一息で話し続けていました。少し乱れた息を整えるように、大きく息を吸い込みました。

 表情がまた変わります。さっきまで険の強かった表情が、悲しげに苦しげに変わりました。

「夏休み直前だったかな、きっともう転校が決まってたんだと思う。彼女がようやく玄関先に姿を現してくれた。髪の毛はボサボサで脂染みていて、目の下にはクマができて、着ているTシャツや短パンも何日も着替えてないようで、ヨレヨレで汗臭くて、なによりもたった十日ほどでやつれたみたいになってた。そんな彼女の姿を見て、わたし、泣きそうになって、なにも言えなくて、立ち尽くしてるしかなかった。そしたら、彼女が先に口を開いたの——」

 玲花は言葉を切りました。

 もう会いたくない——。

「最初はっきり聞き取れなかった。小さかったし、掠れていたから。だから、え? って聞き返した。顔を上げた彼女は怒ってた。真っ赤な腫れた目でわたしを見つめて、憎しみすら感じた」

 もう会いたくない——。

 顔も見たくない——。

 玲花なんかと関わらなければよかった——。

 玲花のせいでわたしの人生が壊された——。

「もっと酷いことも言われた。たぶん、彼女がいじめられていた時に言われたりした言葉だったんだと思う。わたしはなにも言い返せなくて、彼女は一方的に怒鳴って、悪口を言って、家に戻っていっちゃった」

 ——それ以来、会っていない。

 小さな声で付け足して、玲花は口を閉じました。瞼を閉じて、懸命に感情を押し殺そうとしているようでした。

 長い静寂の後、玲花は再び語り始めます。

「次の日は終業式で、わたしも登校した。頭のなかは真っ白でぐちゃぐちゃで、なにも考えられなくて、家にひとりでいるのも気が変になりそうで、なにかしてないと落ち着かなくて、ただ惰性で登校したんだと思う——」

 玲花はぐっと奥歯を噛み締めました。「教室のドアを開けるとね、わたし、愕然とした。——あの加害者の三人がいたの。普通に話をして笑って、何事もなかったみたいに、そこに存在してたの。わたし信じられなかった。被害者の彼女が家に引きこもって外出もできない状態なのに、なんで加害者たちが当たり前のように学校に来てるのかって、目の前が真っ赤になった。そしたら、殺そうって、彼女の人生を滅茶苦茶にした奴らなんか死んでもいいって思って、気がついたらカッターナイフを握ってた——」

 そのグループに無言で近づいて、無言でカッターを振りかぶって——狙いは理事長の孫の男子生徒——気がついた男子生徒が猿みたいな奇声をあげて右手で庇ったから、カッターはその右手の甲を切り付けた。血はいっぱい流れていたけれど、浅かったみたいでたいした傷でもなかったみたい。

 その後はよく覚えていない。教室はパニックになって、泣き声や怒声が上がって、男子生徒は困惑と恐怖で泣き出していて、大袈裟に痛い痛いと叫んでいた。

 玲花は騒ぎを聞きつけた男性教師に取り押さえられて、生徒指導室に連行された——。

 玲花はその出来事を淡々と語りました。

 あの時、包丁じゃなくて、なんでカッターナイフなんだろうって、後悔した。

 わたしは若干の狂気を感じ取り、背筋に寒いものが走りました。

「結局、この事件ももみ消された。うちの親、男の親、学校、この事件を公にされて誰も得しない。うちもアパレル業界ではそこそこ名前が売れていたし、男の親族もスキャンダルなんてありえない。学校も進学校でセレブ校のイメージを壊したくない。

 わたしは転校。男は加害者から被害者に上書きされて、なんか有耶無耶になった。学校は面倒ごとの元凶ふたりがいなくなって安泰。一度ネットニュースにスクープされたけど、それもお金で黙らせた。全部お金。問題児は島流し。それで全員平和に暮らしましたとさ」

 玲花は口角を上げて、笑みに似た表情を浮かべるのでした。

 まさに能面の様な、感情を揺さぶる笑みでした。わたしの背筋はますます冷たく凍えていくのです。

 わたしは唇を震わせて、かけるべき言葉を探しました。しかし、あまりに理不尽な、権力とお金の力で、表面上丸く収められた結果に、言葉よりも胃の中のものが吐き出てきそうでした。

「この街に来る前に、久しぶりに両親と三人で話したの。父親も母親も国内や海外を飛び回っていたから、ほんと、何年ぶりだろうかってくらい。そこで初めてカミングアウトしたの、両親に。

 その前にたくさんの大人たちから事件を起こした理由を聞かれたけど、腹が立ったからとか、許せなかったからとか、適当に答えていた。力で解決しようなんて大人たちに、本心を曝け出す意味なんてないと思ったから。

 それでも、両親に話そうと思ったのは、わたしの気持ちを理解してくれると思ったの。——どうして理解してくれるって思ったのかわかる?」

 わたしは力無く首を振ることしかできませんでした。これ以上、玲花に傷ついてほしくない。いえ、誰にも傷ついてほしくはありませんでした。

 でも、玲花の口調は乾いて熱を帯びて、まるで砂漠の砂のようでした。

「rain in the forest——、わたしの両親のファッションブランド。そのキャッチコピーを憶えてる?」

 わたしはしばらく考えて、こくりと頷きました。

『わたしたちはLGBTQ+ の方々を応援します』

 今のわたしにはこの言葉に勇気をもらえるようでした。わたしのことを理解して、受け入れようとしてくれている、そんなふうに思えるのです。

「わたしたちはLGBTQ+ の方々を応援します——、ステキなスローガンだよね。今の時代にぴったりの綺麗な言葉——」

 玲花は口をつぐみます。そして、怒り——ではなく憎しみにも似た表情を見せるのです。

「全部嘘! LGBTQ+とかジェンダーとか、流行りの言葉を、聞こえがいい言葉を並べ立てただけ! 世間に取り入るための、洋服を売るための、ブランドイメージをよくするためだけの、空っぽの言葉」

 静かに、けれど激しく吐き出される憎しみを伴った声は、わたしを困惑させるだけでした。どうして、そんなことが言えるのか、わたしには理解できないのでした。

「気持ち悪い、異常だ、わたしが親から投げつけられた言葉——」

 玲花が勇気を持ってカミングアウトしたにもかかわらず、両親は心無い、軽蔑の言葉で答えたのです。

 本気なの⁉︎ だとしたら気持ち悪い。同性愛なんてまともじゃない、異常よ異常。だいたい、モデルあの人たちも生理的に無理なのよね。パパやわたしを見る目も、なんだかねぇ——。会社のイメージもあるし、それをコンセプトにしちゃったから、仕方ないんだけど、仕事じゃなきゃモデルあの人たちなんかと付き合ったりしない。——よりによってあなたがあっち側なんて、本気で彼女と付き合ってたの?

「わたしは、怒りと屈辱と悔しさで、もう泣くしかなかった。そして、軽蔑して、憎んだ。嫌悪して、偏見を隠して、上辺だけ理解したふりして、金儲けの道具としか考えていない。なにを信じていいのかわからなくなった。

 ねぇ、応援て、どんな時にするものだと思う?」

 突然振られた質問に、わたしは思いついたことを小さな声で答えます。

「試合とか戦ったりしてる人を励ましたりする時——?」

「ねぇ、わたしって、なにかと試合してる? 戦ってる? ただ、人を好きになっただけ。ただ、それが女の子だっただけ。わたしは応援されたり、励まされたりしなきゃいけない恋をしてるの? 一部の物分かりが良さそうな人たちに認められて、わたしたちはあなたを理解し応援してますって、わたしってなんなの? 余計なお世話。悪目立ちして、もっと偏見の目に晒されて、憐れみすら与えられて——、わたしは静かに生きていたいだけ、誰かを好きになりたいだけ——、それだけ……」

 最後のほうは、玲花自身に話しかけ、言い聞かせているようでした。

 わたしは玲花の気持ちや考えていることに、打ちのめされています。実の親から浴びせかけられた差別と侮蔑に満ちた言葉に、いたたまれない思いも抱くのです。

 不意に玲花が顔を上げました。わたしと目が合います。玲花の瞳は慈愛に満ちて揺れていました。

「なんでだろう? もうなにも信じない、誰も好きにならないって、心を塞いで、冷徹になって、ひとりで生きていこうって決めたのに——。なんで期待しちゃうんだろう。なんで求めちゃうんだろう。苦しむのは自分で、同じくらい相手も苦しめちゃうのに、そんなこと痛いくらいわかっているのに——。だからね、日向はやめたほうがいいよ。辛いだけだから。きっと熱病みたいなもの。日向って、わたしが初恋でしょ? でも、それは勘違い。恋でもなんでもない。ただの勘違い。たまたま、気になったのがわたしで、たまたま、それが女の子だっただけ。——だから、わたしなんかに本気になっちゃダメ。きっと、後悔する」

 それまで玲花に圧倒されて、黙って聞き役にしかなっていなかったわたしは、嫌な予感に覚醒させられるようでした。

 玲花はわたしを遠ざけようとしている——?

「嫌だ!」

 わたしは叫んでいました。悔しくて、怒っているのか悲しんでいるのかもわからなくなっていました。ただ、激情だけが迸るのでした。

「勝手に人の気持ちを決めつけないでよ! わたしは本気で真剣に玲花が好きなの! こんなわたしでも、いっぱい悩んだんだよ。どうして玲花なんだろうって、どうして女の子なんだろうって。わたしの気持ちを玲花に知られたら、嫌われちゃうんじゃないかとか、世間の眼とか——。それでも、気持ちは変わらなかった。想いは止められなかった。

 だから、熱病だなんて言わないで。一時の気の迷いなんがじゃないの。好きなの。男とか女とか関係ない。玲花だから、あなたが玲花だから大好きなの」

 わたしはいつの間にか、涙を流していました。その涙の理由もわからないのです。

 ここまで追い詰められないと曝け出せない想い。玲花に対して、正直に誠実であろうと誓ったはずなのに、わたしはこんなにも意気地がないのです。しかも、無様に涙を流しながら——。

「日向だって、わたしといっしょにいて、世間の目がどんなものかってわかったでしょ。学校で孤立する日向を見たくはない。それもこれも、元をたどれば、わたしが女の子しか好きになれなかったから。まだね、日向はやり直せるの。わたしのことを好きだって、知られてないから。今回のことはわたしが前の学校で事件を起こして、それをひなたが庇おうとして誤解されてしまっただけだから。きっとわたしがいなくなれば、元通りになるよ」

 玲花がわたしに近寄ろうとして、踏みとどまる気配がしました。

 潤む瞳の向こう側の玲花の表情は、滲んでしまってはっきりと読み取れません。

 視線をはずして、両手を握り拳にして、立ち尽くすのです。

 なにも反応を示さない玲花に焦れます。

 なんでもいい。別れの言葉でも、迎え入れようとしてくれる言葉でも。

 もし、言葉で表せないのなら、黙って背を向けるか、抱きしめてくれるか——。

 いえ、これではいつものわたしと変わりがありません。玲花が動くのを待つのではなく、わたしから行動しなければならないのです。

 わたしは玲花に腕を伸ばします。わたしの気持ちは、たった今告げました。

 だから、わたしは玲花を抱きしめて、キスをして、大好きだと、愛していると、何度でも告げるのです。

 なのに、玲花は後ずさろうとします。

 わたしの腕は行き場を失おうとします。

 わたしは一歩足を踏み出します。

 玲花は一歩後ずさります。

「わたしは玲花と離れるつもりはないよ。これからも玲花のそばにいたい。玲花のことが好きだって、バレたっていい。わたしは玲花が好き。玲花といっしょなら、孤立することだって怖くない」

 わたしはまた一歩踏み出します。

 玲花はまた一歩後ずさります。

「どうして?」

 止まりかけた涙がまた流れます。

 玲花、あなたの顔が滲む。差し出されたわたしの腕は、ゆらゆらと揺れて、行き場を失ったまま。きのう、抱きしめてくれたあなたの腕は、もうどこにもないの?

 踏み出すわたしと、後ずさる玲花。

 けれど、そんな追いかけっこはすぐに終わりを告げました。

 玲花はたまりかねたように、わたしに背を向けてしまいました。

「もう、行かなきゃ」

 やけに大きな声でした。

 わたしの腕は——玲花を抱きしめるための腕は、本当に行き場を失ってしまいました。

「行かないで……」

 その声はあまりにも小さくて、ただの呟きのようでしかありません。

「彼女が待ってるの」

「ヤダ、行かないで……」

「彼女にはわたししかいないの」

「わたしだって、玲花しかいないよ」

 なぜかか弱い声しか出せないのです。

 後ずさり、背を向けて、わたしは玲花に打ちのめされます。

 それはわたしを拒否しようとする態度。

 届かない、届かない——。

 わたしの腕も想いも、玲花には届かないのです。

「日向には友達がいるじゃない」

「そんなの、玲花の代わりにはならないよ」

「藤島さんなら、日向を大切にしてくれるんじゃないかな」

「今は沙月ちゃんは関係ないよ。玲花とわたしの話をしてるの」

 短い沈黙。玲花はけして振り返ろうとはしてくれません。

「——わたしね、ずっとね、ひとりぼっちだったの。レズビアンだって噂が流れて、本当かもしれないってなって、みんなわたしから離れていっちゃった。たまに興味本位で近づいてくる人はいたけど、やっぱり上辺だけの付き合いしかできなくて、最後はいつも取り残されたように、ひとりぼっちになってた。——そんな生活が当たり前で、慣れてきたと思ってたら、彼女が現れた。それからはずっとふたりきりだった。友達どころか、わたしたちの関係を理解してくれる人なんて、誰もいなくて、ずっとふたりで支えあってきた。それが、あんな事件があって、ぐちゃぐちゃになって、踏みつけられて、壊されて——、別れることになっちゃったけれど、ずっと後悔してた。もっと抵抗すればよかったって。別れたくないって、無様に足掻けばよかったって——。だから、寄りを戻したいって連絡が来た時……嬉しかった——」

「でも……! 酷いこと言われたんだよね? 別れた時、玲花を傷つけたんだよね? そんなの許せるの? だいたい、虫が良すぎるじゃない!」

「そうだね。虫が良すぎるよね。でもね、嬉しかったのは事実なの、やり直せるんだって」

「じゃあ、わたしだって足掻くよ!」

 玲花の肩がぴくりと揺れました。振り返りそうになりながら、それをぐっと堪えているようでした。

「わたしだって、玲花を引き止めたい。玲花に行ってほしくない。かっこ悪くても、無様でもいい、それでも言うよ——、行かないで……」

 玲花の肩が揺れています。強く握った両の拳も小刻みに揺れています。

「玲花、大好き——! 大好きなの……!」

「やめて!」

 玲花が叫びます。「誰にも苦しんでほしくない。誰にも傷ついてほしくないの! 彼女もわたしもたくさん苦しんで、傷ついた。そんなわたしたちだから、やり直せるって思った。そして、支えあって生きていければ、幸せになれるんじゃないかなって」

「そんなの、幸せになんかなれるわけないよ。ただ、傷を舐め合ってるだけじゃない」

「傷も舐め合えば、癒されるし、そのうち消えるんだよ」

 そんなことはない。乾く暇もない傷は広がり、膿み腐っていくだけだ。

「わたしといっしょに暮らすって言ったじゃない。わたしが玲花のためにご飯を作って、いっしょにお風呂に入って、同じベッドで寝るって、約束したじゃない」

「ただの夢物語だよ」

「じゃあ、嘘をついてたっていうの? わたしに話を合わせてただけだっていうの?」

「——そうだよ」

「でも——」

「もう行かなきゃ」

 再び、わたしの言葉は、強引に遮られてしまいました。でも今度は玲花の背中が震えてはいませんでした。代わりに、これ以上、わたしの言葉を拒否するかのように、凛と背筋を伸ばすのです。

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