天上の花は赫く咲く

木村アキ

第1話 【理由】(1) 〜エピヌス暦1131年2月〜

 乾いた風が砂塵を巻き上げ、遠くへ攫っていく。真上に昇った冬の白い太陽が、男たちの影を硬い地表に落とす。


 エピヌス暦1131年2月初旬のローウェルズ王国の首都・ヴラトニツァ。


 11月に入ると北から雪や雨をもたらす低気圧がやって来て長い冬が始まるが、毎年この時期は一時的に東側から流れ込む高気圧に覆われ、晴れやすい期間になる。

 昔の人は雪が止んで活動しやすくなる10日間ほどを、冬の女神が眠っているとして「女神の休息」と呼び、婚礼や祭りを行ったりしていた。


 この日も例外ではなく、よく晴れていた。暗青灰色あんせいかいしょくの空には刷毛はけで掃いたような白雲が棚引き、足早に通り過ぎていく。


 ヴラトニツァの南端にある闘技場で、毎年恒例の国王軍昇格試験である武芸大会が実施されていた。

 この大会は軍に入って3年以上5年未満の兵士を対象として、上官から許可さえあれば出自によらず参加できるとあって、初日の昨日は多くの参加者で溢れ返ったものだ。


 軍での階級は身分によって決まることが多く、幼い頃から騎士見習いとしての教育を受けた貴族の子弟が戦場で指揮側に回る一方で、平民出身は終始歩兵のままが基本である。


 例外として、戦場で目覚ましい働きを見せて上官に認められるか、敵将を捕縛するなどの功績を挙げた「武勲」で抜擢されるか、この武芸大会のような場で上位に入れば、平民でも士官クラスになる機会があった。


 ただ、それはあくまでも例外で、大多数が故郷を離れた土地に骨を埋めるか、運良く生き延びたとしても退役まで歩兵のまま過ごす。



 大会二日目となる今日は本戦だ。

 昨日勝ち上がった者たちは、4つのブロックに分かれてトーナメント方式で朝から対戦していた。


 各ブロックの準々決勝第1戦目がこれから行われようとしていた。

 それぞれのブロックで準々決勝まで辿り着けることができれば昇給、準決勝以上進出者が昇格を約束されているとあって、男たちの鼻息は荒い。


「ルーカス。シュミッツ宰相の息子は勝ち上がってるのか?」


 イリアス・ギレンフォードは軍服の上に羽織った外套の前を掻き寄せながら、用意された椅子に座る。

 太陽が一番高くなる時間帯とはいえ、風は頬を刺すような冷たさだ。


「それが…今日の午前中に」


 部下ルーカスが言葉を濁すと、それまで寒さで眉間に皺を寄せていたイリアスが立ちどころに表情を和らげ、その灰色がかった青い瞳を輝かせた。


「敗退したのか?」

「ええ、そうです」

 ルーカスが頷く。


「私が来る前に片付いていたなら良かった。宰相殿から彼が準決勝以上に進められるよう便宜を図ってほしいと頼まれていたんだ」


 満足そうに「到着した時に負けていたなら、手の施しようがないよな」と独りごちる。


「それを狙ってわざと遅れてきたんですね」

「まさか。人聞きの悪いことを言わないでくれ」

 呆れ顔の部下の背中を軽く叩くと、イリアスは前傾姿勢になって、眼下で繰り広げられる兵士たちの闘いに目を向ける。


 円形の決闘場アリーナは成人男性の背丈ほどある石造りの塀が巡らされている。それを東西南北で四等分に区切り、それぞれのブロックの試合が行われていた。


 一般人は立ち入り禁止だが、同僚の応援に来た者、敗退した相手の勝敗を見届けに来た者、ただの見物人など、軍関係者が決闘場をぐるりと囲んで見下ろしている。

 彼らは口々に発破を掛けたり野次を飛ばしたりしていた。


「だいぶお疲れのようですね」

 あくびを噛み殺している上官の横にルーカスが立つ。


「ああ、相変わらず王は人使いが荒すぎる」


 ローウェルズ王国はオルテア大陸一の大国・ノルヴィスク帝国から独立して13年目を迎える。

 周辺国から見ればいまだに独立を勝ち取ったばかりの新興国で、国としてのアイデンティティを確立しつつあるものの、国内はまだ不安定な状況にある。


 そのような中、中堅どころの貴族、しかも、庶子としては異例の出世を遂げたのが、このイリアス・ギレンフォードだ。


 4年前、弱冠26歳にして、軍師の職に就いたこの俊英は、近年再び緊張が高まっているノルヴィスク帝国からの侵攻を最小の痛手で防ぎ、国王であるワシーリ・ユグノーから全幅の信頼を寄せられている。


 まだヴラトニツァがノルヴィスク帝国の地方都市だったエピヌス暦1101年、ダグラス・ギレンフォード子爵の非嫡出子として生を受けたイリアスは、4歳になった頃に母から引き離されて正式にギレンフォード家の三男として迎え入れられた。

 その後、当時の宮廷学校に入学して学問を中心に学んでいたが、ノルヴィスク南西部で内乱が始まると共に、独立派であった父からヴラトニツァに呼び戻された。

 その頃ちょうど、独立派の急先鋒であったワシーリ・ユグノーが周辺諸国との交渉のため通訳者を求めており、宮廷学校在学中に類稀なる頭脳と4ヶ国語を自在に操る語学力で名を馳せていたイリアスに白羽の矢が立った。彼がまだ十代半ばのことである。

 イリアスは重要な局面で実力を発揮し、そのまま国王専属の通訳となり、ローウェルズ王国建国3年後には、20歳で使節として諸国に派遣されるまでになった。

 その後、一部の外交業務を継続させながら、国王の意向で軍の参謀役に抜擢され、今に至る。


「眠気が覚めるような対戦はないのか」


 ここ最近ではしょっちゅう王に呼び出され、軍本部と王宮とを行き来していることから、軍事面だけでなく国政にまで口出しをしているという噂がまことしやかに囁かれている。

 その頻繁な招集と異例の出世とが相まって、口さがない連中からは「国王の愛人」などと揶揄される始末だ。


「次の北の区域の対戦が面白そうですよ。ほら、見てください」


 ルーカスが指差す方向を見ると、プレートアーマーを身に纏っていても明らかに細身とわかる兵士と、その3倍は横幅がありそうな岩のようにごつい兵士が向かい合っている。


「一瞬で決着がつきそうじゃないか」

 怪訝な顔をする上官に、ルーカスが微笑む。

「まあ見ていてください」


 ルーカスの説明によると、細身の兵士はキンケイド伯爵家の三男坊のアイバンで、剣術の腕はそこそこだが、これまで取り立てて話題に上らない凡庸な男で、運が味方して昨日の予選を辛うじて潜り抜けたらしい。

 ところが、今日の午前中の3試合では人が変わったかのような強さを見せ、優勝候補までも捩じ伏せたとのことだ。


 一方で対戦相手の兵士は腕っぷしの強さには定評があるが、軍内でたびたび問題を起こすことで有名な、ウェンズリー兄弟の片割れだ。

 現在勝ち残っている平民出身者の一人で、軍に入る前は札付きのごろつきで、歓楽街で悪名を轟かせていた。

 彼は午前中の第1試合目で兄を退けたキンケイドを逆恨みしているらしく、「ぶちのめしてやる」などと息巻いていたのをルーカスも耳にしたそうだ。


「あのウェンズリーか」

 兄弟揃って軍の鼻つまみ者ではあるが、戦場では兵士として非常に優秀であり、これまでに幾度も功績を残してきた。

 それゆえに、喧嘩などの問題行動は目をつぶってきたが、最近の報告を聞くに、彼らの起こす暴力沙汰には目に余るものがあり、処置に困っていたところだった。


「死人が出るようなことがあっては困る」


 試合で使う長剣は刃を潰して相手を斬りつけられないようにしているものの、強い力で思いきり振り下ろせば骨を砕いたり臓器を損傷させかねない。

「さすがにそこまでやりそうになったら周りが止めます」

 それぞれの区域に、槍を持った審判兼監視役の兵士が複数名配置されている。試合はたまに白熱して対戦者同士が取っ組み合いの喧嘩になることもあるからだ。


「雲行きが怪しくなれば、中止させよう」



(つづく)

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