第16話 もう一回
楽屋のドアがノックされて「星原さん、今日の衣装持ってきましたー」とスタッフさんの声がした。
「入って大丈夫です」
返事をすると、スタッフさんが「失礼しまーす」と入ってくる。
隅でおどおどしていた早瀬さんも「お疲れ様ですー」って一応は気を取り戻していた。
相変わらず腰は低い。「どうもです」とかいいながら愛想笑いを浮かべて、癇に障る。
でもスタッフさんは若くても二十代前半。まだ大学生になったばかりの早瀬さんは十八歳で年下だし、容姿は悪いわけじゃない。
顔自体は、桜さんと同じなんだ。
身だしなみだって、ちゃんとしている。初日だけかと思ったら、ずっとスーツかそれに近い服装だ。
しゃべり方は自信なさげだけど、声は大きいし、初々しい新人って感じ。
要するに、スタッフさんたちからの受けがいいっぽい。
今も率先して衣装を受け取って「ありがとうございます~」としなをつくって「あれ、新しいマネージャーさん? 若っ、しかも可愛いし。え、衣装いる?」とか言われて「いやいやいや、私なんて全然違うんですよ~」とか言っている。
桜さんだったら、ファンからかっこいいって言われても「あ? そんなの当然なこと今更なんだよ。それとも抱いてくれって合図か?」ってキメ顔で囁くのに。
スタッフさんは楽屋を出る前、わたしにも声をかけてきた。なんでも「カメラマンの人が時間ギリギリになるみたいなんで、もう少し楽屋でゆっくりして大丈夫ですからね」とのこと。
「…………はい、ありがとうございます」
無言で頭を下げるくらいでもいいって思ったけど、一応、なんとか振り絞って声を出した。小さくて、聞こえたかはわからないけど、スタッフさんは「それじゃあ失礼しましたー」って笑顔で出ていった。
しばらく、わたしも早瀬さんも無言だった。
無意識に、スタッフさんが楽屋から離れるのを待っていたんだと思う。
「………………星原さんって、本当に二重人格じゃないですか?」
「は?」
「すみませんっ、今のはつい……違うんですよ? いい意味で、私に対してとスタッフさんに対してで全然違うなって!!」
「……………………」
早瀬さんがあたふたとフォローにもならないことをのたまうが、そんなことはどうでもいい。
…………二重人格はそっちだろ。
「あっ、そうだ。衣装着替えちゃいましょうよ~! 今日はリリイベのグッズ用の撮影ですからね~」
わたしの無言の訴えをキレと勘違いしたんだろう。
早瀬さんは露骨に話題を変えようとしてきた。
納得できない気持ちもあるけど、面倒な着替えは早めにしておくか……。
リリイベ――リリースイベントの略、つまり新曲発売に合わせてやるイベントのことだ。
わたしはずっとグループでアイドル活動していたけれど、ソロでも曲を出すことに決まった。正直仕事が増えるのは気乗りしなかったけれど、歌うのはアイドルの活動の中では一番好きなことだったから、つい同意してしまった。
断っていたら、早瀬さんがマネージャーになることもなかったんだろうか……。
「衣装、これみたいですね」
早瀬さんの声色が、どことなく躊躇っていた。
わたしが不機嫌だからかと思ったが、鏡越しに衣装を確認して理由がわかる。
「…………なんですか、その布きれ」
早瀬さんが手に持って広げた衣装を見て、直ぐにその言葉が出た。
「かっ、可愛いですよね? アイドルらしくて……絶対似合いますよ~」
「どう見ても足りないですよね、それ」
トップスの丈が短すぎる。着ればお腹の部分が絶対に隠れきらない。
「え? そうですか? ……星原さん、胴体短いし平気じゃないですか?」
「……やめてくれますか、脚が長いって言ってください」
「同じ意味じゃないんです?」
わたしとしては、もう少し背が伸びる予定だった。でも高一になると、女子の身長の伸びは減速する傾向にある。
「サイズ合ってないです。変えてください」
「これはこういうデザインですって」
そんなこと言われなくても知っている。用意したのだって、早瀬さんではないけど。
「……お腹出すなんて聞いてない。着ませんから」
「お腹くらいならいいじゃないですか~」
少し黙っていると、早瀬さんが勝手に深読みして失礼なことを言い出す。
「もしかして、なにか食べてきましたか!? ラーメンですか!?」
「やめてください。わたしはいくら食べてもお腹出ません。そういう理由で嫌なわけじゃないです」
わたしは 腹部に向けられた嫌な視線をはっきり否定する。
「だったら、いくら食べても細い自慢のお腹をファンのみんなに届けましょうよ~」
「……嫌です。無闇に肌を出して、はしたない」
「ええ~? 昨日も水着撮影したじゃないですか。水着でもお腹は出てましたよね? この衣装は全然たいしたことないですよ~」
「…………水着を基準にしないでください。あれは特別」
「これくらいみんな着てますって~。アイドルじゃなくても渋谷歩いてたら普通にいますよ~」
軽いノリで適当なことを言ってくる。
もしかして、わたしがクビにはしないって言ったから、調子に乗っている?
…………よく考えれば、この人はすぐ調子に乗る節がある。
「早瀬さん、約束覚えてますか?」
「えっ、チャーシュー……? ブロック?」
「違います。約束のことです」
「…………これからは、どんな仕事でもするって」
早瀬さんは遠慮がちに、だけど「ですよね?」と当然みたいに言った。さっきまでクビに脅えて縮こまっていた人間とも思えない。
「桜さんに会わせてくれたら、ですよ」
「………………それは、会わせましたよね?」
鏡越しに、しれっと早瀬さんが視線を横にそらす。
さすがに自分でも思うところがあるのか。
「星原さんが認めなくてもっ……天雨桜は私だったんです。だから約束は守りました!!」
かと思えば開き直ってきた。
「だ、だって!! だって!! 私なんですもん!! 私、天雨桜なんだもん!!」
二重人格以前に、情緒が心配になる。
憧れの人がこんな無様に取り乱すところ、見たくなかった。
…………違う、この人と桜さんは別人だ。
初めて会ってから、何度となく葛藤してきた。この人は桜さんだ。でもわたしはこの人を桜さんと認めない。
だけど。
「…………昨日会ったのは、たしかに桜さんでした」
「ですよねぇ!? ですよねぇ!? いや、私が本人なんでそこはもう自信を持ってそうなんですけどねっ!!」
ファンだったら、アイドルの本当の姿がこんなんだったら幻滅するかもしれない。
好きな人だったら、恋も冷めるんだろう。
でも、わたしは違う。桜さんに、本当に憧れていたんだ。
アイドルだったら、ファンの前で見せる姿と裏での姿が違うのは普通のことだ。……わたしは、ちょっと違うけど。
「真珠って、あるじゃないですか」
「……ありますね?」
「あれって、貝に異物が入るとその拍子にできるんですよ。小石とか小さいゴミとか」
「そうなんですか」
「つまり、早瀬さんはそれです。小さいゴミ。桜さんは真珠」
「どういうことですか!? その理屈なら私はせめて貝では!?」
この人を桜さんと認めることはできない。
でも早瀬さんがいなければ、桜さんが存在できないというのは事実として受け入れるしかない。
「だから言葉通りです。昨日は、桜さんに会えたので水着を着ました」
「……は、はい。大変よくお似合いで」
「今日、それを着ろというなら」
わたしは早瀬さんが手に持っている衣装を指さす。
「また桜さんに会わせてください」
「…………ど、どういうことですか?」
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