何でもない、大切な
朝本箍
何でもない、大切な
あさが来た。この日を待っていた。
布団から這い出、カーテンを開けてもあまり光は入ってこない。曇天だったが彼女には関係なかった。父母はもう起きているらしく、二階から微かに声が聞こえる。妹と弟はまだ寝ているらしい。それも仕方ない、彼女は枕元に用意していた服へ着替えながら、ひとりで頷いた。
今日の主役はこの家では彼女で、三軒隣のオカダさんの家ではヒカリだ。道路を挟んで四軒隣の家では確かユタカで、向かいの教会ではミカさんだったはず。他にもたくさんの主役を思い、彼女は少し微笑んだ。
妹が起き、続いて弟が起きてくる。彼女は待ち切れず二階へ上がり、普段はしない朝食の手伝いを始めた。各々の目玉焼きとウインナーを皿へ取り分け、各自の定位置へ置いていく。母は自分の中での手順を乱されることを嫌っていたが、今日は彼女が主役なので何も言わず、眉を上げるだけに留めた。父は食卓で待っている。
彼女は続いて妹のためのケチャップを取るため冷蔵庫へ近寄り、吊されたポケットへ詰め込まれた封筒を眺めて笑った。父と母と彼女のために届いた封筒。本当は事前に練習したかったが、父も母も練習は不要だと笑っていた。ふたり共に行けばわかる、と繰り返し、母はしっかり考えておくことの方が何倍も大切だと真っ直ぐな目で彼女の手を握った。ヒカリは、特別な紙が使われるという話を聞いて書き心地を楽しみにしていたし、ユタカは面倒だと言っていた。ミカさんは学校が違うのでわからない。
面倒だと言う人間は他にもいたが、彼女とは違う考え方だった。最近の彼女は不満と怒りでどうにかなりそうだった。止まらない物価高、誰のためか分からない新法、何よりも未だならない夫婦別姓と同性婚に対して言いたいことしかなかった。いつか出会う恋人と自分による理由以外で結婚出来ないかもしれない、そんな可能性があることが許せない。そして彼女の名前は、彼女のものだ。自分の考えを権利として行使出来るのに、面倒だと言う人はきっと不満がないのだろう。
羨ましい、と彼女はため息をついてケチャップを食卓へ置いた。怒ることは疲れる。出来るなら怒りたくはなかったが、彼女は今は怒ることを選択した。今まで怒ってきてくれた誰かが少しでも休めるように。妹が主役になる時には変わっているといいな。
そして彼女は初めて選挙で投票し、自分の考えを政府へ、世の中へ届けた。はっきりとしたノーだった。
何でもない、大切な 朝本箍 @asamototaga
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