第6話
六
「……成育歴?」
谷川の言葉に、私は戸惑いを隠せない。
「はい。もちろんあなた、羽島さんにとっては嫌なことかもしれませんが、このゲームをクリアするには避けては通れない道かと」
「まあ、確かにね……」
そうその場は頷いたが、それにも自信がない。そう、私は人前で本音を話したことがないのだ。
「羽島さん、紙とペンはお持ちですか?」
「……今は持ってない」
「では私がお貸しするので今から『自分の思う良い所』を書き出してみて下さい。私も書くので後でお互いにすり合わせましょう」
「……分かった」
筆記用具を谷川にもらってから、私は考え始める。
※ ※ ※ ※
私は今まで、手のかからない子として育ってきた。
小さい頃からそこそこ頭が良く、空気も読めた私は常に「周りの人が何を求めているのか?」や「自分がどういう立ち回りをしたら、周りがうまく収まるか」を考えながら動いていた。もちろんそれは、自分の本当の気持ちに反することであっても、だ。
それで時々「愛瑠ちゃんは偉いね~!よく我慢できたね」とも言われることがあった。そういう時、私は褒められて嬉しいのは当然だが、「何か、違う……」とも心の中では思っていた。
もちろん人間には気分がある。私だってイライラしている時もあればブルーな時もある。でも、そんな時も「愛瑠ちゃんはよくできる子だから断らない」とか言われ、嫌なことを押し付けられることもあった。例えば親にお手伝いをするように頼まれ、その時は音楽を聴いていたい気分であっても、私は「いいよお母さん!」と言ってニコニコしながら手伝いをするのであった。
―そんな生活が続き、私は自分が本当は何がしたいのか、どういう風に生きたいのかが自分自身で分からなくなってしまっていた。中学校の進路指導の時間は、自分の将来の夢や目標を考える時間だ。ただ私には本当にやりたいことがない。もちろん友達には「うーん何だろうねえ……」と言う、「考えてますがまだ特に決まってません」なる態度をキープし続けていた。ただ、私の心の中は違う。そんなものは、どこにもないのだ。
また中学、それを超えて高校時代になると、私は周りを見下すようになっていた。「何でそんなことが分からないのだろう?」「ちゃんと空気読めばそうはならないはず」そういう風な思いをすることが、小さい頃に比べて格段に多くなっていた。当然、私の周りを見るスキル、自分の生の感情を出さないスキルは上がっていたので私は周りに嫌がられることはなかった。ただ―、こんな生活がずっと、これからもずっと続くと考えると、空虚な気持ちになることがあった。
だからと言って私は本音を話すわけにはいかない。やっぱりいじめられるのはゴメンだしスクールカーストの一軍は悪くないポジションだ。こんなどす黒い一面を見られたら、マイナスポイントも甚だしいだろう。
でも、ある日私は気づいてしまう。私には、「本音」がないんじゃないかな―と。
そう、私は単に周りの人間を見下しているだけ、上手な立ち回りを演じているだけで何も心の中にない、空っぽなんじゃないかな?と思ってしまう。そのように思い出すと早かった。私、自分がなさ過ぎてイライラしてない?
もちろん今の大学生活も私は一軍で送れて満足はしている。ただ、その空虚さは、私の中の空虚さは一向に消えないままであった。
※ ※ ※ ※
一方谷川の方も、自分の良い所を探すために成育歴を考えていた。
―私、谷川一誠は論理的な人間だ。
幼い頃から、例えば両親に誕生日プレゼントを購入してもらっても喜ぶ気にはなれず、「そのプレゼントがどんな役に立つのか?」などと考える有様であった。
それは学級、クラスにいても一緒である。私は学校での成績は良い方であったので特に担任の教員に怒られるようなことはなかったが、いつも「覇気がない」と教員には思われていたようだ。
また、私が数学が好きなのは小さい頃からである。しかしそれ以外の教科は、テストの点数は良いものの興味を持てず、授業では無理矢理担任の教員に挙手を求められ、たどたどしく正解を答えるものの「もっとハキハキした方が良いです」と言われる有様であった。
またクラスメイトから私はいわゆる「陰キャ」であると思われていた。積極的に人と関わろうとせず、特に小学校、中学校時代はクラス周りに起こっていること、授業や行事なども完全に蚊帳の外として見ていたのでそう思われても致し方ないであろう。私には友達と言える人間が一人もいなく、休み時間は数学書を読みふける毎日であった。そんな私を両親は心配したが、私にとってクラスなどの外野は全くどうでも良いことであった。
話を数学に戻そう。私が小さい頃から数学が大好きなのは、ひとえにそれが論理的であるからだ。私は人の感情、ましてや他人の感情に全く興味がない。ただただ論理的なことが好きなのだ。数学では、直感的に「こうだ」と思ってもそれが論理的に証明されなければ全く意味をなさない。そして人間の直感はそれほどあてにはならないと私は思っている。従って私は直感より論理、数学を信じる。それが私の考え方、生き方だ。
※ ※ ※ ※
「……できた?成育歴」
私、羽島愛瑠は谷川一誠にそう話しかける。
「一通りは。羽島さんはどうですか?」
「できたよ」
「ではお互い読み合わせをして、感想を伝え合いましょう」
「分かった」
カラオケルームは照明が適度に落とされている。今の今まで、カラオケを楽しんでいる時は私、愛瑠は楽しかったことをしていたはずだが、今は何かが化けて出そうな程薄気味悪い。早くここを出たい。そして日常生活に戻りたい―。その時の私は、そう思う一心であった。
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