(31) 生還の重み

 ゲートキーパーの停止から数時間後、「シルフィード:パールヴァティ」は、再び GCS・アイギス・ドックの格納庫に帰還した。前回とは異なり、機体は大きな損傷を負いながらも、その金色のリペア回路は力強く脈打ち、パイロットの「生還」を静かに示していた。


 アリス・リンドがコックピットから出てきた瞬間、格納庫を埋め尽くす整備士や兵士たちから、盛大な拍手が湧き上がった。その拍手は、ユキとシズクの悲壮な犠牲に対する「哀悼」ではなく、アリスが命懸けで勝ち取った「希望」と「生への賛歌」だった。


 しかし、アリスはその歓声の中を、まるで水の中を歩くように静かに、無表情で歩いた。彼女の顔は、喜びではなく、極度の疲労と、戦いの重圧に歪んでいた。


 医務室で簡単な検査を終えたアリスは、アラン大将の執務室へと呼び出された。部屋には、大将と、冷静な表情のエヴァンジェリン・カーク博士が待っていた。


「アリス少尉。素晴らしい戦いだった。君は、ユキ・セラ大尉とシズク・フェンネル少佐の『美学』を、『生還の美学』として完成させた。君の功績は、人類史に永遠に刻まれるだろう。」


 アラン大将は、深く、心からの言葉をアリスに贈った。


 アリスは、ソファに沈み込むように座り、震える声で尋ねた。


「大将…、ゲートキーパーは…完全に停止しましたか?もう、あの『愛を殲滅する論理』は、起動しませんか?」


 大将は、顔を曇らせた。


「ゲートキーパーは停止した。しかし、回収チームの報告では、そのナノマシン構造は完全に崩壊しておらず、『待機状態』にあると見られている。エヴァンジェリン博士が解析中だ。」


 エヴァンジェリンは、一歩前に進み出た。彼女の瞳には、勝利への安堵と共に、新たな探究心が宿っていた。


「アリス少尉。あなたが注入した『愛のノイズ』は、ゲートキーパーの『殲滅論理』を自己矛盾で破壊しました。しかし、ゲートキーパーが守護していた『バベルの遺産』は、ナノマシン構造の『情報の核』として、まだ内部に残っています。」


「情報の核…?」


 アリスは問い返す。


「そうです。ゲートキーパーの役割は、『英知』が『感情』すなわちノイズによって悪用されるのを防ぐこと。彼らは、その『核』を、『愛の論理』から隔離し、宇宙の遥か外縁へと逃がそうとしている…つまり、ゲートキーパーはまだ、最後の『逃走プログラム』を実行している最中です。」


 エヴァンジェリンの言葉に、アリスは再び絶望を感じた。彼女が命懸けで勝ち取った勝利は、まだ「終わり」ではなかったのだ。


「私たちは…まだ、戦わなければならないのですか…?」


 アリスは、唇を噛んだ。


 アラン大将は、静かに首を横に振った。


「戦いではない、アリス。これは、『未来への選択』だ。我々は、ゲートキーパーの論理に支配されることなく、『バベルの英知』を、平和的に利用するための道を探らなければならない。」


 大将は、エヴァンジェリンに視線を向けた。


「博士。君には、停止したゲートキーパーの『情報の核』にアクセスし、『シルフィード・プロトコル』を『愛の論理』で完全に書き換えるための『倫理的コード』の作成を依頼する。ユキとシズクの『英知』を、人類が『生』のために使い続けるための、『規範』を創り出すのだ。」


 エヴァンジェリンは、静かに、しかし力強く頷いた。


「承知いたしました。私は、ゲートキーパーが恐れた『愛』の真の力を、『知識』として定義し、『人類の未来を保証する倫理的規範』を構築します。それは、私の科学者としての究極の使命です。」


 アリスは、二人の会話を聞きながら、一つの疑問を抑えきれなかった。


「大将。博士。私がユキ大尉の『愛のノイズ』を使ったことで、ユキ大尉の『魂』は、どうなってしまったのでしょうか?彼女の最後のメッセージは、本当に私への『愛』だったのでしょうか?」


 この問いは、アリスの心を最も深く支配していた。彼女の勝利は、「愛」を信じた結果だ。もし、それが単なる「データ」だったとしたら、彼女の勝利は空虚なものになってしまう。


 エヴァンジェリンは、アリスの感情的な問いに、初めて科学的な回答ではない言葉を返した。


「アリス少尉。ユキ・セラ大尉が最後に発した『青い星は、君たちのものだ』というメッセージは、ナノマシン粒子に残された最高純度の情報でした。それが、『愛』でなければ、私は、その情報に『未来への希望』という名を付けません。」


 エヴァンジェリンは、アリスの肩にそっと手を置いた。


「私は、感情を排した論理の探究者です。しかし、あなたとゲートキーパーの戦いを見て、悟りました。ユキ大尉の『愛』は、『究極の自己犠牲戦略』という論理を超えた、『人類という種への、最も純粋な生への願望』だった。あなたは、その『魂』を継承したのです。」


 アリスは、エヴァンジェリンの、科学者らしからぬ「共感」の言葉に、涙を流した。彼女の「生還の美学」は、科学と感情、論理と愛、その両方によって、ここに完全に承認されたのだ。


「ありがとうございます…博士…」


 しかし、その安堵は長く続かなかった。


「大将、博士!」


 管制室から、緊張した通信が入った。


『ゲートキーパーの『情報の核』が、ナノマシンを再構築!奴は、ユキ大尉の『剣術』を、自己の論理を停止させることなく再現する、新たな機体へと進化しています!』


 エヴァンジェリンは、顔を青ざめさせた。


「ゲートキーパーは、『愛』に打ち勝つために、『愛』さえも排除した『純粋な殲滅論理』の機体、あえて言うなら『シルフィード:バベル』へと進化している!これは…私たちの想像を超えた、真のバベルの遺産です!」


 アリスは、再び立ち上がった。彼女の目には、迷いはもうない。


「大将。パールヴァティを再調整してください。私の『生還の美学』は、まだ終わっていません。『愛』を否定した論理に、『生きて帰る』という、人類の不完全な未来を、叩きつけます!」

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