(26) 譲れない誓い
GCS司令部に緊急警報が鳴り響く中、アリス・リンドはパールヴァティの格納庫へと急いでいた。ゲートキーパーの地球圏への再接近は、わずか数時間後と予測されていた。
格納庫では、整備クルーたちがパールヴァティに最後の調整を施している。金色のリペア回路は、彼女の初の出撃で受けたダメージを完全に修復し、機体は再び静かな光を放っていた。
アリスは、出撃前の緊張感に包まれながら、コックピットに乗り込まず、機体の傍らに立ち尽くした。彼女の頭の中には、エヴァンジェリンから託された「生への愛」を武器とする戦略と、ユキ・セラ大尉の「狂気の美学」が、激しく交錯していた。
「ユキ大尉。あなたは、本当に私に生きて帰れと望んだのですか…それとも、あの『ノイズ』は、私があなた方の『美学の完成』を妨げる、単なる邪魔なデータだったのでしょうか…」
アリスは、問いかける。答えは返ってこない。ただ、パールヴァティの金色の装甲が、静かに光るだけだった。
そこに、アラン大将が一人、静かにやってきた。
「アリス。出撃前の気分はどうだ?」
「恐怖はありません、大将。ですが、戸惑いがあります。ユキ大尉とシズク少佐の『美学』を、私は本当に否定してもいいのでしょうか。あの完全な散り際こそが、彼らにとっての『勝利』だったとしたら…」
大将は、パールヴァティの冷たい装甲にそっと手を触れた。
「ユキとシズクが求めたものは、『美学』という名の、『人類を救うための絶対的な殲滅戦略』だった。そして、彼らが最後に遺したものは、その戦略を未来に繋ぐための『英知』だ。」
大将は、アリスの目を真っ直ぐに見つめた。
「彼らは、『死の美学』をもって、人類を救った。君に求めるのは、その美学を否定することではない。『生還の美学』をもって、その『英知』を未来に繋ぐことだ。」
「生還の美学…」
「そうだ。『散りきった勝利』は、もう二度と必要ない。君は、ユキが最後に託した『愛』を証明する、人類の『希望の騎士』だ。彼らが遺した『死の美学』という名の『剣』を、君の『生への意志』という名の『盾』で受け止め、未来へ届けろ。それが、生き残った我々、そして君の、譲れない誓いだ。」
アリスの瞳から、迷いが消えた。彼女は、ユキとシズクの死を乗り越えるのではなく、その「愛」だけを抽出して、未来へと進むことを決意した。
「分かりました、大将。私は、必ず生きて帰ります。そして、ユキ大尉の『愛』が、単なるノイズではなく、『究極の勝利』であることを証明します。」
―同時刻:GCSの解析ラボ
エヴァンジェリンは、ゲートキーパーの構造解析を続けていた。彼女の表情は、冷静そのものだが、指先が
ラボの隅で、アラン大将の副官が、エヴァンジェリンに温かいコーヒーを差し出した。
「博士。アリス少尉に、最後の言葉は?」
「不要です。彼女には、私の抽出した『停止コード』と、彼女自身の『感情』という名のノイズがあれば十分です。感情的な励ましは、『非論理』として、彼女の集中を乱す。」
エヴァンジェリンは、冷たく答えた。彼女にとって、アリスは、ゲートキーパーを停止させるための、「最高性能の演算機」に過ぎなかった。
しかし、副官は、静かに笑った。
「博士。アリス少尉は、ユキ大尉の『愛』が、情報戦略だと理解しています。ですが、彼女にとって、その『愛』は、単なるデータではなく、『命の支え』です。その『生きたいという本能的な感情』こそが、ゲートキーパーを混乱させる、最も強力な武器なのです。」
副官の言葉に、エヴァンジェリンは初めて、解析の手を止めた。
「…人類の『感情』とは、常に『非効率』で、『自己矛盾』を
エヴァンジェリンは、自身の探究の動機を思い返した。彼女が「バベルの遺産」を追い求めるのは、自己の存在意義と、宇宙の真実を知りたいという、極めて個人的な「欲求」からくるものだ。それは、論理ではない、感情だった。
彼女は、コーヒーを一気に飲み干すと、再び解析に戻った。
「副官。私の故郷の星は、かつて『愛』という名の感情で、敵を殲滅しようとした結果、滅びました。感情は、剣となり、盾となり、そして、自己破壊へと繋がるノイズです。私は、アリス少尉に、その『ノイズ』を最大限に利用し、『生きて帰る』という『論理的勝利』を収めてもらいたい。」
彼女の言葉には、冷たさの中に、アリスの「生還」を強く願う、微かな「共感」が混じり始めていた。エヴァンジェリン自身もまた、「愛」を否定しながら、アリスの「愛」による勝利を、「知識」という名の「希望」として、強く望み始めていたのだ。
―同時刻:宇宙空間
全艦隊が、ゲートキーパーの予測進路上に展開を完了していた。数に勝る人類の艦隊だが、ゲートキーパーの圧倒的な質量とテクノロジーの前に、その表情は硬い。
「GCSより、パールヴァティ出撃の報!全艦、『青い星の騎士』を援護せよ!」
アラン大将の通信が、艦隊全体に響き渡る。
その頃、パールヴァティは、太陽系外縁へと静かに加速していた。コックピットの中で、アリスは、目を閉じてユキの「最後の意識の断片」を、もう一度、深く意識に焼き付けた。
《ユキ・セラ大尉:最後の意識の断片=ノイズ:「…青い、星…」》
(ユキ大尉、シズク少佐。あなた方の「愛」は、私の中で、「生きて帰るための、譲れない誓い」となりました。)
彼女は、「シルフィード:パールヴァティ」のシナジー・システムに、自らの「生きたいという情熱」を、ノイズとして満たした。
「愛」という名の、最も非論理的で、最も強力な情報兵器を起動し、アリスは、ゲートキーパーの静かな、冷酷な光を真正面から見つめた。
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