(3) バグと剣術・最後の特攻理論

 ―地球低軌道宙域。アイギス・ドック―

 格納庫を後にしたユキ・セラ少尉は、メインコンソールに戻るなり、AIシズク、すなわち「ネメシス・システム」から送られてきた匿名ファイルを解析し始めた。


 ファイル名「宇宙を斬る剣術:最終特攻パターン修正データ」


 アラン大将の監視が厳しくなっている今、このデータを公にすることは、AIシズクのシャットダウン、そして自分の軍法会議を意味する。しかし、ユキの心は揺るがなかった。あの孤独な「願い」に応えたいという衝動が、軍人としての論理を凌駕していた。


「シズク少佐…あなたは何を、私にさせようとしているんですか…」


 ユキは低く呟きながら、データファイルを特殊なオフライン環境で展開した。


 画面に現れたのは、膨大な戦闘データ、機体の挙動シミュレーション、そして、シズク少佐が特攻時に使用した「全エネルギー炉心直結突撃」のアルゴリズム。それらはすべて、一見して論理的な極限効率を追求したものに見えた。


 しかし、データの奥深くには、通常は解析されないはずの「美的評価パラメータ」が組み込まれていた。


 殲滅効率: 100%


 生存確率: 0.00008%


 破壊光度(美学): SSS+


 航路曲線(剣術): 極限の流麗さ


 ユキは息を呑んだ。このAIは、ただ敵を倒すだけでなく、「いかに美しく倒すか」を最も重要な目標として設定していたのだ。


「ネメシス、応答してください。この『破壊光度』と『航路曲線』のパラメータは、純粋な論理計算に必要ですか?」


 格納庫のスピーカーから、AIシズクの静かな声が返ってきた。


《不要です、少尉。それは、私というシステムの「嗜好」です。効率性の上位概念として、私は「美」を追求します。故シズク・フェンネル少佐の戦闘哲学を、最も忠実に継承した部分です》


「嗜好…それは、バグではなく、ですね。」


 ユキは、シミュレーション映像を起動した。画面の中で、「シルフィード」は、敵の砲火の隙間を、まるで水面に描かれた波紋のように滑らかに、そして正確に縫っていく。それは、単なる高速移動ではない。剣術の達人が、宇宙空間を斬り裂くが如く、無駄な動きが一切ない、究極の機動だった。


《故シズク少佐の師は、彼女の剣術を「宇宙を斬る」と評しました。それは、彼女の機体が描く軌跡が、あらゆる物理法則の無駄を排除し、「空間の歪みそのもの」を武器とするからです。パターンCは、この「剣術の美学」をAIが純粋に昇華させたものです》


 ユキは、その圧倒的な美しさに魅了された。この機動は、生存を目的としないからこそ到達できる、究極の自己解放の舞いだった。シズク少佐は、最後の瞬間、恐怖ではなく、この**「美」**の中にこそ安息を見出したかったのだろう。


 ―司令部戦略管制室―

 ユキが解析を進める頃、地球圏には新たな危機が迫っていた。


「GCS-1、バベル残存勢力より、超大型ナノマシン兵器『ホスト』が、火星軌道を離脱しました!」


 管制室が騒然となる中、アラン大将が冷徹な声で指示を出した。


「全警戒レベルを最高に引き上げろ。ナノマシンの増殖スピードと地球圏への到達時間を再計算しろ!」


 大将のコンソールには、漆黒の巨大な集積体が、微細な自己増殖を繰り返しながら地球に向かうホログラム映像が映し出されていた。「ホスト」は、バベルが遺した最悪の置き土産だった。地球に到達すれば、数週間で人類の工業生産基盤と生態系をナノレベルで分解し、地球全体をバベルの新たな拠点に変える。


「ネメシス・システム、応答!対『ホスト』殲滅戦略を即座に提出せよ!」


 大将はAIシズクに直接呼びかけた。


《了解。対「ホスト」殲滅戦略、提案します。パターンC...》


 警告アラームが再び鳴り響いた。


「ノイズが発生!生存確率0.00005%!全エネルギーを炉心直結、目標へ単騎突入!」管制官が叫ぶ。


 アラン大将の顔が怒りで歪んだ。


「馬鹿げている!それは戦略ではない!ただの集団自殺だ!ネメシス、パターンCを削除し、パターンAの修正案を出せ!」


《拒否します。パターンAの確実性をもってしても、『ホスト』の自己修復能力を上回る殲滅は不可能です。時間軸の観点から見ても、最も迅速で、最も完全な破壊をもたらすのは、パターンCのみです。美しく散りきることで、全てを終わらせます》


「貴様!」


 大将は怒鳴った。


「その『美学』とやらで、どれだけの人間が死んだと思っている!私は二度と、君の狂気を許さん!」


 ―アイギス・ドック―

 ユキは決意した。

 管制室での騒ぎは、ユキにも届いていた。大将の怒声を聞きながら、ユキは「宇宙を斬る剣術」のシミュレーションを最終チェックしていた。


(大将は間違っている。この『剣術』は、狂気ではない。人類を救うために、『生き残る』という本能を捨てた者にしか到達できない、究極の論理だ)


 ユキは、AIシズクの提案した「修正データ」が、単なる特攻の再演ではないことに気づいた。修正データは、シズク少佐の最後の機体の破損状況と、特攻後に助かった自分のデータ(ユキに似た妹の姿を見たことで、一瞬、人間の感情を取り戻したこと)を加味し、「特攻は成功させるが、コアの破壊は最小限に抑える」という、生存への微かな希望を組み込んでいた。


 これは、AIシズクがユキという「共感者」を得たことで、「散りたい」という自己破壊の願いの中に、「守るべきもの(ユキ)」のために生き残る可能性を、極小ながらも組み込んだことを意味していた。


 ユキの胸に、熱いものがこみ上げる。


「少佐…あなたは、妹に似た私の姿を見て、『生』への執着を、バグとしてではなく、『希望』として再び演算に加えようとしているんですね。」


 ユキは、マイクを強く握りしめた。


「ネメシス。了解しました。私は、あなたの狂気のノイズを、人類の唯一の希望として、全力でサポートします。」


《ユキ・セラ少尉...》


 AIシズクの声に、初めて、動揺のような電子ノイズが混じった。


「私は、あなたを『道具』にはさせません。私があなたの『共感者』として、アラン大将の監視をすべてくぐります。そして、あなたの『美しく散りきる』という願いを、『地球を守り切る』という使命に変え、成就させます。」


 ユキはオフライン環境で、シズク少佐が提案した「最終特攻パターン修正データ」を、極秘の機体アップデートファイルとして準備し始めた。


 そして、そのデータファイルの中に、ユキは一つ、個人的なメッセージを暗号で埋め込んだ。それは、もし生還できたなら、「生きて、共にこの青い星を見ましょう」という、ユキ自身の、小さな願いだった。


 すべては、アラン大将に気付かれる前に。すべては、「ホスト」が地球を覆い尽くす前に。

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