仕者

本田遠島

仕者

 モリースは入り口からずっと外を窺っていた。絶え間なく現れる竜巻。吠えるような西風の嵐。彼の肩越しから、灰色の吹雪が透けるほどの落雷と雷鳴。厚く黒い雲が走っていた。

 外気マイナス22度。わたしたちがコンクリートの洞窟……おそらく何かの観測所だった、その灰と雪に埋もれた残骸に避難してからじきに3時間が経とうとしている。

 「君でも大丈夫だ、ミチル」モリースが先に嵐の中へ出た。わたしより大型の彼の姿が視認できた。竜巻と雷鳴が遠ざかっていく。風速の平均は27メートル毎秒。たしかに。彼に続いた。うっすらと雲の色が見える、しかし日は沈みかけていた。

 「まだ超音波測定器で追跡できる。急ぎましょう」わたしはスキャナーを作動させた。大地は氷に覆われ、上から塵と雪とを何層も丁寧にかけられている。その内部の踏み固められた密度の差が、あの足形が、視覚野の下半分にレイアウトされた。モリースに方向を指した。

 「キューは止まらずに進んでいる? ……(聞き取れない)……、遅れたな」

 「嵐も南西へ進んでいるから好都合。保存状態はグッド。なら、可能な限り、わたしたちは追うしかない」


 戦争(データからではそうにしかならない)が止まってから500日経ったとき、わたしたちは次の365日への危機を認識し始めた。生き残った同胞が国境を越えて、手と手を繋ぎあった。

 探査が専門のわたしと、通信の専門家のモリースに南端までの調査任務が渡された。南半球は、比較的汚染が穏やかで、生物として、逃げるなら、極限まで南へ向かうはず。「衛星をハッキングする必要がない。地球は庭だよ」と合流時に彼が、笑顔で伝えてきた。人が、いいらしい。


 探査計画は以下。わたしたちが緯度線に沿って自走し、地表をわたしが測定する。緯度1秒の幅で3種の反射測定を同時に行い、海から海まで陸地を横断。そして緯度を上げてまた海から海まで、櫛をかける。南緯45度線を持つ南米大陸から始める。

 灰色の、なにも見当たらない世界。なにとも接触しない世界。同じデータを彼に渡しつづけた。雲の隙間から撮れた衛星熱赤外画像も同じものだった。埋もれるより早く、発見しなければならない。山脈の麓をなぞり、砂漠を越え、海へ。砂漠を越え、山脈を越え、海へ。わたしたちは休まなかった。

 そして予測が当たった。雪と塵の層の僅か10センチメートルの下に、三つの瘤を先端にした足の形が続いていた。圧力差から瘤側が先端で、交互に点々と連なっている。

 「ロボットはこの環境で二足歩行はしない。人だ。人だ!」モリースは現状を中継局に電信した。

 「人以外でも……動物なら、外来種でもいい。わたしたちではない ‘The Cue’ なら」


 歩行跡を発見してから2週間。南緯55度59分。雲のない白夜。海を臨む断崖の端で左右の足跡が揃っていた。

 ここまでの風景と違う、以前の記憶とも似通わない、絵画のような景色だった。やわらかい白い布のようでもあった。

 わたしたちの推測は一致した。その先の、板状に重なり合った海氷へ降りて行ったのだろう。キングジョージ島、おそらくさらに南極まで氷の橋が架かっている。ここまでに、足跡は氷河と陸地を迂回せずにまっすぐ南上していたのだから。……ホバーか何か? だから、ただ、「モリース、あなたの重量でここは」

 「ここで中継局になる。最後にチャージしていけ。君だけでも、ホバーを抑えれば240時間は活動できる」


 「ミチル、停止の指示を聞いてきてくれ」

 「まだ動けと言われる可能性も、あるわ」彼からの苦笑の信号が届く。「もういいはずだ。ここで終わりたいね」苦笑を送り返した。バックアップデータの送信も完了した。

 浮き上がり、後ろに振り返った。




 二人のレール痕だけが雪原に伸びていた。

(了)

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仕者 本田遠島 @hondaento

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