第3話:銀閃のソロプレイヤー

『ハローワールド・オンライン』のサービス開始から、五日が過ぎた。

 始まりの街『テラ・オリジン』は、初期の喧騒が嘘のように落ち着き、プレイヤーたちはそれぞれの目的を持って、思い思いの冒険へと旅立っている。


 そして、俺もまた、自分だけの道を突き進んでいた。


【ステータス】

 名前: Masosu (マソス)

 レベル: 12

 スキル: 【絶対言語理解】(スキル枠3/3使用)


 俺のレベルは12。まぁパーティを組んで効率的に狩りをしている連中はとっくに30レベルを超えているらしいが…それに比べれば、間違いなく遅れている。だが、スキルなしのソロプレイヤーとしては、我ながら驚異的なペースと言っていいだろう。

 俺はあの日以来、来る日も来る日もモンスターを狩り続け、『ささやきの森』を抜け、今では推奨レベル10以上の狩場である『迷いの湿地帯』にまで足を運んでいた。

 装備も、ドロップした素材を元手に生産職のプレイヤーに依頼し、初期装備からは一新。『硬化レザーアーマー』に、攻撃速度を重視した細身の剣『スティング』。そして――俺の生命線である、右手中指に輝く【瞬身の指輪】。


 この五日間で、俺の戦い方は劇的に進化した。

 その噂は、どうやら俺が知らないところで、少しずつ広まっているらしい。


 湿地帯の入り口付近、安全地帯で休息を取っているパーティの横を通り過ぎた時、彼らの会話が微かに耳に入ってきた。


「なあ、聞いたか?『銀閃』の話」

「ああ、スキルを使わないで、敵の攻撃を避けながら戦うソロの剣士だろ?」

「そうそう!俺のフレンドが見たらしいんだけど、格上のリザードマン相手に、攻撃を全部ひらりひらりとかわして、反撃の一瞬だけ銀色の光が閃いて、それで倒しちまったんだって」

「マジかよ……縛りプレイか何かかな?かっけーな」


 俺はフードを目深に被り、口元が緩むのを隠しながらその場を通り過ぎる。

 銀閃、か。悪くない二つ名だ。俺の戦い方を的確に表している。


 俺は湿地帯のぬかるみに足を取りながら、今日の獲物を探す。

 いた。沼地からぬらりと姿を現す、一体の『マーシュリザードマン』。爬虫類特有の素早い動きと、鋭い槍によるリーチの長い攻撃が厄介なモンスターだ。

 以前の俺なら、苦戦は免れなかっただろう。だが、今は違う。


「――来いよ」


 俺の挑発に応じるように、リザードマンが甲高い奇声と共に槍を突き出してきた。

 狙いは正確無比。常人なら回避不能の一撃。


 だが、俺の目には、その槍の穂先がスローモーションのように映っていた。

 俺は体を滑り込ませるように、槍の側面へと踏み込む。槍が俺の背中をミリ単位で掠めていく。


 その瞬間、右手の指輪が、チカリと銀色の光を放った。

 パッシブスキル《残心》、発動。


「――もらった!」


 回避と同時に、俺の体は既に追加攻撃へと移行している。体勢を崩したリザード-マンの脇腹へ、流れるような動きで剣『スティング』を叩き込む!


 ザシュッ!


 CRITICAL!! -82


 リザードマンのHPバーが、一撃で三分の一ほど削り取られる。

「グギャァァ!?」

 苦痛の声を上げるリザードマンが、即座に槍を薙ぎ払ってくる。だが、それも遅い。

 俺は身をかがめて薙ぎ払いを回避。再び指輪が光る。すかさず、がら空きになった足に追撃!


 CRITICAL!! -79


 もはや、これは戦闘というより「作業」に近い。

 敵の攻撃モーションを見切り、避ける。指輪が光る。クリティカルを叩き込む。

 この一連の流れが、俺の中で完璧なループとして確立されていた。

 防御は最大の攻撃。俺の戦いは、まさにその言葉を体現していた。


 数回の攻防の後、リザードマンは断末魔を上げることすらできずに光の粒子となった。

 戦闘時間は、わずか30秒。あれだけ苦戦したシャドウ・ウルフが嘘のようだ。


「……気持ちいいくらい、ハマるな」


 これが、【瞬身の指輪】と、俺のスキルが生み出すシナジー。

 この戦い方は、他の誰にも真似できない。スキルに頼るプレイヤーには、そもそも「回避した直後に攻撃する」という発想自体がないだろうからだ。


 俺はリザードマンがドロップした素材を拾うと、再び湿地帯の奥へと目を向けた。

 あの日、リナの誘いを断ったことに、もう後悔はない。

 むしろ、感謝すらしていた。

 あの時パーティを組んでいたら、この戦い方を見つけることはなかっただろう。この、孤独だが確かな手応えのある道を、知ることもなかった。


 俺は俺のやり方で、この世界の誰よりも速く、そして高く、登り詰めてみせる。

 銀色の指輪を握りしめ、俺は一人、まだ見ぬ強敵を求めて、ぬかるんだ大地を迷いなく進んでいった。


 湿地帯の奥に進むにつれて、足元のぬかるみは深くなり、瘴気のような紫色の霧が立ち込め始めていた。この先に、このエリアの主がいる。肌をピリピリと刺すようなプレッシャーが、それを教えてくれた。


 俺は警戒レベルを最大に引き上げ、慎重に歩を進める。

 その時だった。


「……グルッ」


 低い、湿った鳴き声。

 ぬかるんだ水面が盛り上がり、一体のモンスターが姿を現した。

 人の頭ほどの大きさの、巨大な蝦蟇(ガマ)。背中には、不気味な紫色に脈動する無数の水疱がついており、見るからに毒々しい。


『コヌマドクガマ』…沼の子毒蝦蟇、か。


「腕試しには、ちょうどいい」


 俺は剣を構える。蝦蟇は、その巨体に見合わない俊敏さで、地面を蹴って飛びかかってきた。狙いは、長い舌による一撃。

 俺はその動きを冷静に見切り、半歩だけ動いて最小限の動きで回避する。


 ――チカリ、と指輪が光る。《残心》発動。

 いつものように、完璧なカウンターのタイミング。がら空きになった蝦蟇の腹に、流れるように剣を突き立てた。


 ザシュッ!

 CRITICAL!! -102


 会心の一撃。HPゲージが大幅に削れる。

 よし、これも楽勝だ――そう、思った瞬間だった。


 ブシャァッ!!


 俺の剣が突き刺さった場所から、蝦蟇の背中の水疱が一つ、弾け飛んだ。

 そこから噴出した紫色の霧を、至近距離で浴びてしまう。


《状態異常:毒を受けました》


「なっ……!?」


 視界の隅に表示された、無慈悲なシステムメッセージ。HPが、チリチリと少しずつ削られていく。

 なんだ、この攻撃は!?


 コヌマドクガマは、ダメージに怯むことなく、再び跳躍して距離を取る。

 俺は慌ててアイテムポーチから解毒薬を取り出して呷った。


「そういうカラクリか…!」


 厄介な敵だ。

 こいつの毒は、特定の攻撃モーションがあるわけじゃない。俺がカウンターを決めて、ダメージを与えた瞬間に、その反撃として毒霧をばらまくんだ。

 俺の戦い方は、回避した直後、敵に密着してカウンターを叩き込むのが基本。

 その戦法が、この敵の前では、自ら毒を浴びにいく自殺行為になっている。


「くそっ…!」


 再び蝦蟇が飛びかかってくる。俺はそれを避ける。指輪が光り、《残心》が発動する。

 絶好のカウンターチャンス。だが、俺は一瞬ためらった。ここで攻撃すれば、また毒を浴びる。


 その一瞬の迷いが、命取りになりかけた。

 体勢を立て直した蝦蟇の、次の舌攻撃が俺の頬を掠める。


「ぐっ…!」


 このままじゃジリ貧だ。解毒薬の数には限りがある。

 どうする。俺の「完璧なループ」を、どう変える…?


 ――そうだ。

「回避→カウンター」までは同じ。だが、その後だ。

 一撃入れたら、すぐに後ろへ跳んで離脱する!


 次の突進を、俺は紙一重でかわす。

 指輪が光る。カウンターを叩き込む!

 そして、蝦蟇の背中から毒が噴き出す、そのコンマ数秒前に、俺は地面を蹴って大きくバックステップした。


 紫色の霧が、俺がいた空間を覆う。…よし、避けられた!

 だが、この戦い方は、隙が大きい。すぐに追撃に移れない分、戦闘時間が長引く。精神的にも、体力的にも、消耗が激しい。


 それでも、やるしかない。

「回避・カウンター・離脱」。

 俺は新しい戦いのリズムを体に叩き込み、じりじりと、だが確実に、コヌマドクガマのHPを削っていく。


 数分後。

 最後のクリティカルを叩き込んで離脱した俺の背後で、コヌマドクガマは断末魔も上げずに光の粒子となった。


「はぁ…はぁ……」


 勝った。勝ったが、今までのようにはいかなかった。アイテムも消耗した。

 何より、俺の「必勝パターン」が、いとも簡単に破られたという事実が、重くのしかかる。


 俺は霧の立ち込める、湿地帯のさらに奥を見据えた。

 あそこにいるエリアボス…間違いなく、こいつの巨大な親玉だ。

 あのボスの毒霧は、きっとこんな小さなものじゃない。もっと広範囲で、強力なはずだ。


 今の俺の戦い方じゃ、勝てない。

「回避カウンター」戦法は、敵に密着するのが前提だから、攻撃を受けると毒をばらまく相手とは、相性が最悪なんだ。


「……対策、か」


 初めて、明確な課題が見えた。

 このままじゃダメだ。何か、新しい戦術か、毒を防ぐための特別な装備か、何かを見つけないと。

 次への目標が、はっきりと定まった瞬間だった。

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