第2話:孤高と、むき出しの後悔

 リナと別れ、一人になった草原に夕暮れの赤い光が差し込んでいた。

 他のプレイヤーたちは、今日の冒EM>険を終えて満足げな顔でパーティメンバーと語らいながら、始まりの街『テラ・オリジン』へと帰っていく。男女混合のパーティが、楽しげな笑い声を上げながら俺の横を通り過ぎていく。その喧騒が、今はやけに胸に刺さった。


「……さて、俺も狩りの続き、と」


 虚勢を張って、俺は再びワイルドボアに戦いを挑んだ。

 さっきリナと戦った時と同じように、突進をひらりとかわし、無防備な側面に的確に剣を叩き込む。一人でも、問題なく倒すことができた。


 だが。


「……時間、かかりすぎだろ……」


 ドロップした素材を拾いながら、俺はがっくりと肩を落とした。

 リナがいれば一瞬だった。狩りの効率が段違いだ。レベル上げもずっと楽になる。

 ……いや、違う。今俺が後悔しているのは、そんな合理的な理由だけじゃない。


「……にしても、リナ。普通に可愛かったな……」


 思わず、本音が口から漏れた。

 思い出されるのは、俺の戦い方を見て、目をキラキラさせていた彼女の姿。少し上ずった、真剣な声。パーティに誘ってくるときの、期待に満ちた表情。


 俺の人生で、あんな子の方から誘われたことなんて、一度だってあったか?

 いや、ない。断言できる。

 その千載一遇のチャンスを、俺は……『縛りプレイだから』?


「バカか俺はッ!!」


 俺は拾い上げた牙を、思わず地面に叩きつけそうになった。

 カッコつけてる場合か!この朴念仁が!

 あそこで「よろしくな!」って快諾してれば、今頃、夕焼けを背にリナと二人で狩りをしながら、くだらない話で笑い合っていたかもしれないんだぞ!


 それが現実だ。ゲームじゃない、もう一つの現実なんだ。

 なのに俺は、たかだかゲームの矜持(しかも元はと言えばただのハンデ)のために、その可能性を自らドブに捨てた。


 パーティを組んでいれば、狩りの効率は倍以上。おまけに可愛い女の子との会話付き。

 パーティを断った俺の現状は、孤独なソロプレイ。話し相手は、目の前に転がる猪の死体だけ。


「……最悪だ」


 満足感なんて、とっくに消え失せていた。

 あるのは、自分の判断への猛烈な後悔と、どうしようもないむき出しの欲求だけだ。


「……こうなったら、ヤケだ」


 このどうしようもない気持ちを振り払うには、もっとギリギリの戦いに身を投じるしかない。

 後悔で頭がおかしくなる前に、戦闘でアドレナリンを出すんだ。


 俺は草原の先、薄暗い『ささやきの森』へと、自棄っぱちに足を進めた。

 推奨レベルは5以上。今の俺には、明らかに格上の狩場だ。

 森の中は昼間だというのに薄暗く、不気味な風切り音が木の葉を揺らしている。


 その時、茂みの中から、低い唸り声と共に二つの紅い光がこちらを睨んだ。

 黒い霧のような体毛を纏った、一匹の狼。その名は『シャドウ・ウルフ』。


「……いいぜ、来いよ」


 俺は剣を構え、シャドウ・ウルフの殺気に全神経を集中させる。

 可愛い女の子とのパーティを棒に振った俺の怒り、その全部を、お前にぶつけてやる。


「悪いが、八つ当たりに付き合ってもらうぞ!」


 シャドウ・ウルフが、低いうなり声をあげている。

 次の瞬間、ウルフの姿がブレた。速い!

 一直線の突進ではなく、左右にフェイントをかけながら、最短距離で懐に潜り込もうとしてくる。ワイルドボアとは比べ物にならない、狩人の動きだ。


 俺は勘と経験を頼りに、最小限の動きでその牙をかわす。頬を掠めた牙が、ヒリヒリとした痛みをアバターに与えた。一撃でも食らえば、致命傷になりかねない。


「こいつ……弱点がどこか、見えねえ!」


 スライムやボアと違い、シャドウ・ウルフには明確なコアや弱点が見当たらない。ただ闇雲に攻撃しても、黒い霧のような体毛に阻まれて、ほとんどダメージが通らなかった。

 防戦一方。じりじりとHPを削られ、俺は慌てて初期支給品のポーションを呷った。


 このままじゃジリ貧だ。どうする。

 俺はウルフの猛攻を必死でいなしながら、活路を探す。

 ――攻撃を、仕掛けてくる瞬間。

 牙を剥き、喉を掻き切ろうと飛びかかってくる、その一瞬だけ。

 ほんの一瞬だけ、首元の体毛が逆立ち、守りが薄くなる……!


「そこだッ!」


 俺は賭けに出た。

 次の一撃を避けるのではなく、半身で受け流しながら、カウンターを叩き込む。

 ウルフの牙が俺の肩を浅く引き裂き、激痛が走る。だが、構うものか!

 がら空きになった喉元へ、ありったけの力を込めて、剣を突き刺した。


 グォンッ!


 確かな手応え。

 CRITICAL!!の文字が、今までで一番大きく見えた。


 シャドウ・ウルフは悲鳴を上げる間もなく、その場に崩れ落ち、光の粒子となって霧散していく。


「はぁ……はぁ……」


 俺はその場に膝をつき、荒い息を繰り返した。HPは残り一割。本当に、ギリギリの戦いだった。

 だが、勝った。格上の敵に、たった一人で。

 リナと別れた後悔など、この達成感の前ではすっかり消し飛んでいた。


「よし、案外何とかなるもんだな」


 勝利の余韻に浸っていると、ウルフが消えた場所に、数個のドロップアイテムが転がっているのに気がついた。

『狼の牙』『黒い毛皮』……まあ、普通の素材だな。そう思って、アイテムを拾い上げた時。

 その中に一つだけ、他とは違う、鈍い銀色の輝きを放つ指輪があった。


「……レアドロップか!」


 サービス初日で、しかもソロで。信じられない幸運だった。

 震える指で、俺はその指輪の鑑定ウィンドウを開く。


【瞬身の指輪】

 ・レアリティ:レア

 ・装備効果:

 AGI(敏捷性)+5

 パッシブスキル《残心》:敵の攻撃を回避した直後、1秒以内に行う次の通常攻撃のクリティカル率が大幅に上昇する。


「…………おい、マジかよ」


 俺は、その説明文を何度も何度も読み返した。

 AGIの上昇は、回避主体の俺にとって純粋にありがたい。だが、重要なのはそこじゃない。

 パッシブスキル、《残心》。

 敵の攻撃を避けて、カウンターを入れる。

 それは、スキルがない俺が、必死で編み出した唯一の戦術。

 その戦い方を、そっくりそのまま肯定し、さらに強化してくれるかのような、奇跡的な効果だった。


 タンク職のプレイヤーや、後衛の魔法使いには、ほとんど意味をなさないだろう。

 だが、俺にとっては?

 これ以上の装備が、この世に存在するとは思えなかった。


 俺は吸い込まれるように、その指輪を指にはめた。

 全身に力がみなぎるような感覚。さっきまでの戦闘の疲れが吹き飛んでいく。


「……そうかよ」


 俺は空を見上げて、独りごちた。

 パーティを組まず、一人で戦う。それは、寂しくて、効率の悪い、ただの意地っ張りな道だと思っていた。


 だが、違ったのかもしれない。


 俺は再び剣を握りしめた。

 ほんの少しの寂しさも、もうそこにはなかった。

 指に光る銀色の指輪と共に、俺は新たな自信を胸に、薄暗い森の奥へと、迷いなく足を踏み入れていった。


 森の奥へ進むほどに、木々は鬱蒼と茂り、獣の気配が濃くなっていく。

 だが、俺の心は不思議と凪いでいた。指に光る【瞬身の指輪】が、確かな自信を与えてくれる。


 その時だった。

 茂みの中から、三対、六つの紅い光が、俺を囲むように現れた。


「……シャドウ・ウルフが、三匹」


 一体倒すのでさえ、死ぬ寸前だった相手。それが、同時に三匹。

 以前の俺なら、迷わず踵を返して逃げ出していただろう。

 だが、今は違う。


「……やってやる」


 俺は剣を抜き、重心を低く落とす。

 最初に動いたのは、正面の個体だった。地面を蹴り、一直線に喉元を狙ってくる。

 速い。だが、さっき戦った時より、なぜかその動きがゆっくりと見えた。


 ――AGI+5の恩恵か!


 俺は最小限の動きで牙をかいくぐる。

 その瞬間、指にはめた指輪が、淡く、心臓の鼓動とリンクするように光った気がした。


《残心》――スキルが発動する。

 全身の神経が研ぎ澄まされ、世界がコンマ数秒だけスローモーションになるような、究極の集中状態。

 空振りして、体勢が崩れたウルフの首元が、無防備に晒されている。


 ――ここしかない!


 俺は体を翻し、回避の勢いをそのまま乗せて、カウンターの斬撃を叩き込んだ。


 ザシュッ!!


 CRITICAL!!


「グッ!?」


 今までとは比べ物にならない、深い手応え。

 通常なら数発は必要なはずのシャドウ・ウルフが、たった一撃で致命傷を負い、光の粒子となって消えていく。


「……すげえ」


 これが、俺の戦い方。これが、《残心》の力。

 だが、感心している暇はなかった。残りの二匹が、左右から同時に飛びかかってくる。挟み撃ち。絶体絶命の状況だ。


 ――だが、好都合!


 俺は右から来たウルフの突進を、あえて懐に潜り込むようにして避ける。

 再び《残心》が発動。俺の狙いは、右のウルフじゃない。

 回避したことで生まれた一瞬の隙。その先にいる、左のウルフの喉元へ!


「一匹!」


 カウンターの刃が、左のウルフを正確に捉える。そいつもまた、一撃で沈黙した。

 残るは、俺の背後を取ったはずの、右のウルフのみ。

 俺は振り向きざまに剣を構える。


「……お前で、終わりだ」


《残心》が発動し指輪が銀色に光る。

 もはや、それは死の宣告にも等しかった。

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