第13話 公衆の面前での崩壊と、情報屋の策謀
ロゼリアの魂の叫びと、魔獣の血に塗れたライナス・グレイの盲目的な献身宣言は、ロゼリアの極限まで張り詰めていた精神の糸を完全に断ち切った。
「…あ…あぁ…」
ロゼリアのアメジストの瞳から光が失せ、彼女の華奢な体は支えを失って、血塗れのライナスに、力なく倒れ込んだ。
『私の平穏は……誰にも……』
ロゼリアの意識は闇に沈み、彼女の最後の抵抗は、ライナスの胸に抱かれるという最も皮肉な形で幕を閉じた。
ロゼリアが気を失い、ライナスに抱きかかえられた瞬間、狩猟大会の森は静寂に包まれた。しかし、その静寂を打ち破ったのは、ロイヤルブルーの乗馬服を纏った王太子エドガーの激しい怒号だった。
「ライナス! 何を遊んでいる! 直ちに侯爵令嬢を放せ!」
エドガーは馬を急行させ、ライナスの前に躍り出た。その顔は、怒りよりも婚約者への独占権を侵害されたことへの侮辱に歪んでいた。
血まみれのライナスは、倒した魔獣の死体と、気を失ったロゼリアを背後に庇い、王太子を睨みつけるという、前代未聞の不敬を働いた。
「殿下。私はロゼリア様からの魂の叫びを、確かに聞きました。貴女の支配から逃れ、平穏を求める魂の叫びを」
ライナスの琥珀色の瞳は、もはや忠誠ではなく、ロゼリアへの献身という名の狂信的な独占欲に燃えていた。
「殿下は、ロゼリア様の望みを知ろうとせず、ただ管理しようとされた。私の正義は、貴女の支配下にあるロゼリア様を守ることではありません。孤独に抗うロゼリア様を守り、真の平穏を与えることです!」
ライナスの反逆宣言は、周囲の貴族たちに衝撃を与えた。エドガーの激しい独占欲と、ロゼリアの完璧な悪役令嬢の仮面が公衆の面前で完全に剥がされた瞬間だった。
エドガーは怒りに震えたが、ライナスが血まみれでロゼリアを抱きかかえている状況は、武力行使をためらわせた。
「……いいだろう、ライナス。その献身が裏切りでないことを祈るぞ。侯爵令嬢を連れて直ちに王城へ戻れ。私が直接、その真意を聞く」
エドガーは、ロゼリアが自分の支配から逃れようと、ライナスという「駒」を利用したのだと誤解し、彼女へのヤンデレ的な支配をさらに強化することを決意した。
このカオスを遠くから静かに見つめていた男がいた。情報屋シリル・ジェットブラックだ。
(ほう。騎士ライナスが王太子殿下に刃向かい、ロゼリア嬢は公衆の面前で完璧な令嬢の仮面を捨てた。これは……特大の利益だ)
シリルは、この混乱こそ、彼が仕込んだ醜聞の種を爆発させる最高のタイミングだと見抜いた。
彼は、周囲の貴族たち、特にエドガー王太子への不満を持つ勢力の中心に、真実とは限らない囁きを流し始めた。
「ご存知か? あの侯爵令嬢ロゼリア嬢、実は以前、魔力制御講義で制御不能な規格外の魔力を暴走させたそうだ」
「さらに、彼女は最近、裏社会の情報屋と接触し、自らの婚約破棄を企てているという噂だ……王室への反逆ではないか?」
シリルが流した情報は、「
この情報の拡散は、エドガーの独占を正当化する一方で、ロゼリアが持つ秘密の価値を最大限に高めた。
その頃、森の隅で、使用人ノアは主人の崩壊を目撃していた。
(ロゼリア様は、あんなにも怯えている。誰にも頼れず、自分自身を守ることもできずに……)
ノアの純粋な保護欲は、ロゼリアの弱さを見て、「私がロゼリア様を救わなければならない」という強い使命感へと変貌した。彼はシリルが流した醜聞を、「主人を傷つける悪」として深く憎んだ。
ロゼリアが気を失ったことで、五人の男たちの間には、「誰がロゼリアの壊れた心と、秘密の才能を独占するか」という、修復不可能な対立が生まれた。
ロゼリアの「平穏に生きたい」という願いは、今や五人の男たちによる、狂気の独占競争という、最大の地獄を生み出したのだった。
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