第12話 狩猟大会と、独占の宣戦布告
特別講義での魔力暴走事件は、ロゼリアの心を深く蝕んだ。ライナスの監視はより厳重になり、ユリウスからは連日、「魔力制御の共同研究」という名の脅迫めいた手紙が届く。
そんな中、王室主催の狩猟大会が開催される。貴族間の勢力図を誇示するこの大会は、エドガー王太子にとってロゼリアの独占を公に示す絶好の機会だった。
狩猟大会当日。ロゼリアはライナスの影に守られ、馬車で会場へと向かった。会場に着くやいなや、ロイヤルブルーの乗馬服を纏ったエドガーが、ロゼリアの手を他者が不快感を覚えるほど強い力で握りしめた。
「ロゼリア。貴女は今日一日、常に私の視界の中にいろ。私が選んだ獲物以外に、貴女の瞳を奪うものは許さない」
エドガーの宣言は、会場にいる全ての貴族、そして他の攻略対象たちに向けた、「この女は私の所有物だ」という公的な宣戦布告だった。
ユリウスは冷たい視線を投げかけ、シリルは不敵に笑い、ライナスは命令に従いながらも苦渋の表情を浮かべた。ノアは、周囲から見えない森の奥から、主人の孤独な姿を心配そうに見つめていた。
狩猟が始まった。ロゼリアの目的はただ一つ、「何の役にも立たない、凡庸な令嬢」を演じきり、速やかにエドガーの支配領域から離脱することだ。
ロゼリアは、ライナスの監視を振り払うことはできない。彼女は馬に乗らず、ライナスと共に森の中を歩くことを選んだ。
「ライナス様。私の体調は万全です。殿下の命令通り、貴方は公務に集中すべきです」
ロゼリアは、彼に「私的な監視」を公務違反だと感じさせることで、距離を置こうとした。
しかし、ライナスは琥珀色の瞳を揺らさず、冷徹に言い放った。
「私の公務は、殿下の婚約者である貴女の安全を確保することです。貴女の危険な思惑から、貴女自身を守ることも含まれます」
ロゼリアは、ライナスのこの『支配への忠誠』と『ロゼリアへの献身』が混じった矛盾に、息が詰まる思いだった。
ロゼリアは、魔力暴走の疲労と、ライナスの張り詰めた緊張感、そしてエドガーの視線という三重の重圧で、身体が限界を迎えているのを感じていた。
その時、ロゼリアは森の中で、前世でリリアンが誤って踏み込んでしまった魔獣の領域が近くにあることに気づいた。
(まずい。この先にいるのは、リリアン嬢が殿下の庇護を誘ったあの魔獣だわ。回避しなければ…!)
ロゼリアはルートを変えようとしたが、時既に遅し。
グォオオ!
巨大な魔獣が唸りを上げ、二人の前に姿を現した。
ライナスは即座に剣を構えた。しかし、ロゼリアの顔は、魔獣への恐怖ではなく、前世の断罪の記憶に歪んだ。
『あの時と同じだわ。私が無力で、彼らの庇護を待つしかなかった、あの光景……!』
魔獣の咆哮、ライナスの張り詰めた横顔、そして遠くからロゼリアを見つめているであろうエドガーの独占的な視線。全ての要因が重なり、ロゼリアの心の防御壁は完全に決壊した。
「嫌……! もう、誰も私に関わらないで! 私は、平穏に……!」
ロゼリアは、アメジスト色の瞳に大粒の涙を浮かべ、悲鳴に近い声で叫んだ。それは、完璧な悪役令嬢の仮面を剥ぎ取った、人見知りな少女の心からの本音だった。
ライナスは、その魂の叫びを聞き逃さなかった。彼の瞳に映ったのは、冷徹な令嬢ではなく、極度の恐怖と孤独に怯える、一人の華奢な女性だった。
『ロゼリア様は、殿下の庇護を拒否し、孤独に抗っている……!』
ライナスの心の中の忠誠の天秤が、一気に傾いだ。エドガー王太子への忠誠ではなく、『ロゼリア様の真の平穏』こそが、彼が守るべきものだと確信した。
ゴオオオッ! 魔獣がロゼリアに向け咆哮をあげ、飛びかかった。
ライナスは、迷いを断ち切った琥珀色の瞳を閃かせ、ロゼリアを背後に庇いながら、その剣を一閃させた。彼の動きは、王室護衛騎士団の中でも最高峰。迷いのない一撃は、魔獣の分厚い皮を断ち、深紅の血飛沫を森に散らした。
ライナスは、魔獣が地に伏したのを確認すると、返り血で自身の乗馬服が赤黒く汚れているのも気にせず、剣を収めた。彼の髪、顔、そしてロゼリアを庇うために広げた背中は、今や死の証に彩られていた。
彼は振り返り、震えるロゼリアに、その血に濡れた手を伸ばした。
「ロゼリア様。もう大丈夫です。貴女の孤独な戦いは、このライナス・グレイが終わりにします。殿下の命令よりも、貴女の魂の叫びを優先すると、誓います」
その声は、戦闘後の荒々しさとは裏腹に、極めて穏やかで、しかし絶対的な決意を帯びていた。
「これより先、貴女の平穏は、私の正義が守り抜きます。誰にも、特にあの男には、貴女の清らかな魂に手出しさせません。貴女の全ては、私の献身によって独占されるべきです」
騎士ライナスは、その瞬間、王太子への忠誠を捨て、ロゼリアへの盲目的な献身と独占へと、その騎士の剣の矛先を変えたのだった。
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