第10話 監視の檻と天才の誘い
エドガー王太子がヴァリエール侯爵家を去った翌日、ロゼリアの生活は一変した。
王命を受けた護衛騎士ライナス・グレイが、学園への登下校はもちろん、侯爵家内での移動、社交の場での立ち居振る舞いに至るまで、ロゼリアの影となった。
「失礼いたします、ロゼリア様。殿下の命により、本日の魔法実技講義も私が警護させていただきます」
ライナスはダークアッシュの髪を揺らし、冷徹な琥珀色の瞳でロゼリアを一瞥した。彼の態度は冷淡で、感情の機微を一切見せない。ロゼリアにとって、この「完璧な距離感」で側に居続けられることが、何よりも恐ろしかった。
『傾向と対策No.1:ライナスは忠誠心と正義感の塊。それを刺激してはならない』。
しかし、エドガーの命令は、ライナスにロゼリアの私的な空間への侵入を合法的に許してしまった。
ロゼリアは人見知り故の緊張で、常に全身に力が入っていた。ライナスが側にいる限り、「凡庸を装う」ことも、「秘密の企て」を実行することも不可能だった。
(ライナスがいる。これではシリルとの接触も、ユリウスの疑惑を逸らすこともできない。殿下は、私を物理的に独占しようとしている…!)
一方で、ライナスもまた、ロゼリアの行動を監視しながら、強い矛盾を抱えていた。
(王太子殿下は、ロゼリア様を『所有物』として扱われている。しかし、彼女の瞳には、常に孤独な戦いの意志が宿っている。殿下の支配から、私は殿下の婚約者である彼女を守り抜かなければならない)
ライナスの献身は、エドガーへの忠誠とロゼリアへの保護欲の間で歪み、ロゼリアの意思を無視した、最も強固な「監視の檻」となった。彼はロゼリアの望む「平穏」とは真逆の、絶対的な隷属の愛を捧げようとしていた。
ある放課後、ライナスの厳重な監視の目をかいくぐる者が現れた。魔法使いユリウスだった。
ユリウスは、ライナスに気づかれないよう、魔法院の研究棟の裏口からロゼリアを待ち伏せした。
「ロゼリア嬢。単刀直入に尋ねる。貴女の魔力制御技術、そして隠された才能を、私に提供する気はないか?」
ユリウスは、エドガーの「私的な接触禁止令」など、取るに足らないものとして無視していた。彼にとって、ロゼリアの才能は王権よりも学術的な自由に属するものだった。
ロゼリアは、彼のアイスブルーの瞳に宿る異常なまでの探究心を見て、全身が冷え切るのを感じた。ユリウスは、エドガーとは違う意味でロゼリアの核心に迫っていた。
「何を仰っているのか、全く理解できません。私は平均的な魔力しか持たない凡庸な令嬢です」
「嘘だ。あの時、一瞬溢れ出た規格外の魔力を、私はこの目で観測した。そして、貴女がその才能を七割に抑え込んでいるという事実こそ、最大の奇跡だ」
ユリウスはロゼリアの手を取り、熱を帯びた声で説いた。
「王太子殿下の支配下で、貴女の才能は腐る。私は、学術的な自由と、誰にも知られずに才能を極めるための環境を提供する。私の研究に協力すれば、貴女は二度と殿下の管理下に置かれる必要はない」
『ロゼリアは、王太子の支配から逃れるため、才能を研究者であるユリウスに提供する』。
ユリウスの提案は、ロゼリアの「婚約破棄」という目的にあまりにも魅力的すぎた。しかし、ユリウスの執着は、彼女の才能を「実験動物」のように独占したいという知的な支配欲だ。
「さあ、答えてくれロゼリア嬢。貴女が王室の籠の中で凡庸に死にゆくのか、それとも、私の手で世界の頂点に立つ天才となるのか」
ユリウスは、ロゼリアの平穏と才能を天秤にかけ、彼女に最も危険な二択を突きつけた。ロゼリアの「凡庸化」という努力は、ユリウスの執着により、最大の試練を迎えたのだった。
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