幕間 ……お姉ちゃんは……私が……幸せにする

「……あっ……雨」


 突然降りだした滝のような雨は、紺色のワンピースをあっという間に濡らし、肌着にまで染みこんでくる。文字通りのびしょ濡れ、傘がないので成す術がない。天気予報は雨だったのに、外が快晴だから油断した。


 だけど……私は雨が嫌いじゃない。むしろ好きだ。


 山から海へと流れた水は、やがて蒸発し、雲となり、水滴となって私に降りかかる。自然を排した人工的な生活の中で、自然の流れを肌に感じる数少ない瞬間、それが雨だ。そのエネルギーを全身で受け止めるのは、まるで自分が自然の一部に回帰したようで、少し心地が良い。


 空模様とは対照的に晴れやかな気持ち。

 できたばかりの水たまりを軽やかに蹴り、右の角を曲がった、次の瞬間──


「あたしって相合傘に向いてると思いません?」

「相合傘に向いてるも何もないだろ」


 私の足はその水たまりを、再び踏んでいた。


 見たくない。

 見たくない見たくない。


 本能がそう叫び、逃げるように元来た道を引き返す。

 私の好きな人。お姉ちゃんの好きな人。それなのに、彼の隣にいるのは──別の人。


「……なんかたっくん、女の匂いがしますね」

「おい、ワイシャツを嗅ぐな」


 私の知らない星波の声がそこにある。私の知らない星波の顔がそこにある。私の知らない星波の時間が、そこにはある。

 たとえこの場を離れても、その事実は何も揺らがないのに……臆病な私には、目を背けることしかできない。


 聞きたくない。

 聞きたくない聞きたくない聞きたくない。


 跳ねた水は靴下をも濡らし、足元から全身が冷やされる。地面を踏む度に起こるグシュグシュした感触が、気持ち悪くて仕方ない。

 そんな不快感を纏いながら、私は姉のいる自宅へと急いでいた。



「……ただいま……お姉ちゃん」

「ふゆ!? びしょ濡れじゃない」

「……傘……忘れちゃった」

「何してるのよ。ほら、早く上がりなさい」

 

 お姉ちゃんは慌てて私にタオルを持ってくると、髪の毛をわしゃわしゃ拭いてくれた。

  それはとってもふかふかで、温かくて、ほのかに甘い匂いがする。もしも愛に実体があるならば、それはきっと、このタオルみたいに優しい肌触りなんだろうな。

 


「……ごめん……頼まれた野菜……買えなかった」

「そんなこと気にしなくていいから」

「……でも……ご飯が」

「冷蔵庫にあるもので作るから大丈夫よ。それより早くお風呂に入って。ふゆが風邪をひく方が困るわ」

「……ありがと」


 ──世の中には、幸せになるべき人がいる。たとえばそれは、人の幸せを、心から願える人。

 私の姉はきっと、幸せに値する人だと思う。自分のことよりも、いつも誰かを想ってる。お姉ちゃんが幸せにならないなら、好きな人に選ばれないなら……間違ってるのは、世界の側だ。


「……ねぇ……お姉ちゃん」

「どうしたの、ふゆ?」

「……お姉ちゃんは……私が……幸せにするね」

「何を馬鹿なこと言ってるの。早くお風呂入ってきなさい」

「……うん」


 天宮星波と結ばれるのは──お姉ちゃんがいい。

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