第15話「邪悪なる研究所」

 駅前の事件の翌日。曇り空の下、バイオス邸の庭には重い静寂が満ちていた。ゆかなのひらめきとバイオスの分析が、ついに一筋の答えを導き出す。


「ここです。この街から少し離れた場所に、かつて医薬研究の最先端を担った企業の研究所がありました。倒産後は封鎖され“死んだ街の臓器”と呼ばれています。私が保護者として同行すれば、道は開けるでしょう。」


 ひなたの指先が震えた。


「……そこに、行方不明者が?」

「そしてサーペントゥーナが何かを……。よくないことに決まってる。行こう、すぐに。」

「ゲートが鼓動してるぴょん……時間がないのだ!」

 

 敵の居所が真実か罠か、確証はなかった。けれど、誰もためらわなかった。

 エンジンがかかり、バイオスの車は無言のまま街を離れた。窓の外では信号が点滅を繰り返し、人影は風のように消えていく。どの顔にも、怯えと諦めが入り混じっていた。


 ――だからこそ、私たちが終わらせる。


 誰も声に出さなかったが、全員が同じ思いを抱いていた。




 車が止まる。目の前に現れた建物は、廃墟というより“巨大な死体”だった。割れた窓から風が漏れ、蔦が骨のように絡みついている。かつての栄光は、風化した灰の中に埋もれていた。

 ひなたが息を吸い込み、剣の柄を握った。


「ここが……旧製薬会社の研究所。」


 私たちは互いに頷き合い、バイオスを待機させて建物へ向かう。フェンスの向こうは、ひっそりとした静寂に包まれていた。かつては白かったであろう外壁は灰に汚れ、入り口付近には雑草が腰の高さまで伸びている。

 その茂みを踏み分けながら進んでいると――ゆかなが立ち止まった。


「……誰かに見られてる気がする。――そこっ!」

 

 弦が鳴り、矢が放たれる。茂みを貫いた瞬間、粘つく音と共にイービルゲルが姿を現した。その動きに呼応して、周囲の影がうねるように動き出す。


「見張りがいたのね。ブリザード・サージ!」


 しおんの詠唱とともに氷の奔流が走り、イービルゲルたちは霜に包まれて黒い霧へと崩れていく。

 私とまどかがしおんを守るように前に出て剣を振るい、炎の軌跡で残党を焼き払う。

 みのりの治癒魔法が光の糸のように流れ、傷を癒やしていく。

 ゆかなは息を整えながら矢をつがえ、背後の茂みに向けて軽く放つ。その音を合図に、最後の一匹が身を乗り出した。


「今だ、ひなた!」


 ひなたが即座に反応し、剣を振り抜く。炎を帯びた刃が光の弧を描き、イービルゲルを蒸発させた。

 

「……気配、消えた。外の見張りはもういない。」

 

 玄関前には蜘蛛糸と数本の矢、そして発信器。ゆかなが拾い上げ、唇を震わせた。


「これ、あの時飛ばしたスナイプビーコン……やっぱりここだったんだ。」

「見張りを倒した以上、内部にも警戒されているはず。気を引き締めて。」


 全員が頷き合う。そのころ、魔境の王座でサーペントゥーナが微笑んだ。


「うふふ……ようやく来たのね。アララ・クネラ、準備はいいかしら?」

「もちろん、ネトラたちは巣を張り終えました。獲物は必ず捕らえます。」


 そしてようやく、ひなたが重い扉に手をかけた。


「――行こう。」


 錆びた蝶番が軋む音とともに、冷気が吹き出す。建物の中には薬品と鉄錆の匂いが混ざり、空気はひどく淀んでいた。蛍光灯の残光がちらつき、床に落ちた水滴が遠くで反響する。まるで建物そのものが呼吸しているような、不気味な静けさだった。

 



 研究所内部は時間が止まったように静まり返っていた。壁に張りついたカビ、床に残る靴跡。しかし、その先にある階段は、異様なほど清潔で――蜘蛛糸が白く光っていた。


「この下だ。魔族の気配がする。」

「全員、息を殺して。」


 階段を一歩降りるたびに、靴底が糸を踏み、かすかな音を立てた。空気が湿り、肺が重くなる。やがて、低い声が闇の奥から響く。


「あらあら……ここまで嗅ぎつけちゃったのね。」


 アララ・クネラが姿を現した瞬間、天井と壁が蠢いた。ネトラの群れ――無数の蜘蛛が闇から降り注ぐ。


「かかれ!」

 

 糸の嵐。みのりが両手を掲げて光を放つ。


「セイクリッド・バリア!」


 しかし、展開が追いつかない。白い糸がしおんとまどか、ひなたを包み、瞬時に繭へと変える。


「ひなたちゃん! しおんちゃん!まどかちゃん!」

 

 みのりの叫びが反響する。バリアの中にはみのり、ゆかな、ティアだけが残った。ゆかなは矢を放つが、糸が次々と絡みつく。バリアの中、視界が白く閉ざされていく。


「繭化した三人をサーペントゥーナ様に献上してくるわ。その間に、あなたたちも包まれてしまえばいい。」


 アララ・クネラの声が冷たく響き、繭を引きずって去っていく。

 残された三人の視界が蜘蛛糸で覆われ、呼吸が浅くなる。――助けなきゃ。けれど、動けば絡まる。どうすれば。

 その時――轟音。炎の奔流が蜘蛛糸を焼き払い、焦げた臭いが一気に広がった。光の中に、白き竜の影が立つ。


「主は訳あって来られぬ。我のみが救援に来た。信じてくれるか?」

「もちろん。あなたの炎が希望なら、迷わない。」

「お願いだぴょん。」

「よかろう。ならば共に行こう。」

 



 講堂だった部屋は、魔法陣の光で血のように染まっていた。壁一面の繭が微かに脈打ち、内部からうめき声が漏れる。

 中心にはサーペントゥーナ、滑るような動きで魔法を紡いでいた。


「この繭……人が入ってるの?」

「繭の中から恐怖と苦痛の波動を感じる。」

「ええ、恐怖は力。彼らの怯えが、異界の扉を開くの。命を保ったまま怯えてね。」


 無数の繭の中から、みのりがほのかに灯る三色の光を見つけ出す。


「……ひなたちゃんたちの光が、あそこに!」

「間違いないぴょん!」

「可愛い子たち、今度はあなたたちの番よ。」


 ネトラが一斉に糸を吹き出し、白き竜が咆哮した。炎が竜巻のように広がり、蜘蛛糸を焼き尽くす。空気が震え、蜘蛛糸の壁が崩れ始める。ゆかなが跳躍し、矢を三本連射した。光の軌跡が蜘蛛たちを貫き、次々と闇に沈める。だが、敵はなお止まらない。




「プリストメイデンよ、彼女らにバリアを張れ。我が炎で繭だけを焼き払う!」

「みのり、やろうよ! みのりの想いを、私の矢に込めて放つ!」

 

 みのりは胸の奥で何かが弾けた。恐怖も焦りも、全てが一つの祈りに変わる。

 

 ――守りたい。この仲間たちを。

 

「お願い……届いて!」

「スピリット・スナイプ・リフレクション!」


 みのりの想いが宿った光の矢が放たれ、空気が震える。矢は3つの繭を包み、温かな輝きが内部を満たした。白き竜が咆哮し、炎が柱となって立ち上がる。繭が爆ぜ、炎の中からひなた・しおん・まどかが解放された。


「……みんな!」

 

 三人が立ち上がる。その背後で魔法陣が震え、サーペントゥーナの表情が歪む。


「うぅっ、よくも私の儀式を――!」

「終わりにする!」


 仲間が揃った瞬間、空気が一変した。六人の力が交わり、魔法陣が揺らぐ。


「サンクチュアリ・ピアース!」

「スピリット・スナイプ!」

「ライトニング・フォール!」

「ブレイジング・スラッシュ!」

「ルミナス・ブレード!」


 白き竜の咆哮が重なり、光の奔流が炸裂した。光と炎が渦を巻き、サーペントゥーナとアララ・クネラ、そしてネトラの群れを飲み込んでいく。


「サーペントゥーナ様、逃げてぇ!」


 アララ・クネラは身を挺してサーペントゥーナを庇い、光に飲まれて消滅する。

 繭が崩れ、人々が次々と床に倒れた。サーペントゥーナは血のような笑みを残し、闇に溶けた。


「覚えておきなさい……ブレイブメイデンズ。」




 ホールに静寂が戻る。焦げた匂いと、崩れた瓦礫の間で、白き竜が翼を畳んだ。


「……ありがとう。あなたがいなければ、助けられなかった。」

「礼は不要だ。主の願いゆえ。」


 ひなたはシルバーパラディンがいないことに気がつき、白き竜に訪ねる。


「彼――シルバーパラディンは?」

「深い傷を負い、癒やしの途上にある。安心せよ、必ず共に戦う時が来る。」


 そう言って竜は天井を突き抜け、朝の光の中へと消えた。その姿が小さくなるまで、誰も言葉を発せなかった。




 やがて、警察と救急隊の灯りが廃墟を照らした。

 バイオスの通報によって救助が始まり、ホールには担架が次々と運び込まれていく。気絶した人々の身体が慎重に運び出され、淡い光に包まれるたび、冷たく張り詰めていた空気がほんのわずかに緩んでいった。

 ひなたたちは少し離れた草むらの影から、その光景を見つめていた。焦げた匂いと朝露の冷たさが混ざり合い、肌をかすかに刺す。夜の名残を帯びた風が頬を撫で、髪を揺らした。

 誰も言葉を発しない。ただ、ようやく終わったのだという実感だけが、胸の奥に重く沈んでいる。それでも――終わりではない。

 

 ――まだ、サーペントゥーナがいる。

 ――また誰かが、あの闇に飲まれるかもしれない。

 

 みのりが両手を胸の前で握り、震える息を整える。


「……助けられた。でも……次は、もっと強くならなきゃ。」


 その声に、ゆかなが小さく頷いた。


「うん。怖くても、私たちは進むんだよ。みんながいるから。」


 遠くでサイレンが鳴り、朝の空が群青から淡い橙へと滲みはじめる。光が差し込み、救出された人々の上にかすかな輝きを落とした。その光はまるで「まだ生きている」と告げるようだった。

 ひなたは空を見上げ、静かに呟く。


「……ここからが、本当の戦いだね。」


 ティアがぴょんと跳ね、耳を揺らした。


「次は負けないぴょん。」


 まどかが短く息を吐き、しおんが杖を握り直す。みのりは小さく微笑み、仲間たちの顔を順に見つめた。五人の少女と一匹の精霊は、夜明けの光の中を歩き出す。 

 彼女たちの背に宿るのは、まだ冷たい風の中に確かに灯る、希望の温もりだった。

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