第五章 皮一重の喜劇

第一話 引き金を握る者

「静流」

 自分を呼んで、不意に不安げに微笑んだ岩永の姿を見たのは、いつだったろう。

 夕暮れが街を覆っていた。一緒に出かけた時。その帰り道。

 書店に立ち寄った。

 先に店を出た岩永は、書店の前の歩道のガードレールに腰掛けていた。

「どないした?」

 傍に立って、怯えさせないように問うと、彼は自分の身体を抱くように手を回した。

「…」

「言いたくないなら、ええぞ?」

 頑なに口を閉ざすから、怖がらせたくなくて言った。

 岩永は顔を上げて、自分を見上げて、微笑む。

「静流なら、平気」

 少し無理した表情。

 思えば、その時に兆候はあったのだ。

「…明日な」

「戦闘試験か?」

「うん」

「お前なら、勝てるやろ? 誰が相手でも」

 気づくべきだった。

 不安そうにしていた彼を。心細げにしていた様子を。

「…わからん。なんか、…」

 無理に笑って、怯えを殺していた彼を。

 気づいて、止めてやれていたなら。


「こわいねん」


 微かに震えた声。抱きしめてやることしか出来なかった自分。



 その翌日の戦闘試験で、彼は力を暴走させ、――――自分を忘れた。




 寝台に起きあがって、村崎は重苦しい息を吐く。

 いろいろな事情で一人部屋の村崎を、起こしに来るルームメイトはいない。

 時刻は、七時。

 遅刻ではないが、村崎がいつも起きる時間には遅い。

 だが、急いでいく理由もない。緩慢に寝台から降りた。


「パスケース?」


 寮の廊下で出会った流河に、そう言うと彼は不思議そうにした。

 岩永が記憶を失う前から、岩永と仲が良く、それで自分も話すことが多かった。

「落としてしもて」

「なら、落とし物ボックスじゃない? 見てきたら?」

 普段、ひどく聡い流河だが、今日は随分的を外したことを言う。

 村崎は困った様子で、言葉を探した。

「いや、吾妻はんが…」

「拾ったの? なら、返してーって言えば?」

「……」

 村崎は悟る。

 流河は自分の意図を悟ったうえで、わざととぼけているのだ。

 気づかないふりをしている。というより、自分の言うとおりにする気がない。

 無理もない。

「……」

 一年前の事件以降、特に流河や御園優衣。その二人は、自分に厳しい。

「…写真が」

「写真?」

 もう完全にわかっている。流河はにこにことわざとらしく笑っている。

「……岩永の」

 廊下には自分たち以外いない。覚悟を決めて絞り出すと、流河は意外そうな顔をした。

「岩永クンの? まだ持ってたんだ」

 本心から驚いてはいない。嫌味に近い言い方だ。

「吾妻クンに拾われたの? なら同じ。返してくださいって言えばいい」

 明るく微笑み、軽快な口調で言う。それを嫌味だと感じるのは、自分自身後ろめたいと思うからか。

 多分そうだ。流河の言い分は、決して間違っていない。

 返してくれと言えばいいのだ。

 出来ないのは、吾妻がよく岩永と一緒にいて、自分がそう言えば、岩永にソレを吹聴する可能性が高いから。

 今更、期待されたくない。

 自分が、まだ彼を好きだなんて、彼に期待されたくない。

「…ならさー、別にいらないでしょ?」

 心を読んだように、流河は呆れた表情を浮かべた。

 壁にもたれかかる。

「岩永クンのこと、もういいんでしょ?

 話すのも嫌なんでしょ?

 じゃ、いらないじゃない。写真なんか」

「………」

 流河の言葉が痛い。胸に刺さる。

 本当は、わかっている。

「どうしても欲しいなら、理由と一緒に吾妻クンにどーぞ。

 俺は取り次がないよ。じゃ」

 軽蔑の混ざった視線で見上げられ、投げるように言われた。

 流河は壁から身体を離して歩いていってしまう。

 そこに立ち尽くして、村崎は心底、自分を女々しいと思う。

 わかっている。

 今の岩永を見るのが、嫌で、苦しくて。

 でも、昔の彼を忘れられない。

 嫌いになろうと思った。忘れようと思った。

 なのに、今でも、思いは焦がれて、思い出してくれたらと願って止まない。




「ラブレター?」

 教室に足を踏み入れて数分。

 吾妻がそう言ったので、近くにいた生徒はその机の傍に集まった。

 季節は六月に入った。太陽は暑く、外を歩くには日傘が必要かという日差し。

 NOAも衣替えで、皆、半袖の開閉シャツだ。

「今までもらったことないよ…」

 吾妻は複雑な顔で、靴箱に入っていた手紙を机に置く。

 花柄の可愛らしい封筒から、業務用封筒までばらばらだ。

 しかも、吾妻が気になるのは、半数以上が男の名前だということだ。

「あー、それ、恋文ではないから」

 岩永が笑って、訂正してきた。吾妻は首を傾げる。

「ほら、言うたやろ?

 夏のチーム戦。

 六月からチーム申請開始やから、強いヤツんとこには『同じチームになってください』っちゅうラブレターや告白がようさん来るわけ」

「…ああ」

 岩永の説明に、吾妻はやっと納得する。

 それで男からも手紙が来てるのか、と一つを手にとった。

「吾妻もモテとるなー」

 会長で忙しい白倉が遅れて教室に入ってきた。

 吾妻の机の上の手紙を見て、感心する。

「白倉! これは違うよ!

 僕には白倉しか見えない。白倉一筋!」

 がたんと椅子から立ち上がって、浮気を見とがめられた亭主のようなことを訴える吾妻を見上げて、白倉はくすくす笑った。

「白倉?」

「いや、俺もおなじよーなもん沢山もらってるから、お互い様なんだけど…」

 見れば、毎年だから馴れているのか、白倉の片手には紙袋。

 紙袋の中に一杯の手紙。

「だから…わ!」

 気にするな、と言おうとした白倉は驚く。

 吾妻にいきなり抱きしめられたからだ。勢いで紙袋が手から落ちて、中身が床に散らばる。

「駄目! 白倉は僕のチーム!」

「…え、や、それは」

 腕の中でぎゅうぎゅう抱きしめられ、白倉は当惑する。

「…ちょっと待ってー?

 それ普通白倉が“ダメ”って言わない?

 なんで吾妻が拒否るのかわかんない」

 化野が席に座ったまま呆れた口調でつっこんだ。

「…つまり嫉妬だろ?」

 近くにいた風雅が同じように呆れて言う。

 そういう風雅の机にも大量のラブレターが入った紙袋が下がっている。可愛らしい封筒からして、女子のほうが多そうだ。

 それも納得の、整った顔立ちにすらりとしたスタイル、銀に近い髪は陽射しを受けて煌めいている。

「けしからん。ふしだらな」

 いかにもお堅そうな若松が一言言えば、化野が更に呆れた。

「…化野?」

「いやあ、少なくとも、俺は吾妻の方が大人だと思うよ?

 そういう意味では」

「…そんなことはないと思うが」

「じゃ、お前、セックスしたことあるの?」

 真顔で尋ねた化野に、若松は吹き出してげほげほむせる。

「それは置いておいて、話を進めないか?」

 同じクラスの生徒が淡々と話の軌道修正を求める。

 吾妻は何度か会話したことがある耳あたりまでの長さの髪の背の高い生徒。

 こちらも整った容姿だ。糸目だが、不思議と胡散臭い印象を抱かせない。

 確か、雪代鷹明ゆきしろたかあきらという名前だ。

 急に話題を変えようとしたのに、無理矢理な感がなぜかない。

 おそらくそれは、化野たちに対する彼の扱い方が馴れている風だったからだ。

 我に返った吾妻は周囲の生徒と、教室の戸口で様子を窺っている他組の生徒を睨み付けた。

「…とにかく、白倉は僕のチーム!

 白倉が欲しかったら、僕と戦って勝て! 僕より強いヤツじゃないと、認めない!」

 般若の形相で叫ばれ、他の生徒たちは「そりゃ無理だ…」と呆れや、諦めを浮かべて離れていく。

 いくらなんでも、Sランクの吾妻にはそうそう勝てない。

 白倉と一緒ならかなり上までいけるから一緒になりたい。が、吾妻には勝てない。

 白倉狙いの生徒も一組には多かったが、「無理だ」という空気が漂っている。

「まあ、俺らと一緒のチームの予定やしな…」

 岩永が暢気に呟いた時、吾妻の肩をぽん、と背後から叩いた手が二つ。

「ふーん。じゃ、俺らはオッケーやの」

「そうだな?」

 吾妻は白倉を抱きしめたまま固まった。

 その背後には、Sランクの最強格二人。九生と時波。

 右肩に九生。左肩に時波。お互い、吾妻の肩を掴んだままだ。

「そうじゃろ? 吾妻。俺らも、一緒でええよな?」

 九生はにやにや笑って、吾妻の頬をつつく。

「お前は俺より弱いだろう? 決まりだ」

 時波は無表情で宣言する。

 吾妻はブリキの人形みたいに動いて、白倉を抱いたまま壁際までさがった。

「…そ、そんなこと」

「お前が嫌だと言うならしかたない。

 俺と九生と白倉三人のチームで申し込もう」

「せっかく、吾妻も一緒のチームにいれてやろうと思っとったんになあ。残念じゃ」

 二人の言葉に吾妻は悟った。断ったら、自分が弾かれる。

 自分が白倉と一緒のチームになれない。

「……わ、わ、わか、った……」

 白倉を抱っこしたまま、半泣きで頷いた吾妻を見て、九生と時波はハイタッチする。

 九生は笑って、時波は無表情で。

「こらこら、二人とも」

 九生と時波の背後から、たしなめるような声がした。

 化野だ。

「あんまりからかわないの。

 九生、お前本気で白倉と一緒のチームになる気ないだろ?」

「…ま、そうやけん、せめての意趣返しじゃ」

「このくらいかわいいだろう。本気で白倉をもらうと言わないだけやさしい」

 悪びれることない二人に、化野はため息を吐く。

「…へ?」

「吾妻。チーム戦は人数の上限が四人まででね?

 四人全員がSランクのチームはできるだけ作らないように言われてるんだよ。

 まあ、不可能ではないんだけど」

 白倉もキミも、九生も時波もSランクだろ?と化野。

「冗談じゃ」

 九生に笑って言われ、吾妻はしばらく呆然としたあと、ホッと長い息を吐いた。

「びっくりした~……」

「そんなことはええから、白倉を離しんしゃい」

「いや」

 さっきからずっと、吾妻に抱っこされたままの白倉は、少し暑そうに顔をしかめた。

 顔が赤いのは、暑さの所為か、恥ずかしい所為か。

「Aランクとかは全員同じランクでもいいんだよね。Sランクだけ」

「ま、Sランクだけのチームは、戦う前から結果見えるからな…」

 遠巻きに見ていた岩永と流河は顔を見合わせる。

「でもさ、そういうのもよくない?」

「へ?」

「岩永クン、俺と一緒に組まない?」

 にっこり微笑んだ流河の後ろから、同じ組の生徒が顔を出す。

「せやな」

 黒髪に眼鏡の御園優衣。

「俺も一緒にどや? いつも白倉とは一緒なんやから、たまにはええやろ」

「…んー。考えとく」

 腕を組んで、岩永は保留の返事をする。

 優衣が不意に、傍にいた生徒に視線を向けた。夕だ。

「夕は」

「敵チーム!」

 伺うというより、そう言わせるための問い。

 夕が宣言すると、優衣は嬉しそうに頷いた。




 図書室で疲れたように机に突っ伏している吾妻を見遣って、岩永は笑った。

 避難してる、と聞いたから来たのだ。

 白倉の方はあれ以降、吾妻に勝てないからとラブレターや告白は減ったようだが、吾妻はそうじゃない。

「大丈夫か?」

「……」

 傍に近寄って問いかけると、呻くような声。大丈夫じゃなさそうだ。

「……」

 随分参った様子。というよりは、そう見せていたほうが、誰も寄ってこないというポーズだ。

 自分にまでやらなくても、と思って、岩永は悪戯を思いつく。

「こんなときにあれやけど、一個教えとく」

 吾妻の座った椅子の隣。机の縁に腰を預けて腕を組む。

「四月の果たし状。流河の単独犯やなく複数犯。

 あれ、ほんまやで?」

 笑みを含んで言うと、吾妻はがばりと顔を上げた。

 すごく驚いた顔で自分を見上げてくる。

「ほな、よーく考えぇ」

 微笑みかけて、岩永はその場を離れた。

 吾妻の物言いたげな視線が背中にぶつかるが、無視。

 奥の方の棚に向かい、元々目的としていた本を探す。

 見つけたが、自分の身長より高いところにあった。届かない。

「天井が高いのはええけど、こういうん困るわ…」

 ぶつぶつ呟いて、踏み台を探す。

 その時、傍に影が差した。

 大きな身体だ。自分以上に。

「どれですか? とりますよ」

 照明の影になって、男の顔が見づらい。何故か、懐かしい感覚を受けた。

「あ、ありがと。あの、上から三番目の、緑の背の」

「ああ、……っと」

 男は軽々本を取ると、はい、と手渡した。

「…おおきに。…二年生?」

「はい」

 自分に敬語は、そういうことだろう、と思った。

 少し離れると、顔がはっきり見える。

 頭は剃っているのだろうか。丸い輪郭。バンダナを巻いている

 村崎とほぼ変わらない大きながっしりした体格。

 というか、似ている?

「転校生です。今日から」

「…あー」

 そういえば、聞いたかもしれない。そんな話。

「昨日のお礼言いたくて」

「……?」

 昨日、と言われて岩永は首を傾げる。

「ほら、街で助けてくれた。

 なんか、超能力を吸収する力使ってましたよね?」

「…あ、ああ。あん時の」

 ようやく理解する。昨日、吾妻と白倉のデートを追いかけた時、助けた少年だ。

「助かりました。俺達、力使っていいのかわからなくて」

「ああ。そっか。正当防衛ならええんよ」

「ああ」

 少年は納得、と頷く。

 そして、岩永の顔をじっと見つめて、にっこり微笑んだ。

「………? あの、俺の顔なんか…」

「やっぱり、“嵐”さん、ですよね?」

「…………は?」

 間抜けな声が出た。なんで、名前を知っている? というか、いきなり名前で呼ばれるんだ?

 当惑する岩永に、少年は自分を指さし、押しの強い笑顔を見せた。

「俺、村崎志津樹しづき

 村崎静流の、弟です。あなたの話、よく聞いてたんで。兄から」

「……………………………」

 言葉を失った。

 どう、返したらいいのか、迷った。

 だって、そのころの村崎を、自分は、知らない。

 結局、岩永は笑った。後ろめたそうに、申し訳なさそうに。

「ごめん。俺、…それ覚えとらん」

 と、言うしかなかった。


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