第五話 強運を呼ぶ者

「吾妻!」

 呼ぶ声に、目が覚めた。

 視界の中に溢れる光の洪水。この明るさは朝の証拠だ。

 朝の日差しだ。

 朝の、眩しいけれど、どこか涼やかで白い、眼を焼く太陽。

 寝台に横たわっている自分。いつの間にか寝ていたらしい。

 眼前の顔がよく見えない。

 寝台の自分を覗き込む顔が、次第にはっきりする。

 白い顔は、間近で見ても綺麗な、肌理の細かい肌。

 白金の髪が一筋落ちて、自分の頬をくすぐる。

「…白倉っ!?」

 理解が遅れた。自分はどうかしている。

 白倉のこんなアップでも、しばらくぼけっとしているなんて。

「うわっ!」

 思わずバネ仕掛けの人形みたいに起きあがった吾妻にぶつかりそうになって、白倉は慌てて身を退く。

「あぶな…っ。頭ぶつけるとこだ」

「あ、…ごめん」

 寝台に起きあがって、吾妻はまじまじと白倉を見た。

 寝台の脇に立つ姿は、Yシャツにネクタイ。ブレザーの制服姿。

 窓から入る日差しから考えても、朝だ。

 学校に行く時、今はいつも食堂で顔を合わせる。

 自分がいないから、見に来てくれたのだ。

 それに、胸の奥が微かに喜ぶ。

「吾妻? どうした?」

「いや、考え事で……いつ寝たか覚えてない」

 悩んだ様子で額に手を当てる吾妻に、白倉は考えるような間。

 長い睫毛の下で煙る翡翠が、細められた。

「…」

「吾妻?」

 今度は吾妻が考える番だ。

「…なあ、前から気づいてたけど」

「うん」


 あの宣戦布告。

 ただのはったりだ。実現するはずがない。

 なのに、彼の言葉には、引け目など全くなかった。

 臆しもせず、堂々と言い切った。

 Aランク最上位ならば、自信だけが先走った馬鹿ではないのは明瞭。


「……白倉も、わかってるよね?」

「……」

「僕が今、悩んでること、本当には」

「意味が」

 白倉が少し、吾妻から距離を取って左手を口元にやった。

 吾妻は寝台に腰掛けたまま足だけ降ろす。

「…僕の周りで起きてること、わかってない?」

 昨日の夕の反応が教えた。

 彼らは、自分に起こることを大体わかっている。

 戸惑っているのは自分だけだ。

「…そうって言ったらどうする」

「……」

 白倉は一瞬で平静な表情になると、冷静な声ではっきり発音した。

「……そうだったら、助けを求めるのか?

 他人に」

「…友だちじゃない?」

 追いすがる気はなかった。白倉が訴える意味を理解しているから、声を出すべきじゃなかった。でも、そんな、全くの他人みたいな。

「友だちだ。

 でも、NOAには最初から、『普通の友だち』なんかいない。

 そいつらとけ落とし合って頂点を目指す。仲良かろうが、試験になったら遠慮なし。

 それが、ここのルールだ」

 そうだ。そんなの、わかっている。

「…ごめん」

 吾妻は前髪に手を差し入れ、顔を覆う。

 俯いた。

「わかってた。理解してた。

 僕も強いヤツと戦いたいから、ここに来た。

 …だけど、甘えた」

 後悔する吾妻を見下ろし、白倉はふ、とさっきが裏腹の笑みを浮かべる。

「…友だちっていうのは、嬉しいから」

「…あ」

「それはうれしい」

 暖かみのある笑み。自分を真っ直ぐ見つめる翡翠の瞳に、身体が途端熱くなる。

「……」

「お前、もしかして友だち付き合いからして耐性ない?」

 白倉がひょい、と顔を覗き込んできて言った。

「そうかもしれない……特別仲よかったヤツはいたけど、ライバルで。

 …そいつ以外に、そんな心配されたり、声かけられたりされたことない」

 顔を押さえてそこまで言って、吾妻はがばっと顔を上げる。真っ赤だ。

「あ、そいつ以下って意味じゃないよ! ただそいつとは違う人間だから、なんか」

「わかってる。大事にされてるのは、ちゃんと伝わってる」

「うん……」

吾妻はまた俯いて、ぼそりと頷く。

 仲のいいヤツはいた。ライバルで、親友で。

 でも、

「……白倉」

 吾妻は不意にはた、となって白倉の顔を見た。

「ん?」

「…もしかしてわかってる?」

「なにを?」

 そう答える、白倉の唇は妖艶に笑んでいる。

 今すぐ口付けして塞いでやりたいが、そんなことしたらまた親愛度ダウンだ。堪えろ。

「…僕に果たし状を出した犯人」

 吾妻は右手の人差し指を立てて言う。

「顔なじみにやりそうなんが、数人。

 大体な」

「やっぱり……」

 がっくりと首を落とした吾妻を見て、白倉は「お前もわかったんだろ?」と聞く。

「まあね。気に入らん」

「九生とどっちが?」

「両方!」

「あはははっ!」

 吾妻の癇癪持ちの子供みたいな叫びに、白倉は楽しそうに笑いだした。

「笑いごとじゃない」

「笑い事に出来るだろぅ? 期待のSランク新人」

 白倉に、とびきりの笑みでそんなことを言われては、反論できない。

「する。してみせる!」

「楽しみにしてる」

 その言葉が棒読みで、吾妻は内心悔しい。

「大体、あいつわけわからない!」

「あいつはあれが普通だ」

「そうじゃない! 僕のこと!」

「…吾妻を?」

 しまった。そこまで言うつもりじゃなかった。ついつい勢いで。

 吾妻は固まった。

 過去の話なんか口が裂けたって聞けない。聞いちゃダメだ。

「……僕のこと、アリスって」

 辛うじて、そう答えた。

 口にした瞬間に、白倉の顔がピシ、と凍り付いたのでしまった感はあった。

 ただし、別の「しまった」感だ。

 たとえば、数日前の朝、自分の夢を聞いて大爆笑した岩永に対するみたいな。

「……」

 白倉は吾妻の頭から、足元までを見た。

「…―――――……っ!!!!」

 そして、思い切り噴き出した。

 床にしゃがみ込んでばしばし床を叩く。

 声が出ないほど笑っていて、身体が痙攣している。

 この事態はある程度予想したが、よかった。とりあえず、気は逸らせた。

 しかし、少し恥ずかしいのは、しかたない。

「…アリスって柄か! チェシャ猫だろむしろ!」

「僕もすごくそう思う…」

「あいつえげつなっ! たとえがえげつなっ!」

「えげつないっていうか、…ひどいね、うん」

 吾妻はいろいろ諦めて、いちいち答える。

 白倉はしばらくうずくまって痙攣していた。

「……はー、…あ、」

 散々声にならないまま笑ってから、白倉はやっと顔を上げた。

 涙の浮かんだ瞳で見上げられ、生理的だとわかっていてもどきりとする。

 意識が吸い込まれる翡翠の瞳。やっぱり綺麗だ。

「…勝てるだろ?」

 不意に、白倉は微笑む。浮かんだ涙を拭わないまま。

 流河と同じ不敵な顔なのに、感じるのは欲情に似たうずき。

「……もちろん」

 目をそらせないまま、はっきり答えた。

「楽しみにしてる」

 今度は、白倉は気持ちのこもった声で、背中を押すように歌った。

 それに、たまらなく喜ぶ自分がいる。

 そんな自分が、嫌いじゃない。

 白倉は立ち上がって、それから扉の方を見て、ああ遅刻や、と呟く。

 壁の時計を見ると、九時半。確かに。

 唐突に白倉が自分を振り返った。早く行こうと言うんだろう。

 そう予想した桜色の唇が、予想外の台詞を吐いた。

「――――ご褒美、欲しいか?」

 吾妻はその、先ほどとは段違いの妖しく艶やかな笑みになにも言えず、心を奪われて見入る。

 白倉が吾妻の座る寝台に近寄って、頬を撫でる。

 頬を這う乾いた手のひらの感触に、ぞくりとした。

 その手が、後ろ頭に回った。瞬間、感じた微かな痛みは、髪の毛を引っ張られた痛みだ。

 吾妻はソレどころではない。

 自分の髪をひっつかんで、上向かせ、片手を掴んで封じて。

 白倉は瞼を閉じ、自分の唇に、桜色の唇を深く重ねた。

 一瞬だけ。

 すぐに手も、髪も離される。

 白倉は寝台から少し距離を作って、にっこりと笑った。

「俺の『信頼』。

 裏切らないでおいてな」

 その顔。すごく、すごく、艶やかで。

 獲物を喰らった雌ライオンのような、強者の、勝ち誇ったような、それでいて眩しい、綺麗な笑み。

「……………………………」

 吾妻はただ見入って、呟いた。

「…はい」

 本当なら「女王様」って、死ぬほどつけたかった。




「…………」

 時波は少し驚いて、それから、仮想戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉の扉を閉めた。

 トレーニングルームの仮想戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉の一つ。

 使用しようと、扉を開けたら扉の横にうずくまっている白髪の男がいた。

「九生。なんのマネだ」

「…なんで悪戯って決めつけなんじゃ」

「お前だからだ」

 時波はきっぱり言い切って「人がいるいないで『使用中』のランプをつけて欲しい」と思った。ランプがついていないから、誰もいないと思って入ったので、実は微かにびっくりした。

「俺達が悪戯の例外だとは思ってないぞ」

「…今回はマジ違う」

 素っ気ない時波に、九生は情けない声でそう言う。

「そうか」

 時波は見えないようにこっそり笑った。

「なにしたんだ」

 とはいえ、そのまま放置してシステムを機動させられない。

 しかたなく聞く。

「………」

「九生。答えないなら白倉を呼ぶぞ」

「答えるけん勘弁!」

 早業でスマートフォンを取りだし、メモリを呼び出した時波の左腕に九生がすがりついて、非常に真剣に訴える。

 時波はスマートフォンを右手に持ち替え、貴重品を置く分厚い壁の中のスペースにしまってから「やっぱり白倉絡みか」と思った。

 かまかけただけだが、彼がどこかに避難する場合、理由の人物は限られる。

 たとえば、自分、白倉、あと化野あだしのという同級生。

 彼らを怒らせた場合だけだ。

「なにしたんだ?」

「……吾妻に」

「ああ」

「……キスさせたけん、フルボッコ寸前よ。

 気を持たせるマネすんな! 誰が苦労すると思って!……やて」

「アホだな」

 情けない顔で、九生はしゃがみこんだまま報告する。

 時波はこいつ、こういうとこアホだ、と心底思う。

「…どうするんだ?

 俺は訓練したいから、お前を追い出したい」

 時波はしれっと言い切った。

「…答えた途端それかよ。お前ひでぇな」

 手の平返しおって、とぼやきながら九生は立ち上がる。

「…謝りに行くなら早い方がいい」

「だろうな。

 あとでいく」

「おい」

「…吾妻が先じゃの」

 九生は最後は、彼らしく微笑んで扉に手をかけた。

「吾妻にはいらないんじゃないか」

「そうかの」

「猫にマタタビみたいなものだ」

「……言うの、お前も」

 扉を開けて、九生が出ていくと、背後で閉まる音が響く。

 時波はスコープを顔に装着して、機動スイッチを押した。




 昼休み。

 昼食を食堂で取るが、白倉がなんかいつも通りに見えないのは、朝の所為か。

 吾妻はいちいちどきどきしてしまい、顔が見れない。

 しかし、時々顔を盗み見ると、視線に一際敏感なようにすぐ気づいて微笑んだ。

 顔が赤くなる。

「吾妻」

 背後に立った気配は、見知ったものなので吾妻は普通に振り返る。

 九生だ。

 しかし、彼は怯えたように微かに後退る。

「?」

 吾妻は何故だろうと思って視線をテーブルに戻す。

 普通に九生を見ている白倉に、夕に岩永。

 でも、今一瞬、白倉の顔が夜叉みたいだったような……。

「……吾妻。一個だけええかの?」

 九生は吾妻の肩をつついて、来いと誘った。

 吾妻は迷う。行く理由がない。

「行って来たら?」

 白倉が涼しい顔で言った。




「そういえば、その顔どうしたの?」

 食堂前の廊下。この時間は空いている。

 九生の右頬には、大きなガーゼが一枚貼られている。

「…真白い美人猫に引っかかれての」

 九生は露骨に吾妻から視線を逸らして答えた。

「えー、僕も見たい」

「…毎日見とるぜよ」

 九生がぽつりと囁いた声が聞こえず、吾妻は首を傾げる。

「そんなことより」

 九生は本題を思い出して、吾妻に向き直る。

「ここは、無法地帯に近い。

 お前の思うルールはルールじゃない。

 が、当面は戦闘試験に勝つこと」

 吾妻が当惑する間に、九生はにやりと笑った。

「あいつはマジであててくるぜ。対戦カード。

 やられたくなきゃ、やれ」

 吾妻の胸元を、軽く押す。

「『ルール』はないに等しいぜよ」

 笑んだ唇。やはり悪魔のような言葉。

 それでも不思議と怖くなかったのは、味方として言われた気がしたからだ。

「…勝つよ。白倉に誓った」

 自信をたたえて笑い返した吾妻に、九生はすごいすまなそうな顔をした。

 失礼な。いい台詞だったのに。




「あれは、挑戦状ですかね」

 NOA立入禁止区域。

 三十個ある戦闘鳥籠〈バトルケイジ〉の全ての映像を映すモニタの並ぶ部屋。

 いくつもの機器が並び、発光する。

 NOA高等部の全ての施設に設置された監視カメラの映像もここに送られる。

 先ほどから再生を繰り返すのは、ある日の放課後の薄暗い廊下の画像。

 燃え上がる炎。それを切り裂く扇子を振るう生徒と、その生徒と対面する巨躯。

「挑戦状でしょうね」

 一人の教師の言葉に、別の教師が同意する。

 映像が巻き戻され、ある部分から再生される。


『三日後の戦闘試験。

 キミは必ず俺と当たるよ』


 扇子を持つ、流河と言う名の生徒の声。

 もちろん、根拠などない。

 はったりだ。巨躯の生徒はそう受け取った。

 だが、これは、自分たち〈学園スタッフ〉への挑戦状でもある。

 彼はわざと、自分たちに宣言した。

 三日後の戦闘試験で、自分は彼と対戦する、と。

 そう仕組め、と言った。

 正直、吾妻の最初の相手には慎重になっていた。

「検査しましたよね? 吾妻は」

「転入の際にしっかり」

「【キャリア】ではない?」

「ええ」

 それならば、これ以上、引き延ばすのは得策ではない。

「流河はそこまで勘づいて?」

「さあ。どうでしょう。ただ、元々知略に長けた生徒ですからね。

 大概の相手は、あの扇子で倒してしまう」

 超能力使用禁止という校則がある。

 それは、形だけの校則だと、吾妻以外の全校生徒が知っている。

 監視カメラは学園の施設全てに設置されている。

 この映像、吾妻が超能力を使ったことは明らかだ。流河も同じく。

 だが、その現場には超能力の痕跡は残っていない。吾妻の物しか。

 痕跡さえ押さえられなければ、使用も可。それが暗黙。

 例え監視カメラに捉えられても、「使用した場」に「痕跡」を残さなければセーフ。

 もっとも、吾妻の転校前日のあれ。あそこまで公になれば、なにも損害してなくても、罰するのも校則。

 超能力のタイプはいくつかある。

 吾妻や御園夕のような、周囲の壁や床に顕著に痕跡の残る、周囲を浸食する発生の仕方をする力。主に自然系の超能力。

 一方、流河や御園優衣のような、媒体を使い、壁や床、学園設備に全く痕跡を残さず使用が可能な力。

 後者の能力者は、自分の力を最大限に引き出し、学園生活で最大限に発揮すべく、知略を磨く。

 比例して、前者の能力者たちも策を講じる。

 自分たちの力の発達のために、生徒達は狡猾さを身につけ、こちらの上手を行こうとする。

 それが、狙いだ。

 安全の約束された、戦闘試験だけでは磨けない、現実の戦闘に必要な条件。

「…しかたないですね」

「ま、しかたないでしょう」




 翌朝、珍しく寝坊もせず、登校した吾妻はその空間に足を踏み入れることを一瞬だけ躊躇った。

 あの男の言葉は、予言だ。ただの、眉唾の。

 だが、心臓がせり上がるような、現実のような予感。

 それを後押しする、九生の助言。

 戦闘試験の対戦カードの張り出された廊下。

 吾妻の長身はその前の人垣など気にならず、自分の名前を探せる。

 右端の列から五番目、上から十五番目のところに、あった。

 吾妻は目を見開く。


【吾妻財前VS流河理人】


 流河は言った。これは予言ではない。現実だと。

 でも、まさかそんな、本当に。

 信じられず立ち尽くす吾妻の肩を、誰かが叩いた。

 ハッとして振り向く。

 自分の背後に、少し距離を置いて立つオレンジの髪の男は機嫌良く微笑んだ。

「俺の予言、ビンゴでしょ?」

「……流河」

 流河は嬉しそうに笑ってから、扇子をポケットから取りだし開く。

「俺のまたの名前を教えてあげる。

 どんな強運をも呼び寄せる男――――ラッキー流河。

 よろしくね」

 そう言って、流河は不敵に唇を歪めた。


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