第2話「孤独な旅路と能力の自覚」

 エーデン村を追われ、リオンはただひたすら西へ歩いた。目的地はない。ただ、自分を拒絶したあの村から一歩でも遠くへ離れたかった。


 日が暮れれば洞窟や大樹の陰で獣のように眠り、日が昇ればまた歩き出す。ミラがくれたパンを少しずつかじり、森で木の実やキノコを採って飢えをしのいだ。教会での雑用仕事で得た、食べられる植物の知識だけが頼りだった。


 夜、心細い焚き火の炎を見つめていると、追放された日の光景が繰り返し脳裏をよぎる。領主の怒声、長老たちの怯えた目、そして遠巻きに自分を見ていた村人たちの無関心で冷たい顔。氷の棘が、じわりと胸に突き刺さるような痛みが走った。


(僕は、何もしていない……)


 何度心の中で繰り返しても、その声は虚空に消えるだけだ。孤独が、濡れた外套のように重く肩にのしかかる。


 そんな時、リオンの心をかろうじて繋ぎとめたのは、ミラの最後の言葉と、手のひらに残るパンの温もりの記憶だった。


(信じてるよ、リオン)


 彼女の声を思い出すたび、凍えた胸の奥に小さな灯火がともる気がした。この灯火さえあれば、まだ歩ける。そう自分に言い聞かせ、泥濘に足を取られながらも前へ進んだ。


 追放から十日が過ぎた頃、リオンは鬱蒼とした森の奥深くに迷い込んでいた。食料は尽きかけ、疲労は限界に達している。ふらふらとさまよっていると、苔むした木の根元に、古びた斧が打ち捨てられているのが目に入った。柄は朽ちかけ、刃は赤錆に覆われている。


 何気なく、その斧を手に取った。

 その瞬間、脳髄を直接掴まれるような衝撃と共に、他人の記憶が奔流となってなだれ込んできた。


 ――汗にまみれた、丸太のようにたくましい腕。振り下ろされる斧。ミシリ、と音を立てて裂ける大木。

「うぉぉっ!」

 野太い男の咆哮が、鼓膜を震わせる。

 ――仲間たちの豪快な笑い声。焚き火を囲んで飲むエールの苦味。

「おい、明日はもっと大物を倒すぞ!」

 ――森の奥で見つけた、幼い娘のために摘んだ可憐な野花。

「父ちゃん、きれい!」

 少女の屈託のない笑顔と、その髪を撫でた指先の温かい感触。


 それは、かつてこの斧を使っていた木こりの記憶。彼の誇り、喜び、そして家族への深い愛情。まるで自分が体験したかのように、鮮烈な感情がリオンの全身を駆け巡った。


「はっ……! ぜぇ、はぁ……っ」


 リオンは斧を取り落とし、その場に膝をついた。心臓が激しく脈打ち、肩で息をする。


(今のは……一体、何だ……?)


 これまで感じてきた「気のせい」とは、密度も鮮明さもまるで違った。生々しく、感情を伴った記憶の洪水。

 リオンは、恐る恐るもう一度斧に触れた。すると再び、木こりの人生の断片が彼の意識に流れ込んでくる。


(これは……気のせいなんかじゃない)


 リオンは、ようやく悟った。

 自分には、物に宿った記憶を読み取る力がある。それは呪いでも病でもなく、紛れもない「能力」なのだと。


 なぜ今まで、こんな単純なことに気づかなかったのか。いや、無意識に気づかないふりをしていたのだ。「変なやつ」だと思われる恐怖が、真実から目を逸らさせていた。

 追放され、すべてを失った今、もう誰の目も気にする必要はない。皮肉にも、絶対的な孤独が彼を本当の自分と向き合わせることになった。


 リオンは、近くの小川で顔を洗った。水面に映る自分の顔は旅の疲れでやつれてはいたが、その瞳には今までなかったはずの、確かな光が宿っているように見えた。


(この力があれば……無実を証明できるかもしれない)


 そんな考えが頭をよぎったが、すぐに首を振った。今更村に戻ったところで、誰がこの途方もない話を信じるだろう。それに、不思議と彼らへの復讐心は湧いてこなかった。憎しみよりも、ミラの信じてくれた気持ちに応えたいという思いの方が、ずっと強かった。


(今は、ただ生き抜くんだ。そして、いつか……この力の正しい使い方を見つけ出す)


 リオンは立ち上がり、再び歩き始めた。空はどこまでも青く、まるで彼の進むべき道を照らしているかのようだ。孤独な旅はまだ続く。しかし、その足取りは、以前よりも確かに力強くなっていた。

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