第4話 アバタメ

 まだ朝日が昇り切る前にアバタメは目を覚ます。


 横に眠る女房のタケと、息子のカズラの寝息を確かめる。


 タケ。


 子供の頃から知っている女房。

 その寝顔を見るたびに、心に温かな日差しが差し込む。


 カズラ。


 俺の息子。達者で、強く育って欲しい。

 穏やかな気持ちに包まれる。


 ……今日も夜に呼ばれずに済んだ。


 あの冷たい声が戸口を叩かなくてよかった。


 アバタメが毎朝、二人の寝息を確認するようになったのはカズラのはやり病がきっかけだった。


 熱が何日も下がらず苦しそうに呻く我が子。

 夜になるたびに死の影が空を覆っていくような毎日だった。


 村の呪い師まじないしは親の前歯を粉にして飲ませろといった。

 理由など知らん。昔からそうだった。

 タケの前歯をやるわけにはいかぬ。

 舌でなぞる。

 すーすーと風が口内に入ってくる違和感には、まだ慣れていない。


「俺も歯抜けになったか」


 ふと口に出た。

 村には、歯抜けの父親が何人かいる。

 子供が無事だったのもいれば、夜に連れていかれたやつもいる。


 柄杓ひしゃくで水を飲む。

 手ぬぐいをかぶり、草鞋わらじを履く。

 一日を始めよう。


「アツィィィ」


 戸に手をかけた瞬間、獣とも人とも違う太く低い鳴き声がした。

 怨嗟えんさの響き。

 短く苛立ち、憎しみの種を蒔くような声だ。


 体がこわばる。

 小さな家の外に何かがいる。

 家ごと地獄に落ちて、徘徊する鬼がやって来たのかと思った。


「あんた。」


 タケが怯えた顔で俺を見つめた。


「カズラとここにいろ。」


 静かに伝えると戸に手をかけ音を出さないよう外にでる。


 なんだ。

 朝日を背負って影になっているが、大きな何かが俺を見ている。

 目を細める。

 人の形だ。


 ……でかい。

 村でも体格のいいはずの俺が、子供のように思えるほどだ。


 胸が焼ける。腹に鉄を流し込まれた。

 あの影の奥に鬼の顔を見た気がした。

 顔が見えぬからこそ、じい様の言葉が甦る。


「鬼は水を奪い、次に米、やがて女を隠した──」


 女房を隠された男の嘆きが、今も耳に残っている。

 あれは鬼だ。俺の家族を奪いに来た鬼だ。

 タケも、カズラも、隠されてなるものか。


 拳を握る。手に力がこもり、腕が震える。

 飲み込んだ鉄を砕くように、俺は叫ぶ。

「アァァーーッ! アアァァーー! ガァッ……!」


 がたり、と家の中でタケかカズラが音を立てた。

 俺は吐き捨てるように言った。


「タケとカズラはやらん。」

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