第4話 ハイエナの夜襲 ― 群れを守る牙咆哮―

夜のサバンナは、深い闇と静寂に包まれていた。

 星が瞬き、草の海を淡く照らす。

 その夜、俺たちは久しぶりに大きな獲物を仕留めていた。


 ヌーの成獣。

 母と群れのメスたちが順に肉を引き裂き、子どもたちはその周りで待機している。

 血の匂いと温かい命の余韻が漂っていた。


 俺――レオンは、群れの隅で腹を満たしながら、静かに星を見上げていた。

 “生きている”という実感が、まだ不思議な感覚のままだった。



 ふと、風が変わる。

 乾いた土の匂いに、異質な臭いが混じった。

 腐肉と血の混じるような、鼻の奥を刺す臭気。


 「……グル(母さん、何か来る)」


 俺が低く唸ると、母はすぐに耳を立てた。

 瞳が闇の向こうを射抜く。

 やがて、遠くの草陰に光るものがいくつも現れた。


 無数の目。

 闇に浮かぶそれは、夜の亡霊のようだった。


 ハイエナだ。

 数は――多い。



 「ガウッ!!!」

 雄が立ち上がり、夜空を震わせる咆哮を放つ。

 空気が震え、草原がざわめく。


 だが、ハイエナたちは怯まなかった。

 あの耳障りな“カカカカッ”という笑い声が闇の中を跳ねる。


 円を描くように、じりじりと包囲が狭まっていく。

 メスたちは子どもを背に守りながら、牙を剥いた。


 「グルルルル……(来る……)」


 母の声に、俺の喉がひとりでに鳴る。

 心臓がうるさい。

 喉の奥が乾く。



 最初に飛びかかってきたのは、左側だった。

 闇の中から灰色の影が跳び出し、ヌーの死骸に噛みつく。

 その瞬間、他の影も一斉に雪崩れ込んだ。


 「ガルルルッ!!!」

 母の仲間が飛びつき、ハイエナを引きはがす。

 牙と牙がぶつかる音が響く。

 夜の静寂が、一瞬で地獄に変わった。


 俺はリアと共に草陰に身を伏せた。

 「グル(怖い……)」リアが震える声を漏らす。


 俺も、怖かった。

 足がすくんで動けない。


 ――それでも。


 逃げたくなかった。



 すぐ近くで、母の叫びが響いた。

 「ガウウウウッ!!!」

 振り向くと、母の脚にハイエナの牙が食い込んでいる。


 血が、月明かりの下で黒く光った。


 「グルッ!!!」

 俺は立ち上がりかけて、リアに押さえつけられる。

 「ガルル!(動かないで!)」


 彼女の目が真剣だった。

 その瞳に、俺は自分の姿を見た気がした。

 ――怯えている。でも、逃げていない。



 笑い声が、すぐ目の前で響く。

 気配が近い。

 もう、目と鼻の先にまでハイエナが来ている。


 (守らなきゃ……)


 胸の奥で何かが熱く燃え上がった。

 恐怖が、怒りに変わる。

 頭の中が真っ白になる。


 「ガアアアアアアアアアアッ!!!」


 自分でも信じられないほどの咆哮が喉からほとばしった。

 空気が震え、風が止まった。


 一瞬、ハイエナたちの動きが止まる。

 その隙を突いて、雄が突進した。


 「ガウウウウウッ!!!」

 獅子の巨体が突っ込み、ハイエナの一頭を弾き飛ばす。


 メスたちも再び立ち上がり、吠えながら反撃を始めた。

 牙が閃き、闇が叫ぶ。



 どれほどの時間が経っただろう。

 やがて、ハイエナたちは撤退を始めた。

 悔しげに笑い声を響かせながら、闇の奥へ消えていく。


 夜風が戻り、草原が静寂を取り戻す。


 俺はその場に崩れ落ちた。

 全身が震えている。

 喉が痛くて、息がうまくできない。


 「ガル……(レオン、すごかった)」

 リアがそっと近づいてきて、俺の隣に座った。


 「グル……(怖かった)」

 「ガウ(ううん、強かったよ)」


 母が歩み寄り、俺の頭を舐める。

 「グルル(立派だった、レオン。あの咆哮……群れ全体が息をのんだ)」


 俺は答えられなかった。

 ただ、空を見上げた。

 星が滲んで見える。


 ――守るって、こういうことなんだ。

 怖くても、立つこと。

 それが強さの証なんだ。



 夜が明けるころ、ヌーの死骸は骨だけになっていた。

 朝日が昇り、草原が金色に染まる。

 群れは静かに歩き出す。


 「グル(いつか、レオンは群れを守る王になる)」

 リアが俺の隣で呟いた。


 「ガル(そうなれるように、頑張るよ)」


 血の匂いを残したまま、俺たちは進む。

 サバンナに、新しい一日が始まっていた。

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