第4話 町の小さな教会堂

 8月。


 リオモンテス夫妻が、やってくる日。


「ねえ、アンドレアス……

 本当に、私なんかで、大丈夫?

 ああ……

 ご両親に気に入っていただけなかったら、私どうしたらいいのでしょう?

 やっぱり、私がご挨拶に出向くべきだったわ。

 まだお目にかかったこともないのに、ご両親をこちらに呼びつけるなんて


 どうしましょう。

 私、とっても失礼なことしたんじゃないかしら?」


「まだそんなことを心配しているの?

 はははっ!

 大丈夫ですよ。

 ふたりとも、レナータに会うのをとっても楽しみにしているんだから。


 それに、結婚式はこっちでやったらいいんじゃないか、って言い出したのはうちの両親だし。

 失礼なことなんて何もないですよ。


 さあ、私の大切な蝶々さん……

 顔を上げて?

 いつもの素敵な笑顔を見せてください」


 レナータが顔を上げ、不安そうな目でアンドレアスを見つめた。

 アンドレアスの大きな手が、レナータの頬を優しく撫でた。

 ふたりの顔が自然と近づく。

 レナータがそっと目を閉じた。


 唇が重なる、やわらかい感触。


 レナータの胸に温かい幸福感が広がって、さっきまでの、胸を押しつぶすような不安を遠ざけてくれた。



 ◆



「ようこそいらっしゃいました!

 遠路はるばる、お疲れでしょう!!

 さあさあ! こちらへ!

 ご自分の家だと思って、どうぞおくつろぎください!


 ぺぺ! おふたりの荷物を、客間へお持ちしておいてくれ!

 

 お飲み物は?

 お父様は、ワイン? それともウィスキー?


 ああ、申し遅れました! 

 エステバン・デルでございます。

 それからこれが、妻。


 ママ。

 ふたりに、ご両親がお着きになったと伝えてくれないか?


 これから、ふたりの時間はいくらでもあるのだから、今日ぐらい居間にいておふたりの到着を待っていたら良いじゃないかと言ったのですがね。

 まあ、いまは一分一秒でも長くふたりきりでいたいのでしょうな。

 仲が良いのは、いいことだ!

 はっはっはっ!」

 

 ほどなくして、レナータとアンドレアスが部屋に姿をあらわした。

 レナータが入ってきた瞬間、「まぁ!」「おお」と声が上がる。

 結婚式を控えた女性ほど、美しいものはない。


 アンドレアスの母親が立ち上がってレナータに駆け寄った。

 涙を流しそうになりながら、レナータの手を取る。

 

「まあまあ、なんてかわいらしいお嬢様かしら!」


 アンドレアスはお義母様似なのね……

 そう、レナータは思った。

 

 優しそうな目元。

 すっと伸びた鼻筋。

 この美しいお義母様に、アンドレアスはよく似ている。 

 

「お初にお目にかかります。

 レナータ・デルにございます。

 お義母様、遠路はるばるお越しいただいて、ありがとうございます」


「んもー! ちゃんとしてらっしゃる!

 ご両親の躾がしっかりしてらっしゃるのね!

 こんにちは。

 アンドレアスの母です。

 これから、どうぞよろしくね?

  

 アンドレアス!

 あなた、しっかりがんばるのよ?

 レナータさんを泣かしたら、母さん許しませんからね!」

 

「父です。

 こんな息子ですが、どうぞよろしく」

 

 お義父様の笑顔は、アンドレアスにそっくり。

 素敵なご両親。

 きっと、仲良くして行けそう。


「お義父様!

 はじめまして。レナータ・デルです」


 スカートをつまみ、小さく膝を曲げてお辞儀するレナータは、まさに軽やかに舞う蝶のようだった。


「こりゃあ、アンドレアスが一目惚れしたのも納得だ。

 もうすぐ、レナータ・デル・リオモンテスさんですね?

 明日の結婚式が楽しみだ!」

 

 

 ◆ 

 

   

 町の小さな教会。


 子どものころから、日曜日にはパパとママに連れられて、毎週この教会に通ってきた。

 家から教会まで、パパと手を繋いでお散歩するのが大好きだった。

 パパの大きな手が大好きだった。

 パパと一緒に、私は何度、この扉をくぐったのだろう?



 私は今、その扉の前に、パパと並んで立っている。

 

 成長した私は、今日、父の腕を借り、扉が開いたら父に導かれ、愛する人のもとへと歩いていくの。


 扉の向こうから、神父様の声が聞こえる。


 パパに、何か話しかけたいのに、何も言葉が出ない。

 何も言わずに、この扉をくぐるのは嫌だった。

 


 3日前の夜、酔っ払ったパパが叫んでいたのを知っている。


 あの野郎……

 俺から、レナータを奪いやがって……


 なんて憎たらしい奴なんだ!


 ダメだダメだ!

 結婚式なんて、とりやめだ!


 娘は、やらん!


 ずっと家に置いておくんだ!


 パパ、パパ、って呼びかけてきた、あの愛おしいレナータを、あんな奴なんかに渡すものか!


 ちきしょう…… あの野郎!


 レナータを幸せにしなかったら、俺がモンテ・リマルまで乗り込んで、ぶったたいてやるからな?

 



 何か素敵な言葉を残したいと思ったけれど、扉の前で私の口をついて出たのは、これ以上ないほどシンプルな言葉だった。


「パパ…… 今まで、ありがとう……」


 パパは、なにも答えなかった。


 答えることができなかったのかもしれない。


 パパの大きな肩が小刻みに震えて、鼻をすする音が聞こえたから。




 扉が開いた。


 美しい賛美歌の声があふれてきた。


 工房のみんな。幼なじみ。親戚。家族。


 アンドレアスの友達やご家族も、そろってこちらを見ている。



 パパ……

  

 これが最後の、お散歩ね。



 パパ。ママ。ありがとう。


 私は、あの人のところへ行きます。


 ふたりでしっかり、歩いていきます。

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