第十章:インカウアシ

インカウアシ山頂は、人間に許された世界ではなかった。

空から舞い降りた四つの影は、音もなく純白の雪原に着地した。特殊素材で作られた戦闘服が、着地の衝撃を完全に吸収する。周囲に響くのは、地獄の釜が開いたかのような、猛烈な風の音だけ。ゴウ、と空気が唸りを上げ、叩きつけられる氷の粒がヘルメットのバイザーを激しく打ち付けた。

気温、マイナス52度。

気圧、450ヘクトパスカル。

呼吸をすれば、供給される酸素マスクの冷気が気道を焼き、一歩足を踏み出せば、全身に鉛の鎧をまとったかのような重力がのしかかる。視界は、地吹雪によって数メートル先までしか見通せない、純白の地獄。ここは、あらゆる生命を拒絶する、神々の領域だった。

ヤヌスはバイザーに表示されるサーモグラフィーに視線を落とした。自分たち四人の熱源以外、この山頂には何一つ生命の反応はない。ただ、静寂と、死と、そして圧倒的な暴力性を持った自然が支配していた。

『各員、状況を報告』

ヤヌスの声が、ヘルメット内部の通信機を通じて、ノイズ混じりに仲間たちに届く。

『スペクター、ポイントAに到達。狙撃ポイントを確保。……風が強すぎる。弾道がどこまで補正できるか』

『ジャガーノート、ポイントB。地盤は安定。いつでも「仕事」はできる』

『オラクル、ポイントC。衛星リンク、微弱ながら接続を確認。……でも、何かおかしい。強力なジャミング……いえ、これは、まるで空間そのものが捻じ曲がっているような……』

オラクルの報告に、ヤヌスは眉をひそめた。その時だった。

突風が、一瞬だけ雪と雲を吹き飛ばした。

ほんの数秒間だけ、彼らの眼前に、山頂の本当の姿が晒される。

そこに立っていたのは、岩と氷でできた自然の造形物ではなかった。

黒い、巨大な「何か」。

それはまるで、大地から突き出た巨大な黒曜石の塔のようにも見えたし、天を目指して凍りついた巨大な樹木のようにも見えた。表面は、光を一切反射せず、周囲の吹雪さえも吸い込んでしまうかのような、絶対的な黒。

そして、その黒い巨塔の表面に、幾何学的な模様が、まるで呼吸をするかのように、青白い光を放ちながら明滅していた。

『……目標を、視認した』

ヤヌスの声は、凍りついていた。

それは、恐怖からではなかった。

あまりにも美しく、そしてあまりにも冒涜的なその光景を前にした、戦士としての畏怖。

狼たちは、ついに獲物と出会ったのだ。

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