第三章 第1話 光の種、影の子ら

 ――百年が過ぎた。


 理の時代は終わり、人は再び“曖昧”を生きていた。

 恐怖は恐怖として、夢は夢として、嘘も祈りも、すべてが混ざりあう。

 けれどその混沌は、静かな腐敗を孕んでいた。


 誰も「なぜ」と問わなくなったのだ。

 問いが消えれば、理もまた形を失う。


 そんな世界の片隅で、一人の少年が空を見上げていた。

 黒髪に灰の瞳。名を――アリュス。


 村は、風の止まった荒地にあった。

 草も実らず、川は濁り、人々は無言で働く。

 “問い”を立てることが禁じられた村。


 アリュスは、小さな畑の隅で黙々と土を掘っていた。

 掘り進めるうちに、指先に冷たい感触が触れた。


 それは、折れた杖の欠片だった。

 黒い金属のような、だが触れると光のように柔らかい。


 「……なんだ、これ」


 持ち上げると、耳の奥で声がした。

 ――〈問いを持て〉


 思わず手を離す。だが、杖は消えない。

 むしろ、淡い光がアリュスの胸へ吸い込まれていく。


 「……いまの、誰の声……?」


 その瞬間、彼の脳裏に断片的な映像が流れ込んだ。

 白い書庫、炎のような男、そして――“再定義”という言葉。


 夜。

 村の中央広場では、老人が語っていた。

 「昔、この世界には“理を紡ぐ者”がいたそうじゃ。

 名をアザゼル。

 理を整えすぎて、最後には世界を壊した。

 ゆえに、もう問うな。理を求めるな。――それが我らの掟じゃ」


 アリュスは拳を握った。

 胸の奥で、あの声が微かに響く。

 〈問え。問うことこそが、生だ〉


 彼は立ち上がった。

 「……“なぜ”を禁じるなんて、おかしい」


 人々が振り向く。

 「なにを言った?」

 「掟を破る気か?」

 アリュスは震えながらも言った。

 「――僕は、理を見たい」


 夜半。

 アリュスは村を出た。

 杖の欠片が胸で光り、足元を照らす。


 その光が導いたのは、廃れた祠だった。

 中には、青い衣を纏った女性が倒れている。

 白銀の髪。

 瞳を閉じたまま、静かに息をしていた。


 「……生きてる?」

 そっと肩を揺すると、彼女の唇がわずかに動いた。

 「――再定義者の……弟子、か」


 「え?」

 彼女の瞳が開く。

 薄い光の奥に、かすかな“理の残火”が宿っていた。


 「名を……リアナ。

 アザゼルの弟子のひとりだった者だ」


 翌朝。

 焚き火を囲みながら、リアナは語った。


 「アザゼルが消えて百年。

 理は人の中に散り、言葉として眠っていた。

 だが……世界がまた“問い”を忘れはじめた。

 理なき地(リ・ジェネシス)は、今、崩壊を始めている」


 アリュスは黙って聞いていた。

 彼の胸で、杖の欠片がかすかに脈を打つ。


 「その光……」リアナが目を細める。

 「まさか、それは……アザゼルの再定義の種


 「これが……?」

 「彼が最後に残した“理の芽”だ。

 問いを持つ者に応え、世界をもう一度書き換える力」


 「僕が、それを……?」

 「選ばれたのではない。

 お前が“問いを放った”からだ。

 理は、問う者に宿る」


 風が吹いた。

 森の向こうに、光の柱が立ち昇っている。

 それは、かつての書庫が崩壊した跡――今は“理の裂け目”と呼ばれていた。


 リアナが立ち上がる。

 「行こう、アリュス。

 理は滅びてなどいない。

 問う者がいる限り、それは再び芽吹く」


 アリュスは頷いた。

 「僕は、確かめたい。

 “理が人を救うのか、それとも滅ぼすのか”を」


 「それが新たな再定義の始まりだ」


 夜明けの光が差す。

 灰色だった空に、かすかな青が戻り始める。

 その色を見上げながら、少年とかつての弟子は歩き出した。


 ――再び、理の物語が動き出す。


(つづく)


次回・第三章 第2話「理なき地の旅立ち」

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