第二章 第9話 終焉の書庫と再定義者の罪

 ――風が止み、世界の音が薄れた。


 長い旅の果て、私たちは「終焉の書庫」と呼ばれる場所へ辿り着いた。

 山でも海でもない、空の裂け目のような場所。

 そこには石の階段が延々と続き、その下に“書の大地”が広がっていた。


 リアナが息を呑む。

 「……これ、全部、本……?」

 「そうだ」

 私はゆっくりと頷いた。

 「この書庫には、世界の理が記されている。

 恐怖、夢、嘘、祈り、記憶――すべての再定義がここに残る」


 空は色を失い、時間の流れも曖昧になっていた。

 踏みしめるたびに、紙のような砂が舞う。


 リナが言う。

 「師匠、ここ……“生きてる”みたいです」

 「その通りだ。書庫はただの場所ではない。

 理を記す者たちの“思考の集合”だ。

 ここで書かれたことは、現実となる」


 ナナが杖を握る。

 「じゃあ、師匠の“再定義”も、全部ここにあるんですか?」

 「ああ。そして、最後の頁には――私の終わりも記されているはずだ」


 書庫の中央に、巨大な机があった。

 そこに、一冊だけ“開かれたままの本”があった。

 ページには、今も文字が浮かび続けている。

 まるで誰かが、今この瞬間も書き続けているように。


 リュカが呟く。

 「……これが、“理の原典”?」

 「そうだ。神々も、悪魔も、世界の理も――すべてここから始まった」


 私は手を伸ばした。

 文字が滲み、私の名前が浮かび上がる。


 《再定義者アザゼル。

 理を巡り、すべてを整えし者。

 そして――理を滅ぼす者。》


 弟子たちが息を呑んだ。

 「滅ぼす……?」

 「そんな、師匠が?」

 私は静かに本を閉じた。


 「これは、予言ではない。記録だ」

 「記録……?」

 「再定義とは、理の改稿――つまり、世界そのものの上書きだ。

 何度も理を塗り替えれば、いずれ“原典”が崩壊する。

 私はそれを繰り返してきた。恐怖を、夢を、祈りを、記憶を――」


 沈黙。

 リアナが震える声で言った。

 「じゃあ……師匠は、世界を救ってるようで、壊してた?」


 「そうだ。

 理解は再生を生み、再生は上書きを生む。

 上書きは、いずれ“原型”を消す。

 私の理は、いずれこの世界を――無にする」


 その時、書庫全体が震えた。

 天井から無数の光の糸が降り、形を成す。

 “上位アザゼル”――あの理の化身が、再び現れた。


 《ようやく気づいたか。

 お前の行為は救いではない。

 理を安定させるたび、世界の根を削っている。》


 「分かっている。だが、止められない」

 《止めねば、理は破綻する。》

 「破綻しようが、理は人に委ねられるべきだ」


 《……ならば、証明してみせろ。

 お前が“理を超える存在”であることを。》


 光が走り、書庫が分裂した。

 書が宙を舞い、言葉が剣となって飛ぶ。

 私は杖で受け止めた。

 「弟子たち、下がれ!」


 「でも――!」

 「理を壊すのは、私の役目だ!」


 光の嵐の中で、私は叫んだ。

 「再定義――“理は終わりではなく、通過点とする”!」


 世界が反転する。

 書が光に変わり、空間が一瞬、真白になった。

 だが――次の瞬間、上位アザゼルの声が響いた。


 《その定義は、原典を破壊する。》


 「知っている」

 《では、お前自身も――消えるぞ。》

 「それもまた、理だ」


 閃光。

 音も、光も、全てが消えた。


 ……気づけば、私は何もない白の中に立っていた。

 世界が書き直される前の“余白”。

 そこに、弟子たちの声が遠くに聞こえた。


 「師匠――!」

 「師匠、やだよ、消えないで!」


 私は微笑んだ。

 「消えるわけじゃない。

 理が、私の中に戻るだけだ」


 その瞬間、白が広がり、私の身体が光に溶けた。


 静寂のあと――

 風が吹いた。


 弟子たちが目を覚ますと、書庫は跡形もなく消えていた。

 だが、空には一本の光が昇っていた。

 その中心に、杖だけが残されていた。


 リアナが涙を拭いながら呟く。

 「師匠の“理”が……生きてる……」


 ナナが微笑んだ。

 「じゃあ、これからは私たちが書く番ですね」


 「そうだ」リナが頷いた。

 「理はもう、誰かの所有物じゃない。

 恐怖も、夢も、嘘も、祈りも、記憶も――全部、私たちの言葉で紡げる」


 風の中、かすかに声が聞こえた。

 “再定義は、終わらない。

 理がある限り、人は問い続ける。”


 弟子たちは空を見上げ、歩き出した。

 その先に、まだ見ぬ世界が待っている。


(第二章・完)


次章予告


第三章 理なき地の黎明(リ・ジェネシス)

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