錦秋

あまぐりたれ

ふゆどなり

 十一月の風は、もうすっかり冬の気配をまとっていた。


 校舎の窓から見えるイチョウ並木は、文化祭の喧騒を見送り終えて金色の葉を散らしている。美術室の中は少しひんやりしていて、油絵の具と木の床の混ざった匂いが漂っていた。


 真帆は、イーゼルの前に座ったまま筆を動かしていなかった。キャンバスには、風景画。背景の空には鱗雲、真っ直ぐと伸びる銀杏並木の道が途中まで描かれている。


 「真帆、今日も残ってるの?」

 隣の席で片付けをしていた先輩の千佳が声をかけた。

 「いえ、今日の分は描けたのであとちょっとで終わります」

 と答えながら、真帆は筆を止めた。今日の分は描けた、なんて嘘だった。むしろ何を描きたいのか、自分でも分からなくなっていた。


 文化祭が終わって、校内は静かになった。


 浮かれていた時間の反動のように、進路の話が現実味を帯びて押し寄せてくる。二年生になったら、文理コースを選ばなければならない。美術の先生は「絵のセンスがある」と言ってくれたし、医療系の仕事をしている両親は「安定した進路がいい」と言う。どちらの声も、どこか遠くに響くようだった。


 千佳はパレットを拭きながら、ちらりと真帆の絵を見た。

 「空、いいね。冷たい感じが十一月っぽい」

 「ありがとうございます」

 「真帆、迷ってるんでしょ? 進路」

 図星を刺され、真帆は筆を握りしめた。


 加奈は三年生で、美術系の大学を目指している。夏休みから毎日デッサン室にこもっていて、最近は試験用の作品作りに没頭していた。


 「私もね、迷ったよ。親は看護師になってほしいって言ってた。でも、描くのをやめたら、自分が自分じゃなくなる気がして」

 窓の外から風が吹きこみ、床に散らばった紙切れがふわりと舞った。


 「真帆は、どうしたいの?」


 その問いにすぐ答えられなかった。

 どうしたいのか。何を描きたいのか。どう生きたいのか。

 最近はそればかり考えて、筆が止まってしまう。


 外を見ると、イチョウの葉が夕陽を受けて光っていた。金色というより、少し焦げたような橙色。


 真帆はその光景を見ながら、そっとパレットに新しい絵の具を出した。カドミウムイエロー。秋の色。


 「ねえ千佳先輩、今度の日曜、スケッチ行きませんか?」

 「いいね。どこ行く?」

 「川沿いの公園。銀杏がきれいなところがあって」

 「了解。じゃあお弁当持っていこっか」


 千佳の笑顔につられて、真帆も少しだけ笑った。

 描くことをやめなければ、迷いながらでも前に進める気がした。


 下校のチャイムが鳴る。

 校庭のほうから、運動部の掛け声が遠く聞こえた。

 真帆は筆を持ち直し、キャンバスの白い部分に向かって息を吸った。


 青い空の下に、金色の銀杏並木を描き始める。


 その色は彼女の目指す小さな灯のようだった。

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錦秋 あまぐりたれ @tare0404

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