第40話 繋がる事象
【記録編集者による註釈 X】
宗像教授からのメールは、パンドラの箱の底に残っていた、最後の希望さえも奪い去った。先輩たちが追っていたのは、単なる日本の怪談などではなかったのだ。
次に示すのは、彼らが全ての取材を打ち切り、絶望と混乱の中で東京へと戻る、雨の夜の車内の記録である。
この記録の中で、彼らは、全く無関係だと切り捨てたはずの二つの事象が、ありえない一点で繋がっていることに気づいてしまう。
しかし、人間の精神は、自らが壊れてしまわないために、時に、目の前にあるはずの真実から、巧みに目を逸らすことがある。
これは、彼らが恐怖から逃れるため、必死に自己欺瞞を試みた、痛ましい記録である。
【音声記録ファイル:IZU_Car_interior_051.wav】
収録日時:2025年7月8日 19:30
場所: 伊豆から東京へ向かう高速道路・サービスエリア(車内)
(※東名高速を叩く激しい雨音。車はサービスエリアの隅に停車している。車内は、稲見氏の家を出てからずっと、重い沈黙に支配されていた。)
佐々木: 「……クソ……」
(※助手席の佐々木が、ノートPCの画面を睨みつけながら、低い声で悪態をつく。彼は、宗像教授から送られてきた、ヴァレリウスの資料画像を、何度も拡大・縮小している。)
「……この『V』の印……。見れば見るほど、気味が悪い。どっかで見たことあるんだよな、絶対に……」
田村: (後部座席で力なく)「……VVヒルズの、ロゴ……」
佐々木: 「……は?」
田村: 「あの、なんていったっけ…… そうだ!一条! 一条紫苑のマンションのロゴですよ。Vが、二つ重なった……。似てません……?」
(※田村の言葉に、車内の空気が凍りつく。佐々木は、数秒間、何も言わずに田村の顔とPCの画面を交互に見た後、凄まじい勢いでPCの操作を始めた。)
佐々木: 「待て……待て待て待て! 嘘だろ!?」
(※彼は、数週間前の取材フォルダをこじ開け、一条紫苑のインタビュー時に撮影した、マンションのパンフレットの画像データを表示させる。そして、その画像を、ヴァレリウスの『V』の印の画像と、画面を分割して並べた。)
「……同じだ……。おい、水野さん、田村……これ、見ろよ……。同じじゃねえか!!」
(※モニターに並べられた二つの『V』の印。一つは、17世紀の異端の錬金術師が使っていたという、古文書のシミのついたシンボル。もう一つは、現代東京の最高級マンションで使われている、洗練されたロゴマーク。形は、寸分違わず、同じだった。)
田村: 「なんで……? なんで、同じものが……?」
水野: 「……落ち着け。調べる。今、ここで、すぐに調べるんだ」
(※水野は、佐々木からPCをひったくるように受け取ると、高速でキーを叩き始める。検索窓に打ち込まれる「VVヒルズ 建築家」「VVヒルズ 設計者」の文字。)
水野: 「……いた。建築家は、ジャン=ピエール・ヴァルモン。フランス人……前衛的なデザインで有名な、世界的な建築家だ……。彼のデザイン哲学は……『古代のルーン文字やシンボルに現代的な解釈を与える』……クソッ!」
佐々木: 「まさか、その建築家が……ヴァレリウスの子孫とか……?」
水野: 「そ、そんあわけあるか! もっとだ……もっと、何か……」
(※水野は、建築家ヴァルモンの名前で、画像検索をかける。彼の作品の写真、インタビュー記事……その中に、彼のインスタグラムのアカウントがあった。水野は、躊躇なくそのページを開き、投稿写真をスクロールしていく。そして、ある一枚の写真の前で、彼の指が、完全に止まった。)
(※それは、数年前に開かれた、VVヒルズの竣工記念パーティの写真だった。写真の中では、建築家ヴァルモンが、満面の笑みで、一人の日本人女性とシャンパングラスを掲げている。その女性は―― 一条紫苑だった。)
田村: 「……あ……ああ……」
佐々木: 「……繋がってる……。あの女、建築家と……グルなのか……? だから、あのロゴを……。じゃあ、俺たちがインタビューした時、あの女は、全部……!」
(※車内は、完全なパニックに陥った。田村は浅い呼吸を繰り返し、佐々木は頭を抱えている。その時、水野が、バタン!と大きな音を立てて、ノートPCを閉じた。)
水野: (荒い息遣いで、しかし、無理やり押し殺すような声で)「……やめだ」
佐々木: 「え……?」
水野: 「……やめだ、この話は。……俺たちは、疲れてる。何日も、まともな飯も食わずに、寝ずに、あの婆さんたちの、気味の悪い話を聞かされ続けた。……だから、幻を見てるんだ。ありえない偶然を、無理やり繋げようとしてるだけだ」
田村: 「で、でも、写真は……ロゴは……!」
水野(叫び声に近い声で): 「偶然だッ!!」
「いいか!? よく聞け! 『V』の印? 建築家の名前がヴァルモンだからだ! それだけだ! 写真? あの女は、あのマンションの住人なんだぞ! 建築家とパーティで写真の一枚も撮るだろう! それがどうした! 何の証拠になる!?」
「伊豆の薄気味悪い儀式を継承している女がいたとする!もう婆さんだ!一条紫苑を見ろ!どうみても二十代後半から三十代前半だぞ!」
田村: 「でも若さを保つ儀式とか……」
水野: 「じゃあ、あの婆さんが言っていた魔女というのがいたとしよう! そいつが自分のために、わざわざ世界的な建築家を雇って、呪いのタワーマンションを建てさせる!? そんな馬鹿げた話があるか! 三流のホラー映画じゃねえんだぞ!!」
(※水野は、明らかに、自分自身に言い聞かせていた。あまりに巨大で、あまりに荒唐無稽な真実を前にして、彼の精神が、それを事実として受け入れることを、全力で拒絶していた。)
水野: (二人の顔を、まるで助けを求めるように見つめ)「……偶然だ。……そうに決まってる。……そうだろ?」
(※佐々木と田村は、水野のその必死の形相に、何も言えなかった。彼らもまた、この恐ろしい真実から、逃げ出したかったのだ。)
佐々木: 「……ええ。……そう、ですね。ただの、偶然、ですよ」
田村: 「……俺たち、疲れてるんです……。早く、東京に帰りましょう……」
(※車内は、再び沈黙に包まれた。だが、それは先ほどまでの重い沈黙ではなかった。真実を見てしまった三人が、必死にそれを見なかったことにしようとする、痛々しく、そして脆い、偽りの静寂だった。)
▼水野のPCメモ:2025年7月9日_午前3時
あれから、誰とも口を利いていない。
スタジオに戻り、俺たちはそれぞれの家に帰った。
あの車内での結論は、公式には「偶然の一致」ということになっている。調査は、一度振り出しに戻す。そう、俺が言った。
だが、なぜだ。
目を閉じると、あの二つの「V」の印が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
あれは、本当に、ただの偶然だったのか?
俺は、今、何を恐れている?
真実が分からないことか?
違う。
分かってしまったのかもしれない、という事実を、恐れているんだ。
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