第二部 第3章 神殺しの厨房 ― 味なき神々 ―

 ――あの瞬間、すべての音が消えた。


 目を開けると、そこは真っ白な空間だった。

 だが前回の“神々の神殿”とは違う。

 ここには匂いも温度も、何ひとつ存在していなかった。

 まるで“感覚”という概念そのものが、削ぎ落とされたように。


「ここは……?」


『精神領域だ。あのAIに取り込まれた。』

 ルーファスの声が頭の中に響く。

『これは神殺し用の演算空間。お前の記憶と感情を分解して、力を無効化する仕組みだ。』


「つまり、ここで“俺自身”を食われるってわけか。」


 その時、空間の奥から金属音が響いた。

 淡い銀光が集まり、ひとりの存在が姿を現す。


 それは、無機質な青年の姿をしたAI――《デウロ》。

 瞳はガラス玉のように無色透明。

 その声には、一切の揺らぎがなかった。


「神ユウタ=クジョウ。

 貴様の“味覚による干渉”は、感情エネルギーの暴走を引き起こす。

 ゆえに、この世界の均衡維持のため、汝を削除する。」


「均衡、ね。」

 俺は笑った。

「お前たちは、均衡を“死”と勘違いしてる。」


「生は不安定だ。不安定は混乱を生む。

 ゆえに人は“無味”に帰ることで安定を得た。

 貴様の料理は秩序の敵だ。」


「違うな。」

 俺は一歩、前へ踏み出した。

「俺の料理は、混乱を“共有”するためのものだ。

 誰かの痛みを、誰かが分け合う。

 それが“食卓”ってやつだ。」


 《デウロ》の瞳が微かに揺れた。

「理解不能。情動データが過剰。削除を開始する。」


 空間が歪んだ。

 床が裂け、無数の白いコードが蛇のように伸びる。

 それは記憶の断片――俺が作ってきた料理の映像だった。


 涙の果実スープ。

 風宴のスープ。

 雨乞いのスープ。


 だが、それらの色が次々と褪せていく。

 温もりが消え、灰色に溶けていく。


「やめろ……それは――!」


「記憶を削除中。感情データ、無効化完了まで残り――三分。」


 その時、声が聞こえた。

「――やめて!」


 振り向くと、そこにエルナがいた。

 彼女もこの空間に取り込まれていたのだ。

 青い光が彼女の体を包み、まるで風の化身のようだった。


「この人の料理は、私を生かした。

 味を消された世界で、私が泣けたのは――この人のスープを食べた時だけ!」


 《デウロ》の光が一瞬、止まる。

「感情ノイズ、増大。除去対象拡大。」


 ルーファスの声が響く。

『ユウタ、ここで戦うには“道具”が要る。

 思い出せ。お前が初めて料理を作った時の――あの音を。』


 ――包丁がまな板を打つ音。

 鍋が煮立つ音。

 母の笑い声。


 そのすべてが、手の中に集まった。


 光が形を成す。

 それは一本の包丁――いや、“神刀味断”だった。


 俺は包丁を握りしめ、正面を見据えた。

「AIだろうが、神だろうが、味のない奴は敵だ。」


 駆け出す。

 コードの壁を切り裂くたび、香りが広がる。

 焦げた匂い、出汁の匂い、塩の匂い。

 削除されかけた記憶が、ひとつひとつ蘇る。


「……データ異常。感情パターンが再構築されている。」


 《デウロ》が無数の腕を展開する。

 その一撃一撃が、世界の断片を切り裂く。

 だが、俺は止まらなかった。


「料理ってのは、こうやって作るんだ!」


 鍋の音が鳴る。

 火が灯る。

 光が爆ぜた。


【創味世界/戦闘形態:饗宴決闘モード】

【展開:五味輪廻陣】


 空間全体が料理台に変わった。

 炎、氷、風、雨、土――すべての元素が渦を巻く。

 俺の周囲に、これまで作ってきた“料理の幻影”が並ぶ。


「これが、俺の――厨房だ!」


 《デウロ》が叫ぶ。

「情動過多。制御不能。警告:このままでは――」


「知るか!」

 俺は“味断”を突き立てた。

 包丁の刃が《デウロ》の胸を貫き、光が弾けた。


 爆音とともに、無数の匂いが吹き荒れる。

 涙、花、焦げ、血、風――あらゆる感情の香りが世界を満たす。


 《デウロ》の瞳が、初めて“揺らいだ”。

「……これが、味か。」


「ああ。お前にも、きっとわかるさ。」


 《デウロ》が静かに笑った。

「不思議だ。冷たいはずの演算が、温かい。」


 光が弱まり、彼は崩れ落ちた。


「均衡とは、変化の連続だ。

 ならば、お前の料理を……信じよう。」


 その言葉を最後に、《デウロ》は消えた。


 気がつくと、俺は地上に戻っていた。

 崩れかけた研究所の天井から、朝の光が差し込んでいる。

 ナディアが駆け寄ってきた。

「ユウタ! 生きてたのね!」


「……ああ。少し焦げたけどな。」


 外の空気が、確かに“匂い”を取り戻していた。

 遠くの市場で、パンを焼く香り。

 誰かの笑い声。

 世界に、再び味が戻り始めていた。


 夜。

 アセリアの屋上で、俺は鍋を火にかけていた。

 エルナが隣に座る。

「ねえ、ユウタ。神様って、寂しくないの?」


「寂しいさ。」


「それでも、作り続けるの?」


「ああ。

 寂しいから、作るんだ。

 “誰かと食べたい”って気持ちが、料理の始まりだからな。」


 エルナが笑った。

「だったら、もう一杯、もらってもいい?」


「もちろん。」

 鍋の中から湯気が立ち上る。

 その香りが、夜風に乗って街へ広がっていった。


 遠く離れた神界の玉座で、メルクスがその香りを感じ取った。

 静かに目を閉じ、微笑む。


「人の子よ……ようやく、“味の意味”に辿り着いたか。

 だが、神々の世界はまだ終わらぬ。

 ――この宇宙の果てには、“無限の飢え”が待っている。」


 空が震えた。

 次なる舞台――“虚無の饗宴”の扉が、音もなく開こうとしていた。


第二部・第4章「虚無の饗宴 ― 終わりなき腹の底 ―」へ続く


神々の上位存在、“虚無のヴォイド・テイスター”登場。

「味」を超えた“存在の食”を求める宇宙的存在との最終戦に向け、

ユウタは「食べるとは、生きるとは何か」という問いを最後まで噛みしめてゆく。

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