第二部 第4章 虚無の饗宴 ― 終わりなき腹の底 ―
夜空が、割れた。
星々が音もなく崩れ、空間の奥底から、黒い渦が現れた。
その中心に、言葉では表せない“空腹”があった。
見るだけで、胃の奥が痛くなる。
全てを飲み込み、世界そのものを“食べよう”とする存在。
それが、虚無の
アセリアの空は、まるで空洞のように沈黙していた。
街の人々が空を仰ぎ、震えている。
風は止まり、海は黒く凍っていた。
『……来たな。』
ルーファスの声が低く響く。
『“食”そのものを否定する存在。奴は飢えの化身だ。
生も死も、満たすことも、すべて喰らう。』
「つまり、“満腹を拒む神”か。」
『ああ。お前の対極にある存在だ。』
エルナが拳を握りしめる。
「どうすれば、そんなのに勝てるの?」
「……食わせる。」
俺は空を見上げた。
「虚無の腹を、満たしてやるんだ。」
大地が揺れた。
黒い渦から無数の腕のような影が伸び、街を覆う。
建物が崩れ、空気が焼ける。
それでも、俺は動かなかった。
「ルーファス、炎を。エルナ、水を。」
『了解。』
竜の咆哮とともに炎が天を走り、エルナの両手から蒼い光があふれる。
炎と水が交わり、空に巨大な鍋のような渦を描いた。
「ここが俺の最後の厨房だ。」
ウィンドウが一斉に開く。
【創味世界:最終展開】
【全属性融合許可】
【構築対象:虚無対応料理】
材料は――この世界そのもの。
風、大地、涙、血、命、祈り。
すべてをひとつの“味”に混ぜ合わせる。
炎が渦を巻き、蒸気が空を染める。
虚無の主が動いた。
その声は、耳ではなく“魂”に直接響いた。
『――なぜ抗う。
飢えは終わりなき真理。
食えば消える。
満たせば渇く。
それが宇宙の理。』
「違う。」
俺は包丁を握った。
「食べるってのは、消すことじゃない。
生きて、覚えて、繋ぐことだ。」
鍋の中で光が踊る。
その香りが、街全体に広がった。
懐かしい匂い――涙の果実、風のスープ、砂の果実。
人々が顔を上げる。
忘れていた“味の記憶”が、彼らの中で蘇る。
誰かが笑い、誰かが泣いた。
それを見て、虚無の主が呻くように叫んだ。
『……不要な感情。
世界を乱す雑音。』
「その“雑音”が、命の鼓動だ!」
俺は渾身の力で“味断”を振り下ろした。
光が奔り、渦の中心を切り裂く。
その瞬間、空間が裏返った。
俺は虚無の中に引きずり込まれた。
重力も、音も、光もない。
ただ、無限の空腹だけがそこにあった。
何も見えない――と思ったその時。
耳の奥で、誰かの声がした。
母の声。
「おかえり。ごはんできてるよ。」
次に、エルナの声。
「ユウタ、あったかい匂いだね。」
そして、ルーファスの低い笑い声。
「腹が減るな。」
その声が、俺の中で重なった。
「……そうか。空腹ってのは、まだ生きたいってことか。」
俺は虚無の闇に手を伸ばした。
闇は抵抗した。
だが、その奥から、ほんのわずかに“匂い”がした。
焦げた匂い。
初めて料理を失敗したときの、懐かしい焦げの匂い。
それを掴み、俺は笑った。
「腹が減ってるなら、食えよ。」
鍋が現れる。
光の中に、世界のすべての味が混ざり合った“スープ”が浮かんだ。
【創造料理:饗宴の最果て】
【効果:全存在への味覚共有/虚無への充満】
「――いただきます。」
スープを虚無に差し出す。
黒い渦が震え、抵抗する。
だが、一口――それを飲んだ瞬間、世界が光に包まれた。
闇が、静かに泣いた。
『……これが、“味”か。
熱く、痛く、苦しく――それでいて、優しい。
満たされる、というのは……こういうことか。』
「そうだよ。
食うってのは、誰かの痛みを受け入れることなんだ。」
虚無の主が、微笑んだように見えた。
『我は飢えを忘れよう。
次の世で、お前の料理を食おう。』
そして、消えた。
気づくと、空が青かった。
崩れた街の上に、朝日が差し込む。
人々が地面に手をつき、空を仰いで泣いていた。
その涙は、どこか甘い匂いがした。
エルナが駆け寄る。
「ユウタ! やったの?」
「……ああ。世界の腹は、少し満たされたみたいだ。」
ルーファスが翼をたたみ、苦笑した。
『だが、お前はまだ“空腹”だろう?』
「当然だ。
料理人は、いつだって腹が減ってる。」
俺は空を見上げた。
光の中に、虚無の主の影が、微かに笑っていた気がした。
夜。
焚き火のそばで、鍋をかける。
風が柔らかく吹き抜ける。
エルナがスプーンを差し出した。
「ねえ、次はどんな味?」
「そうだな……。
次は、“未来の味”だ。」
湯気の中で、世界が少しだけ輝いた。
神界の玉座。
メルクスは静かに立ち上がった。
空間の奥に、消えた虚無の座を見つめる。
「……人の子よ。
食卓を越え、世界を救ったか。
だが――宇宙の果てには、まだ“空腹な神々”が眠っている。」
その手のひらに、一冊の本が現れる。
タイトルは『饗宴の記録』。
その最初のページには、こう記されていた。
――食卓は、終わらない。
第二部・完 ―「虚無の饗宴編」終幕
次章(第三部)は舞台を“宇宙の辺境”へ移します。
タイトルは――
第三部 『星の厨房 ― 神々の余白 ―』
ユウタは神格を離れ、「ただの料理人」として新たな世界を旅する。
彼が作るのは、戦うための料理ではなく、“記憶をつなぐ一皿”。
――かつて救った世界の味を、もう一度確かめるために。
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