第3話『視線と価値』



-### **デンジャラスアウトサイドBeautyズ**


### **第三話『視線と価値』**


さゆりが神殿という「聖域」に根を張り始めた頃、末娘のまゆみは、王都の最も混沌とした場所へと足を踏み入れていた。

そこは、国境警備を終えた傭兵、ピラミッド建設の日雇い労働者、そして一攫千金を夢見るならず者たちが、なけなしの銅貨を握りしめて集う安酒場だった。汗と安酒と、諦めの匂いが染み付いたその場所は、さゆりが選んだ神殿とはまさに対極の世界だった。


まゆみが初めてその酒場の扉を開けた時、全ての視線が彼/彼女に突き刺さった。

男たちのむさ苦しい熱気の中に、まるで場違いな宝石が紛れ込んだかのようだった。日に焼けていない白い肌、男にしてはしなやかすぎる体つき、女にしては挑戦的な鋭い眼光。その中性的な美貌は、この酒場の住人たちにとって理解不能な存在であり、好奇と侮蔑、そしてわずかな欲望が入り混じった視線の矢となって降り注いだ。


「なんだぁ、お嬢ちゃん。ここはガキの来るとこじゃねえぞ」

酒場の中で最も体格の良い、熊のような大男が下卑た笑いを浮かべて絡んでくる。周囲の男たちも、ニヤニヤとそれを見ていた。彼らにとって、新しい獲物を嬲るのは最高の酒の肴だった。


まゆみは、動じない。

むしろ、その状況を楽しんでいるかのように、妖艶に微笑んだ。

「お嬢ちゃん、ねぇ…。あんたの目は節穴かい?」

その声は、男とも女ともつかぬ不思議な響きで、酒場のざわめきの中でも妙に通った。


男が顔を赤くして立ち上がろうとした瞬間、まゆみの視線は、男たちの奥でサイコロ賭博に興じている一団へと移った。

「それより、そこの賭け、面白そうだね。混ぜてくれるかい?」


賭博の胴元は、片目の男だった。彼はまゆみを値踏みするように見つめ、鼻で笑った。

「金は持ってんのか、坊主」

まゆみは無言で、革袋から数枚の銅貨を卓に置いた。それは、この酒場では決して少なくない額だった。


ゲームが始まる。まゆみは最初は負け続けた。しかし、彼/彼女の目はサイコロではなく、胴元の男の指先の僅かな癖、そして他の参加者たちの視線の動きをじっと観察していた。数回後、まゆみは全財産を賭けて、あり得ない出目に賭けた。


「無茶だ!」「そりゃ出ねえよ!」

野次が飛ぶ。しかし、片目の胴元の顔から、一瞬だけ笑みが消えたのをまゆみは見逃さなかった。

結果は、まゆみの言った通りの出目だった。

酒場がどよめく。胴元は顔を青くし、舌打ちしながら銅貨を掻き集めてまゆみの前に押し出した。


「イカサマだろ」

最初に絡んできた熊のような男が、難癖をつけてきた。

「イカサマ?」

まゆみはゆっくりと立ち上がり、男に歩み寄る。その小柄な体からは想像もつかないほどの威圧感が放たれ、男は思わず後ずさった。

「違うね。あんたたちが気づかないだけさ。こいつは、サイコロを振る前に、一瞬だけ賭け金が一番少ない場所を見る癖がある。簡単なことだろ?」


まゆみは片目の胴元を指差した。図星を突かれた胴元は、ばつが悪そうに顔を背ける。

周囲の男たちは、驚きと尊敬が入り混じった目でまゆみを見ていた。この小僧/娘は、ただの美しいだけの存在ではない。自分たちと同じか、それ以上に、この世界の汚い仕組みを理解している。


まゆみは、賭けで得た銅貨の山を掴むと、それをカウンターに叩きつけた。

「親父! ここにいる全員に、一番高い酒を一杯ずつ!」


その声に、酒場は一瞬静まり返り、次の瞬間、割れんばかりの歓声に包まれた。

熊のような男も、片目の胴元も、他の誰もが、さっきまでの敵意を忘れ、興奮した面持ちでまゆみを取り囲む。


まゆみは、ただ微笑んでいた。

金で歓心を買うのは、三流のやることだ。

彼/彼女がやったのは、この酒場の「価値」の序列を、一夜にして塗り替えることだった。


腕力でも、財力でもない。

洞察力と、度胸と、そして何よりも「あんたたちのことなど、全てお見通しさ」という圧倒的なカリスマ。

人々は、自分たちの本質を見抜かれたことに快感を覚え、そして恐れを抱いた。この不思議な人物は、自分たちの価値を誰よりも分かってくれているのではないか。


その夜、まゆみは酒場の中心にいた。

男たちは、彼/彼女に自分の武勇伝を語り、不満をぶちまけ、夢を語った。まゆみは、その全てを面白そうに聞き、時に的確な相槌を打ち、時に鋭い指摘で相手を黙らせた。彼/彼女の周りには、不思議な熱狂が渦巻き始めていた。


「なあ、あんた、名前はなんて言うんだ」

熊のような男が、すっかり酔いを覚ました目で尋ねた。


まゆみは、葡萄酒の杯を傾けながら、ゆっくりと答える。

その声は、酒場の喧騒を支配する、王の響きを持っていた。


「まゆみ。…ただの、まゆみさ」


その日から、王都の夜の片隅で、新しい伝説が静かに産声を上げた。

それはまだ、誰にも気づかれない、小さな小さな芽吹きだった。

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