――――第4話――――

「それで……どのようにお考えですか、ゼノル様」


 公爵令嬢の襲来から、半刻後。

 執務室の椅子で何やら思案しているゼノルへ、スウェルスがやや心配そうに訊ねた。

 ゼノルは机の天板に目を向けたまま答える。


「わからん。意外にもあっさり引き下がったようだが……」


 あの後レイシアは、断りの返答を素直に受け入れ、帰っていった。

 そんな公爵令嬢の意図を、ゼノルは読みかねていた。


「ま、まさか本当に、ゼノル様に惚れ込んだがゆえの暴走だった、と……?」


 スウェルスが拳を握り、わなわなと震えながら言う。


「そのようなことが……そのようなことがあっていいのでしょうか!? なぜ私ではなく、このような恐ろしげな顔の男にばかり良縁が……!」

「……」


 ゼノルは、個人的嫉妬の感情によって一人憤る補佐官に侮蔑ぶべつの目を向けた。

 だがすぐに、溜息をついて言う。


「ないな。あれはそんな、頭の足らん女ではない」


 いきなり屋敷に乗り込んできたのも、策の一つであったとゼノルは予想していた。

 ゼノルが縁談を断りまくっていることには、少し調べればたどり着く。正攻法では見込みがないと判断したからこそ、対面での求婚に臨んだのだ。

 公爵令嬢が直々に来訪したとあっては、ゼノルとしても対応しないわけにはいかない。


 ゼノルと対面したレイシアは、自らの美貌を生かし、女としての価値を存分に乗せた言葉や仕草を操っていた。

 一方で、相手が求めているものを把握し、それを提供できると提案する堅実さも併せ持っている。

 ただの世間知らずな愚物の類ではないと、ゼノルは感じていた。


 スウェルスが眼鏡を直しながら問う。


「では、いったいどのような腹づもりで……」

「だから、わからんと言っているだろう。当主ならばともかく、三女の立場でそこまで婚姻に必死になる事情の想像がつかん」

「ならば、当主が裏で糸を引いているのでしょうか」

「ないだろうな。冷静に考えれば、アガーディアがロドガルドを姻戚にするということはすなわち……いや、それは断言できんか。しかし比較的格が低いとはいえ公爵家だ。仮に娘を嫁がせたいとしても、普通は初手からこんなからめ手など使わん。今回の来訪は十中八九、あの女自身の意思だろう」

「となると……実は縁談が決まっており、年の離れた男に嫁がされるのが嫌で……というような動機でしょうか」

「ありがちな話だが、娘の立場で誰と婚約を交わしたところで、当主に覆されて終わりだ。駆け落ち相手ならばむしろ平民の方が適している」

「ロドガルドならば、公爵家も手出しできないと考えたとしたらいかがでしょう。ゼノル様を籠絡ろうらくし、事実婚の状態に持ち込めれば、アガーディアの当主とはいえ連れ戻すことは不可能かと」

「オレに略奪婚をそそのかそうとしたと? 仮に目論見もくろみどおりに事が進んでも大事だぞ。ロドガルドとアガーディアの関係は最悪になる。下手をすれば紛争だ。王が仲裁に入れば普通に離縁を命じられてもおかしくない。慣習法にも反する以上、貴族の妻としての権利も得られず、子が継承権を持つこともない。確実に不幸になるぞ」


 貴族の婚姻は自由ではなく、慣習法によって様々な制限がある。

 貴族の妻は貴族でなければならない、などが有名だが、子女の場合は当主の承認がなければ正式な結婚とは見なされない。

 ゼノルは言う。


「ただ夫が嫌なだけなら、もっと穏便で確実な方法がいくらでもある」

「穏便で確実な方法というと、例えば?」

「結婚後に毒殺するとかな」

「……」


 スウェルスは閉口し、再び眼鏡を直しながら言う。


「……案外、本当にゼノル様に一目惚れしていたのかもしれませんね」

「ありえん。オレがまともに学園に通っていたのはもう二年も前だ。遠目で見ただけの男に惚れ込んで、二年越しにふと思い立ち、直接屋敷に乗り込んで求婚するだと? そんな女がいるか」


 絶対にいないとも限らなかったが、レイシアの言動から受ける印象とは矛盾する。

 実際のところ、学園で見かけたということからして、嘘ではないかとゼノルは感じていた。

 スウェルスが小さく息を吐いて言う。


「ゼノル様は、ずいぶんとあのご令嬢を高く買っていらっしゃいますね」

「高く買っているのではない。うさんくさく思っているだけだ。偽神器を売り込んでくる商人などより、よほどな」

「では、最大限厄介な方向に見積もるとして……力あるロドガルド家を、妻の立場で乗っ取る野心を抱いている、と想定してみてはいかがでしょう」

「無根拠な言いがかりもはなはだしくはあるが……これまでのくだらん予想よりはまだ可能性がありそうだ。なまじ優秀ならば、女の地位をもどかしく思うこともあるだろう」


 学園には、政略結婚の道具にするには惜しいほどに優秀な女生徒が何人もいた。

 彼女らの中に、そういった野心を抱く者が現れても不思議はない。

 ゼノルは、椅子の背もたれに身を預けて言う。


「まあ、そのようなことは起こりえんがな。オレはそもそも当面、結婚などする気はないのだから」

「しかしながら、大丈夫でしょうか。ゼノル様」


 スウェルスが眼鏡を直しながら訊ねる。


「先約があるなど完全な虚偽。よって噂など立つはずもありません。となれば、いずれレイシア嬢もゼノル様の婚約は破談になったと思い込み、再び求婚してくるのでは?」

「その時はその時だ。断りの方便などいくらでも思いつく」


 家格や地力が違いすぎる場合などは別だが、基本的に婚姻は、申し込まれた方に選択権がある。

 ロドガルド家は家格も地力も一級。したがって、婚約の申し入れを強引に呑ませることなど、どんな大貴族にも不可能だ。

 何度求婚されようと、断ってしまえばそれまで。


 ただ、とゼノルは言う。


「そうだな……一応、令嬢周りを軽く調べておけ。急がずともいい」

「はっ。かしこまりました」

「もっとも」


 ゼノルはこめかみに指を当てる。


「杞憂に終わるとは思うがな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る