――――第3話――――
ロドガルド辺境伯家は、ライデニア王国貴族の中では名門に数えられる。
だが、ゼノルがこれほどまでに婚約の申し入れを受けるのには、それだけではなく複数の理由が存在する。
まず、ただの名門ではなく、押しも押されぬ超名門であること。その歴史は建国初期にまで遡り、一説にはロドガルド家の始祖が、この地に棲まう怪物を神器をもって打ち倒したことで、王を助けたのだとも言われている。
それから、豊かであること。主となる領地はもちろんのこと、いくつか飛び地も所有しており、そのほとんどが栄えている。ロドガルド家の持つ経済力を欲している家は珍しくない。
また、軍事力にも優れている。三つある辺境伯家の中では最強と謳われており、どのような大貴族であってもロドガルド家と事を構えたがる者はいない。逆に言えば、味方に引き込むならばこれほど頼もしい存在はないということでもある。
さらに、安全であることも挙げられる。ロドガルド領の東側は異民族の地と接しているが、先々代当主の働きによって彼らとは和平が結ばれており、侵攻に遭う危険が少ない。娘を嫁がせた家が滅ぶことを望む親はまずいない以上、この点も相当に大きい。
辺境伯でありながら領地が王都に近いことも挙げられる。というより、王都が北東の国境に近いため、結果としてロドガルド辺境伯領の一部と接しているのだ。これは初期には小さかったライデニア王国が、南や西にばかり領土を拡大させた歴史ゆえなのだが、王都との距離は宮廷への影響力を左右する重要な要素であるため、結果的に政治的な力すらも持ちうる家となっている。
加えて言えば、当主であるゼノルの年齢がまだ十七歳と若いことも挙げられるだろう。他の当主からすれば息子のような歳だ。それだけ若輩ならば、いいように操れる……と、安易な考えを持ってしまっても無理もないと言えた。
こういった種々の事情により、現在ゼノルは猛烈な縁談攻勢を受けている。
しかしそれでも、公爵家から縁談を持ち込まれたのは初めてだった。
ただそれも、実にささいなことでしかない。
縁談を――――令嬢本人から直々に持ち込まれたことに比べれば。
「わたくしと結婚してくださいませ、ゼノル様」
豊かな金髪に、宝石のような
レイシア・リヴィ・アガーディア。
求婚のためにいきなり乗り込んできたご令嬢は、アガーディア公爵家の三女だった。
初めて訪れる〝冷血卿〟の屋敷でも堂々とし、緊張している従者たちをよそに、出された茶を優雅にたしなんでいる。
ふむ、とゼノルはわずかに思案し――――その口の端を吊り上げた。
「これはこれは、なんと光栄な。レイシア嬢ほどの美姫から求婚されるとは、これで一生、宴席での自慢話には困らないだろう。どうやらオレはよほど神に気に入られているらしい」
ともすれば酷薄にも映る笑みをその顔に浮かべながら、ゼノルはそのようなことをのたまう。
ちなみに、ゼノルは何もよからぬことを企んでいるわけではない。外交の際には、いつもこのような笑顔を浮かべている。余人からそう受け取られることはまずないものの、ゼノルなりの友好的態度であった。
ただし――――この場においては、完全に友好的とも言えなかったが。
「それもまさか、レイシア嬢自らこの屋敷に出向いてくるとは。まさに前代未聞。公爵令嬢らしからぬ凄まじい行動力だ」
さりげなくない嫌みを付け加え、ゼノルはレイシアの反応をうかがう。
貴族の婚約は普通、親である当主同士がとりまとめるものだ。
相手のいないまま当主の地位を継いでしまった男子などならまだしも、年若い令嬢が自ら相手の屋敷に乗り込んで求婚など常軌を逸している。
礼を欠いているとも言える行為だった。おそらくアガーディアの当主も知らないだろう。
だからこそ――――ゼノルは警戒していた。
破天荒な令嬢の身勝手ならいい。だが万が一、そうでなかったなら。
現状、手紙ならば書面で断ってそれで済んだはずの相手に、ゼノル自ら対応せざるをえなくなっている。
「恥ずかしいですわ。でも、そうと決めたら居ても立ってもいられませんでしたの」
ゼノルの嫌みに硬くなっている従者たちをよそに、レイシアは頬に手を当て、照れたような仕草をした。
ゼノルはわずかに眉をひそめ、もう一度つついてみる。
「お父上が知ったら、さぞ驚かれることだろう」
「ええ、驚くでしょう。お父さまには、実は何も言わずに来てしまいましたの」
「ならば……」
「もしお知りになったならば」
レイシアは、笑みを崩さずに言う。
「きっと、喜んでくれると思いますわ」
「……何?」
眉をひそめるゼノルに対し、レイシアはしとやかに答える。
「お父さまは、わたくしの嫁ぎ先を決めかねているようでしたの。学園で相手を見つけてもいい、なんなら平民でもかまわないと、そうも言っておりましたわ。わたくしが自ら、かのロドガルド辺境伯たるゼノル様との縁談をまとめたとなれば、間違いなく喜んでくださることでしょう」
ゼノルは再び思案する。
現アガーディア公爵の息女は、長女が王の末弟に、次女が勢いのある侯爵家に嫁いでいる。
姻戚関係がすでに十分
ただ……その相手として、ロドガルドがふさわしいかは微妙なところだが。
ほんの短い時間の沈黙を経て、ゼノルは口を開く。
「ふむ。貴女の眼鏡に
「ふふっ、そんなの決まっていますわ」
レイシアが可憐に微笑む。
「歴史ある
そこでレイシアは、恥ずかしそうにうつむく。
「お顔が、その、とてもわたくしの好みでしたの……」
「……」
仕草や言葉とは裏腹に、その声音にはわずかな迷いも揺れもなかった。
ゼノルは静かに問う。
「……過去にどこかで顔を合わせていただろうか。レイシア嬢ほどの美女と出会って、記憶に残らないことなど考えにくいのだが」
「学園で、何度か。もっとも、顔を合わせたことはありませんわ。わたくしが遠目で、お見かけしただけですので……」
「……学園など、もう長く行っていないのだがな」
「ふふっ。わたくしは一日たりとも、ゼノル様のお顔を忘れたことはありませんでしたわ」
「……このような恐ろしげな顔が忘れられなかったとは、申し訳ない限りだ」
「あら、恐ろしげだなんて。わたくしは素敵だと思いますわ」
くすくすと笑うレイシア。
ゼノルは表情を変えずに、続けて問う。
「どうやら、ずいぶんと長く想われていたようだが……なぜ今、この時に縁談の申し入れを?」
「ふふ、なぜでしょう。ふと思い立ち、居ても立ってもいられませんでしたの。友人の婚約者の話を聞いてしまったからかもしれませんわ。ゼノル様を、誰かにとられてしまわないうちに……と。ふふっ」
と、公爵令嬢は顔をほころばせる。
ゼノルが次の切り出し方を考えていると、レイシアが言う。
「ゼノル様にも、決して悪い話ではないと思いますわ」
「……」
ゼノルはそこで、あえて沈黙を返した。
「ご存知のとおり、アガーディア領とロドガルド領は隣同士。互いの関係を良好に保つことは、双方にとって大きな利となりますわ。商業や産業の面でも足並みを揃えやすいでしょう」
ロドガルド領の北端、つまりライデニア王国の北端は海に接している。
そして同じ海に面した西側にあるのが、アガーディア公爵領だった。
どのような貴族も、隣の領地とは揉めがちだ。こじれれば貴族同士の領土争いに発展することもある。
現在ロドガルド家はそのような問題を抱えてはいなかったが、今後もそうである保証はない。
紛争回避のために、あらかじめ結婚によって縁を結んでおくというのは理に適っていた。
そのうえで農産物や工芸品の円滑なやり取りができれば、双方の所領の発展にも繋がるだろう。
「加えて」
レイシアがさらに言う。
「婚約成立のあかつきには、当家から神器の貸与も可能だと思いますわ」
「……神器を?」
「大きな教会を建てる計画があるのだと、風の噂で耳にしました。であればいずれ、入り用になるのではありませんか? その教会の象徴となる神器が」
レイシアは続ける。
「教会が一棟建てば、教団からの継続的な税収が見込めます。ですがその権威も、収められる神器があってこそ。まさかロドガルドの『聖剣』を収めるわけにはいかないでしょうから、まさに今探しているのではないかと想像します。教会用の神器を」
「……」
「それを、こちらで用意できると思いますわ。アガーディア家は神器も複数個所有していますもの。さすがに差し上げるわけにはいかないので、契約を結んだうえでの貸与という形にはなるでしょうけれど」
「……。先ほど、お父上には話を通していないのだとうかがったが。そのようなことを貴女が勝手に約束して大丈夫なのか」
「契約内容さえ納得できるものであれば、お父さまもうなずくと思いますわ。残念ながら、アガーディアの神器に実用的なものはありませんもの。宝物庫に死蔵するくらいならば、ロドガルドの当主に恩を売り、少々の貸与料を受け取る方がずっといいはずですわ」
「……なるほどな」
ゼノルは呟き、小さくうなずいた。
レイシアがわずかに身を乗り出す。
「いかがでしょう、ゼノル様。わたくしとの婚約、前向きに考えてはいただけませんか?」
ゼノルは、これでレイシアの手札はすべてだろうと考えた。
一拍置いて口を開く。
「……ふむ、悪くない。むしろこの上なく魅力的な条件だ。美姫に加え、アガーディアとの縁に、神器まで手に入るとは。縁談にこれ以上を望むのは罪とすら言えるだろう」
「でしたら」
「それだけに」
ゼノルは喜色を滲ませるレイシアを遮るように、
「それだけに残念だ――――この縁談を、断らねばならんとは」
レイシアは一瞬表情を硬くし……それから微笑とともに、ゼノルへ問いかける。
「……理由をお訊きしても?」
「簡単な話だ。すでに先約がある」
レイシアは表情を変えなかった。
微笑のまま告げる。
「それはとても残念です。一歩遅かったようですわね……。その幸せなご令嬢は、いったいどちらのお方なのでしょう?」
「悪いが、まだ明かせん。現時点では内々の話の段階なのでな。しかし、そう遠くないうちに噂が流れ始めることだろう」
もちろん、嘘だった。
しかし縁談を断るうえで、これほど有効な嘘もない。
政治が絡むとはいえ、ことは婚姻。
すでに相手がいると言われれば、引き下がらざるを得ない。たとえ公爵令嬢であっても。
ゼノルは例の笑みを浮かべながら、いかにも口惜しそうな声音で言う。
「貴女にも、今後よい縁があることを祈っている」
「ふふ……わかりました」
レイシアは、急に立ち上がった。
そして、長椅子に座るゼノルを見下ろして告げる。
「楽しみにしておりますわ、噂。それと……気が向いた際には、また学園にいらしてください」
その雰囲気は、先ほどまでの公爵令嬢然としたものとは、やや異なっていた。
「お待ちしておりますので」
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