冷血貴族の婚約拒絶録 ~オレは絶対に、結婚などしない~
小鈴危一
一章 公爵令嬢編
――――第1話――――
「レイシア・リヴィ・アガーディア。今この時をもって、貴様との婚約を破棄させてもらう」
きらびやかなパーティー会場の中心で、一人の少年が断罪するように言い放った。
氷のように青白い髪を持った、どこか冷たさすら感じさせる顔貌の少年だった。
その凍てつくような視線の先には、
王立学園の広大なホールには現在、生徒であり、名家の生まれである少年少女たちが大勢ひしめいていた。
騒動に気づいた彼らが、何事かとざわつき始める。
「なんだ? 揉め事か?」
「レ、レイシア様……?」
「あれ……向こうにいるの〝冷血卿〟じゃないか」
「なんで今さら学園なんかに……」
「今、婚約破棄って……」
野次馬と化した彼らの好奇の視線を浴びながら、少年――――〝冷血卿〟ゼノル・グレン・ロドガルドは不敵に告げる。
「マリー・カルアード嬢に対する数々の嫌がらせ、さすがに目に余る。公爵家の家格を笠に着れば、男爵令嬢になどどんな仕打ちをしてもかまわないと考えたか? 見下げ果てた性根だな」
ゼノルの背後には、レイシアよりもやや地味なドレスを着た、赤毛の少女が
その少女、マリーは、少年の告発に混乱したように目を白黒させている。
その様子を視界に収めながら、公爵令嬢レイシアはゼノルを睨み返して言う。
「ずいぶんな言いがかりですわね、ゼノル様。婚約破棄だなんて……わたくしにそんな態度をとっていいと思って? マリーとのことは、あなたには関係ありませんわ……!」
「関係あるとも」
ゼノルは酷薄にも映る笑みとともに告げる。
「オレはカルアード男爵の求めに応じ、とある協定を結ぶことにした。カルアード男爵家は、今や我が盟友。したがって、当主の息女たるマリー嬢もオレの庇護対象と言って差し支えないだろう」
「……協定……?」
ゼノルが協定の内容を
それが何を意味するかを理解し、レイシアの目が愕然と見開かれる。
「そんな……」
「ふはは、理解したかレイシア? では訊こう。このオレが貴様に婚約破棄を言い渡すことに、いったいなんの問題がある?」
「まさか……わたくしが……」
「ふははは! ちょうどいい機会だ、ここで宣言しておこう。盟友たるカルアード男爵家を害そうとする者は、誰であってもこのオレ、ロドガルド辺境伯家当主ゼノル・グレン・ロドガルドが叩き潰す! 我が精強なる兵たちと
呆然と立ち尽くすレイシア。
その姿に、少年は笑みを消して語りかける。
「破談を受け入れろ」
「……」
「意地など張ってくれるなよ。引き際がわからん貴様ではないだろう」
「……こ、婚約の破棄を……」
力が抜けたように、レイシアがよろめく。
絨毯の敷かれた床にへたり込みながら、公爵令嬢の口がかすれた言葉を紡ぐ。
「受け入れ、ます……」
「ふん、それでいい。まったく、ずいぶんと手間をかけさせてくれたな」
ゼノルが鼻を鳴らす。
へたり込んだレイシアの視線は――――ゼノルではなくマリーの方に注がれていたが、そんなことにかまうことなく少年は続ける。
「だから初めに言っただろう」
まるで吐き捨てるように言う。
「オレは絶対に、結婚などしないと……!」
この断罪劇めいた一幕は、いかにして起こるに至ったか。
そのきっかけは、約半年前に
**
春。
雪解けとともに商人の往来が増え始めるこの時分。ここライデニア王国北東の端に位置するロドガルド辺境伯領にも、彼らの姿が見え始めていた。
その日は領主の屋敷にも、一人の商人が訪れていた。
扱う品を使用人に伝えると、なんと当主が直々に会うという。
高価な品に囲まれていても、目の利く貴族などほとんどいない。これは大儲けするチャンスだと、商人の男は内心でほくそ笑んだ――――のだが。
「
当主が底冷えするような声で吐き捨てた言葉に、商人は震え上がった。
その当主は、商人の男よりもずいぶんと年若かった。
顔立ちにはまだ少年の面影を残している。年の頃は二十にも届かないほどだ。
だが――――その立ち居振る舞いには、辺境伯三家の中で最強と名高いロドガルド辺境伯家当主にふさわしい威圧感が、確かに備わっている。
始祖の再来と
その名を思い出しながら、商人の男は震えながら沙汰を待つ。
「貴様、これを神器と言ったか? この怪しげな液体の入ったみすぼらしい小瓶を、こともあろうに神器と」
「は……はい」
商人は、目の前で長椅子にふんぞり返り、足を組んでいる少年の視線から逃れるように、テーブルの上に目を落とす。
そこにはコルクで封をされた、凝った造形の小瓶が置かれていた。小瓶の中には、青い色をした液体が半分ほど入っている。
神器とは、不可思議な事象を引き起こす器物の総称だ。
その発見は
少し前から、ロドガルド領での教会新築にあたり、領主が聖堂に収める神器を探し求めているという噂が市場に流れていた。商人はそれを聞いて、とある商材を手に遠方からやってきたのだった。
商人は意を決し、引きつった笑みを浮かべると、当主の少年に視線を戻す。
「も、もちろんです、ゼノル卿。先ほど申し上げたとおり、この小瓶に満たされた水は、嘘に反応して色を変えます。そ、それは……先ほど実演したとおりで、ございます」
小瓶の液体は、当初紫色をしていた。
だが商人に促され、少年が簡単な嘘をついてみせると、その色がはっきりと青に変わったのだ。
商人は引きつった笑みのまま続ける。
「つ、月に一度しか使えないという欠点はございますが……大事な交渉ごとなどにお使いいただければ、きっと卿のお役に立つことでしょう。あるいは、きょ、教団に寄贈されるのもよいかと! この地に大きな教会の建設を予定されていると、風の噂で耳にしたものでして……は、はは……」
「……貴様」
当主の少年が、凍てつくような眼差しで商人を見据え、問う。
「このオレを
「めっ……滅相もございません! た、ただ……」
商人の男は、ここが引き際だと感じていた。
これ以上はまずいと、商人としての勘が告げている。
「私めを信用できないとおっしゃる、卿のご心情も十分に理解できます。扱う品が品です。この地での実績が何一つない、流れの商人に過ぎない私が
「オレは先ほど、嘘をついていない」
当主の少年の言葉に、商人は固まった。
少年は溜息をついて続ける。
「婚約者がいないのは事実だ。この家に生まれ、当主の地位を継いでおきながら、そんなことがあるのかとよく驚かれるがな」
商人の男は、全身に冷や汗が
必死に言い逃れのための言葉を探す。
「そ、それはその……何かの間違いで……」
「あのう、ゼノル様……?」
その時、応接間の扉が開き、一人のメイドが入室してきた。
その手には、瓶と小さな水差しが握られている。
「言われたとおり、お持ちしましたけど。お酢と水差し……」
「ご苦労」
少年は無表情のまま水差しと瓶を受け取ると、瓶の中の酢を水差しに移し始める。
「な、何を……」
「嘘によって色が変わると言ったな」
混乱する商人の前で、少年はテーブルの上の小瓶の蓋をおもむろに取った。
そして水差しに移した酢を、中に注いでいく。
青色の液体に、薄黄色の酢が混じり合う。
すると――――その色が、一瞬で赤へと変わった。
「なっ!?」
「ふん、どうやらまた色が変わったようだ。これはどういうことだ? オレに説明してみろ」
商人は答えられない。
この現象は、商人も知らないものだったからだ。紫の水を青に変える方法しか、商人は教わっていなかった。
当主の少年が、どこか呆れたように口を開く。
「西方には、土壌の質によって花の色を変える草があるという。これはそういった草木の汁を詰めただけの、くだらん
絶句する商人に、当主の少年は冷徹に続ける。
「先ほどオレが嘘をついたフリをした際に貴様、小瓶を不自然に振っていたな。大方、蓋の裏側に石灰でも仕込んでいたのだろう。月に一度しか使えんなどとよく言ったものだ。何も手を加えなければ、小瓶の水は何ヶ月経とうと紫には戻らず青のまま。オレが詐欺に気づく頃には、貴様はすでに別の街というわけだ」
「うぐっ……。で、では……これはなぜ……」
「土壌の質で色を変えると言ったはずだ。酢や
商人は何も言うことができない。
貴族から大金をふんだくるために仕入れた偽神器の性質を、少年は自身以上に
「さて」
少年は小瓶の蓋を戻し、商人の目の前で軽く振ってみせる。
「オレの領地で詐欺未遂は罰金か、せいぜいが労役刑といったところだが……オレを謀った者は斬首に処すと決めている」
「っ!?」
商人の男が目を
「ど、どうかお許しを! これはほんの、出来心で……」
「ふはは」
少年は口だけで笑うと、小瓶を商人の前に、ことりと置いた。
「色が変わったら、嘘ということにしてやってもいいぞ」
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