第15話 桐生家訪問

 段々と日が長くなり、放課後すぐに下校したのであたりは昼間のように明るい。

 そんな中随分と大人しくなり懐いた桐生妹と連れ立って自宅前までやってきた。

 涼音は七希を親に紹介するのが嬉しいのか、どことなく興奮気味だ。


 「待ってて、おかーさんに声掛けてくる」

 「ああ、それはいいのだが。ところでお前の名前を未だに聞いていないのだが」

 「あ、ああそうね、そうだった! あたしは、涼音だよ! なな姉!」

 「涼音か、いい名前だな」

 「へへ、でしょ? じゃあ、ちょっと待ってて~」


 言いながら涼音はカギを開けて自宅に入っていった。

 手持無沙汰に七希は桐生家の建屋を見た。

 普通の分譲住宅地にある2階建て一軒家だが、まだ新しく築浅であることが伺える。


 2台は置ける駐車場に、趣味なのか家庭菜園をしているちょっとした庭まである。

 どうやら親御さんはそれなりの稼ぎを叩き出しているエリートのように思える。子供二人を学費が高い光陵館学園に通わせているのだからそれも納得だが。


 ちなみに七希は親名義の証券口座で大量に稼いでおり、そこから工面してもらっている。別に普通に出すとは言ってもらえているのだが、子供心に悪いような気がしているのだ。親からすると水臭いと思っているのだが、この辺はお互いの思いやりである。


 「ごめんなさいね、玄関前で待たせてしまって」


 周囲を観察していると、母親らしき人が玄関を開けて出てきた。

 それなりに長そうな髪をくるりとお団子に後ろでまとめている。小さな顔には今は化粧気を感じないが、それでも整っており年齢を感じさせない。そのままスーツでも着ればキャリアウーマンの代表かと思うほど綺麗で隙を感じさせない女性だ。


 「いえ、突然お邪魔したので大丈夫です」

 「礼儀正しい子なのね、良かったら入って行って? お茶でもお出しするわ」


 家には六花も居るので早く帰りたい気もしたが、少しなら大丈夫かと考える。


 「では夕飯前にはお暇します」

 「ふふ、分かったわ」


 招かれて桐生家に入る。

 玄関を開けてくれている母親の前を通りすぎた時、興味深そうに笑いながら呟いた声が耳に入った。


 「――へえ、この娘が」


 噂話の主役になるのに慣れている七希は華麗に聞かせるための独り言をスルーした。

 それが分かった桐生母の方はますます笑みを深くして、パタンと玄関を閉めたのだった。




 ◇■◇■◇




 「紅茶で良かったかしら?」

 「はい、好き嫌いはありませんので」

 「良いことね、カフェインレスのはちみつ入りだから飲みやすいわよ? 私の今のおすすめなの」


 紅茶を注いでくれる桐生母は、本当に楽しそうだ。なぜと思うほど初対面なのに気に入られている。


 「なな姉、夕飯も食べていきなよ~」


 そして涼音には後ろから抱き着かれて纏わりつかれている。

 なぜこんなに懐いた?

 それを見て桐生母はますます笑顔を強くした。


 「涼音がこんなに懐く女の子って、珍しいわ。この子、いつも威嚇してばっかりだもの」

 「そ、それはお兄ちゃんに近づこうとするメス豚どもだからっ」

 「なんて口が悪いのかしら、後でお説教ね。はい、七希さん」


 湯気の立つカップを頂きながら面食らう。


 「あ、ありがとうございます」

 「ああ、急に名前で呼んでごめんなさい、この子や誠也が良く話してくれるから他人のような気がしなくて」


 一体何を言っているのやら。

 鋭く睨むと涼音は目が合わないようにプイっと顔を背けた。

 名前で呼んで良いかしらと目で問われるので、頷いて返した。問題は何もない。


 「ふふ、涼音ちゃんはミルクティーにする?」

 「うんっ」


 纏わりついていた涼音は七希の隣にくっつくように座り、テーブルの対面に桐生母が座ってティータイムがスタートした。


 「初めに自己紹介させて頂戴ね? 私は桐生聖歌。涼音ちゃんと誠也の母です」

 「……人前で涼音ちゃんっていうのやめてよ」


 ぷくっと頬を膨らませる娘を見てクスクス笑う聖歌。

 しかし七希は由紀からいつまで経っても『ななちゃん』と呼ばれるのだが、と共感できなくはない。

 家族からの愛称と友達からの愛称は気恥ずかしさが別物なのかもしれないが。


 「私は、本条七希です。息子さんとは同級生で、涼音とはその繋がりで知り合いました」

 「ええ、改めてよろしくね七希さん」

 「……こちらこそ」


 なんだ? 何か好感度が高くないか?

 警戒心を強める七希である。

 涼音は能天気にお茶請けをパクついていた。


 「そうそう、涼音ちゃんから聞いていたかもしれないけど、誠也の事。助けてくれてありがとう七希さん。怪我の治りも良くって、病院の先生からも応急処置を褒められたのよ?」

 「それは良かったです。家が道場をしていますから、怪我の応急処置には慣れているんです」

 「まあそうなの?」

 「はい、幼いころは傷が絶えませんでした」

 「え、あなたみたいな綺麗な娘が? 私が親なら、道場からは離して過保護に育ててしまいそうだわ」


 この人キャリアウーマンっぽいけど意外と子煩悩か?

 団十郎と六花も子煩悩だとは思うが、自由主義でもあった。


 「武道は好きだったので」

 「へ~~~、意外ねぇ」

 「なぜかよく言われます」

 「なぜかって……」


 この娘、自分の事鏡で見ないのかしら? と首を傾げる桐生母である。

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、を地で行くような目の覚める美少女である。聖歌も自分を低く見積もるつもりはないし、娘の涼音も可愛らしいと思う。それでも本条七希は一線を画していると思うのだ。


 人というより神様が作ったかのような。


 「なな姉は勉強も首席なんだよ!」

 「まあ? 涼音ちゃんには縁の無さそうな言葉ね?」

 「なんであたしに矛先を向けるのよっ」

 「ふふ、可愛くって」


 仲の良い親子だなと紅茶を飲む七希である。

 どうやら桐生家は家庭環境にまったく問題が無さそうである。


 「それでね、何かお礼がしたいのだけど」

 「いえ、これで十分ですから」


 おすすめというだけあって、このはちみつ紅茶は美味しい。七希の口にもあっている。


 「私としてはこれじゃ足りないと思うのだけど」

 「気持ちの問題ですから、私としては十分です」


 この程度の事で恩を感じてもらうつもりもない、とは七希の考えだが桐生母の考えは違う。

 こんな程度で縁を切ってしまうのはあまりにも勿体ない娘である。将来的にも。


 「ところであの子、七希さんに告白したのかしら?」

 「……」

 「おかーさんっ?」


 どう反応すれば良いのやら。まさか好いた腫れたなどという話をその親御さんから確認されるとは思わなかった。非常に心苦しいが、事実を答えるまで。

 七希が小さく息を吐いて話始める瞬間――桐生母がにっこり微笑んで待ったをかけた。


 「待って待って七希さん、もう分かっちゃったから。なるほどね~。いろいろ腑に落ちたわ」


 桐生母は最近の二人のあまりの情緒不安定な様子に首を捻っていたが、すべて合点がいった。

 昔から恋愛話には困らないと思っていた息子の初恋が、まさかこのレベルになるとは。


 親の贔屓目もあるが、息子はどこに出しても恥ずかしくない自慢の息子である。容姿も能力も性格まで優れていると思っている。しかし相手がこの娘だと簡単には行かない。


 たぶんこの娘、あまりにも引く手数多過ぎて逆に男子に興味が湧かないパターンだ。

 もちろん事実はもうちょっと違っているが、桐生母はそう考えた。


 ならば可愛い息子と、すっかり懐いている娘のためにアシストしてみるのも良いかもしれない。

 なんせ話してみてもこんな綺麗で優秀で気持ちの良い娘は今まで会ったことが無いのだから。ぜひ家族に迎えたいと思ってしまった。


 「そういえば涼音ちゃん、もうすぐテストでしょ? どう、最近調子は?」

 「うげっ……」


 だからなぜ、あたしに矛先がと項垂れる涼音である。


 「あの、良かったら七希さん、涼音のお勉強を見てあげてくれないかしら? もちろんバイト代は出すので」

 「家庭教師、ですか?」

 「ええ、七希さんすごく頭が良いみたいだし、何より涼音ちゃんが懐いてるから」


 どちらにしてもそろそろ塾か家庭教師に行かす時期だとは感じていたとの桐生母の弁に、絶望顔をする涼音。


 「もちろん七希さんが忙しかったら断ってくれて良いのよ? 無理を言っているのは自覚していますから」

 「……」


 七希は部活をしている訳でも、何かバイトをしている訳でもない。

 個人的な勉強や朝の鍛錬など日課はあるが、家庭教師が出来ないというほどではない。

 ついでに言うと株式投資という学生らしからぬ金稼ぎではなく、真っ当な仕事を経験するのも社会勉強だと思っている。


 「とりあえず週1回からで良いでしょうか?」

 「え、あたし嫌なんだけど?」

 「受けてくれるの!? もちろん、七希さんのやりやすいようにで大丈夫よ!」

 「それでは、週1回、都合のつく日で3時間ほどで如何でしょう?」

 「3時間は長いってっ!!?」

 「ええ、ええ! それでお願いします、先生!」

 「ちょっとー!? あたしの声聞こえてるっ!?」


 こうして七希の人生初のアルバイトが決まったのだった。

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