物語前史(1)

 ラ・ド・バーン。

 それは、わたしたちの住む惑星の名前であり、同時にその惑星に存在する唯一の大陸の名前でもある。そして、わたしたち、その大陸の住人すべてを差す言葉でもある。

 ラ・ド・バーン大陸はその形が四枚の翼を広げた鳳凰に見えることから『鳳凰大陸』とも呼ばれる。

 前述のように惑星ラ・ド・バーンにおける唯一の大陸であり、ほとんど唯一の陸地でもある。ラ・ド・バーン大陸以外の陸地と言えば、小さな火山島がポツポツとあるぐらい。

 惑星ラ・ド・バーンのすべての陸地が集まり形成された巨大大陸。地球の歴史における古代大陸パンゲアに相当する超大陸。

 それが、ラ・ド・バーン。

 地球との一番のちがいと言えば、地球においては恐竜類が滅びたあとに哺乳類の王国が花開いたけれど、ラ・ド・バーンでは恐竜王朝が健在のまま、哺乳類も発展を遂げたと言うこと。

 そのために、ラ・ド・バーンにはわたしたち人類をはじめ、多くの哺乳類も生存しているけれど、真に生態系の頂点に立つ生物と言えば巨大なる恐竜類。ラ・ド・バーンはいまもって恐竜たちの世界であり、そのために『恐竜大陸』とも呼ばれる。

 その他、妖魔・妖精・妖怪、さらには魔物と呼ばれる様々な存在がいるのだけど、これらについてはあとで改めて述べることとする。

 ともあれ、人と獣と恐竜たちとが同じ時代に生きる世界、それがわたしたちの住む世界ラ・ド・バーン。

 ラ・ド・バーン大陸は北東、南東、南西、北西の方角に延びた四枚の翼と、北の頭部、中央の胴体、南の尾翼の七つの区域にわけられる。

 ラ・ド・バーンはあまりにも広大であり――なにしろ、七つの区域の一つひとつが地球におけるユーラシア大陸ぐらいある。そもそも、惑星ラ・ド・バーンそのものが地球の一.七五倍ぐらい大きいので、総陸地面積も広いのだ――自然は過酷に過ぎる。

 また、環境のちがいも極端なまでに大きい。そのために各地域を越えた行き来が難しく、七つの区域が独立して発展してきた。

 そこでのヒト――ラ・ド・バーンには人間以外にも『人間的』種族が何種類も存在する。地球人の物語に出てくるエルフやドワーフ、獣人に相当する種族だ。『ヒト』と言うのはそれらすべての種族を含めた総称――の歴史は地球におけるそれと大差ない。

 戦争、戦争、また戦争という争いの歴史だ。

 その歴史は、先史時代に相当する前文明期、

 はじめて技術文明が栄えた第一文明期、

 そのすべてが失われた大崩壊期、

 その暗黒時代を乗り越え、ようやく技術文明が再建された二次文明期の四つの時期に大別される。

 そして、二次文明期三〇〇年代初頭。わたしたちイシュタ人は北東翼のさらに北東、針葉樹林と永久凍土の境に広がる居住区に住んでいた。

 好んでのことではない。閉じ込められ、住まわされていたのだ。

 壁として。

 防壁として。

 強大な支配者の手によって。

 聖エキニフォルミス神導帝国ギルガメッシュ。

 通称・帝国

 北東翼における覇権国。

 他に並びなき強大な国家。

 唯一『帝国』と認められる存在。

 だからこそ、単に『帝国』と言えばギルガメッシュを指し示すこととなる。

 その帝国こそがわたしたちイシュタ人の支配者。そして、一二歳の女の子だった『ボク』を追い詰め、殺そうとし、獣へとかえた『敵』。

 発端はわたしの生まれる一〇〇年以上前にさかのぼる。

 当時、わたしたちイシュタ人の祖先は、北東に延びる北東翼のほぼ中央、北東よりに広がる聖なる森に暮らしていた。

 七つの区域ごとに自然環境が極端に異なるラ・ド・バーン大陸において、北東翼は比較的冷涼な気候と針葉樹林に覆われた『木曜』の領域。大地のことごとくが木に覆われた森林の世界。

 そのなかでも、聖なる森は聖なるイシュタルシーダーに覆われ、ラ・ド・バーンにおいては奇跡とも言えるほどに穏やかで、豊かな実りをもたらしてくれる森だった。

 その聖なる森に住むイシュタ人は、森と共に生き、森の恵みに感謝し、森の神を祭る人たちだった。争いを好まず、文化と芸術を愛し、日々を楽しく暮らすことを望み、お互いに愛し合うことをなによりも喜びとする、まるでニンフのような人々であったという。

 しかし、聖なる森に守られた穏やかな暮らしも突如として崩されることとなる。

 二次文明期一九八年。北東翼のさらに北東、広大な針葉樹林と永久凍土の境に当たる地域から、ひとつの勢力が南下を開始したのだ。

 ギルガメッシュ神導教会。

 それが、その勢力の名前。

 もともとは針葉樹林帯の北限、そこからさらに北には永久に凍りついた大地しかないという過酷な場所に作られた小さな国、いや、コミューンだった。

 唯一神エルエウハヤに仕える神官であった聖者、聖エキニフォルミスが俗世を捨て、信仰と修行の日々を送るために信者を集めて作りあげた小さなちいさな共同体。

 だからこそあえて、他の人間たちがよりつかない過酷な場所を居場所と定めた。

 神に祈りを捧げるための教会といくつかの住居。そして、人々を養うための農業森――ラ・ド・バーンには地球で言う『畑』という存在はない。食料生産はすべて、管理された森のなかで行われる。言わば『アグロフォレストリー』が歴史の最初から行われてきたわけだ。この点に関しては、のちにくわしく説明する――ただそれだけしかないささやかな共同体に過ぎなかった。

 集まった信者たちは森のなかで木の実を摘み、家畜を育て、水路で魚や貝を採り、貧しくても信仰に支えられたささやかな楽園の暮らしを送っていた。

 だけど、そのささやかな楽園も時を経るにつれてかわっていった。

 過酷な北の大地はそこに住まう人々の信仰を鍛えあげたけれど、それは、人間だけに限ったことではない。そこに棲むあらゆる生き物もまた、同じように、いや、それ以上に鍛えあげられていた。

 水にも食料にも乏しく、奪わなければ生きていけない過酷なる大地。

 一時いっときも休まることなくつづく生存を懸けた戦い。そこに棲むすべての生き物たちは代を経るごとに強く、大きく、たくましくなっていった。

 聖エキニフォルミスとその信者たちが作りあげた楽園はまた、地球の常識では考えられないほどに巨大な恐竜や魔物たちの棲む魔界でもあった。

 その脅威から自分たちの身命を守り、信仰を貫くために、人々は常に戦っていなければならなかった。

 堀を穿ち、防壁を巡らし、槍と弓で武装し、巨大な生き物たちの襲撃に立ち向かった。ときには食料を求めて恐竜や魔物を狩る必要もあった。木の棒の先端に鉄の刃物を取りつけただけの道具と、神から与えられるささやかな奇跡。

 そして、信仰心だけを武器に人々は小山のような怪物たちに挑んだのだ。

 ちっぽけな人間たちが北の巨大な怪物たちを狩るためには数がいる。数だけが人間が勝る唯一の武器。

 そのために、多産が奨励され、人口は増えていった。多くの食糧が必要となり、より多くの恐竜や魔物を狩る必要が生まれた。

 そのなかで人々はより強力な武器を開発し、奇跡の力を研ぎ澄まし、信仰心をより強固なものへと高めていった。

 そんな暮らしを何代もつづけているうちに人々はかわった。

 北の厳しい寒さに対抗するための体力。

 獲物を求め、果てしない森と氷の大地を走り抜ける脚力。

 小山のような恐竜や、魔物たちの分厚く強靱な皮膚を貫くための腕力。

 常識では計れない巨大な怪物を前にしても怖れることなく挑んでいく剛胆な精神。

 そして、なによりも、自分たちよりはるかに強大な相手を倒すために育まれた、冷静な判断力と芸術的なまでの連携。

 自分の信仰を守りたいだけだった素朴な人々はいつか、大陸で最も統制のとれた『軍団』へと変貌を遂げていた。

 そして、二次文明期一九八年。北の大地に鍛えられた、この恐るべき軍団は南下を開始した。

 ――唯一神エルエウハヤの教えを広め、誤った信仰に囚われている人々を救うのだ!

 そう叫んで。

 北の大地に鍛えられたこの軍団を押しとどめることは不可能だった。

 北の軍団は出会う国すべてを侵略し、あるいは滅ぼし、あるいは従え、南下をつづけた。ついには北東翼で最も豊かな中央部にたどり着き、当時の最大国であるフンババを滅ぼし、北東翼における覇権を確立した。

 そして、『聖エキニフォルミス神導帝国ギルガメッシュ』を名乗り『七曜の覇権国』――ラ・ド・バーン大陸における七つの区域それぞれを制する最強国――として認められる存在へとのしあがった。

 わたしたちイシュタ人の国であったイシュタルも、その南下政策で滅ぼされた国のひとつ。

 イシュタ人の住む聖なる森は北東翼のなかで最も美しく、最も豊かな場所であったために、北の軍団の欲求を最も強く惹きつけ、引き寄せずにはいなかった。

 北の軍団は聖なる森を我が物とすべく、怒濤の進軍を開始した。実り多い、穏やかな森に囲まれ、文化や芸術には優れていたけれど人口も少なく、経済力も低い。なによりも武器をもって戦うことを知らなかったイシュタ人に、この怒濤の進軍を押しとどめるすべはなかった。

 イシュタルはわずか三日の戦いで敗北を認め、降伏することになった。

 帝国は征服した土地に住む人々に三つの運命を用意していた。

 ひとつは帝国の一員になる道。

 これは、帝国の役に立つと認められた技術者や商人、屈強な若者たちに与えられる道だった。

 ふたつめは自分たちが捨ててきた北の大地への強制移住。

 これは、帝国の役には立たないと判断されたけれど、帝国の支配を認め、服従を誓った人々に用意された。

 そして、三つめは――死。

 あくまでも帝国と戦おうという人間はことごとく殺された。

 例外はなかった。

 帝国は征服した土地に住む人々のうち、帝国に従わない人間をひとり残らず殺し尽くしたのだ。

 イシュタルの民に用意されたのはふたつ目の道だった。一部の著名な文学者や芸術家を除いて、ほぼすべての民が帝国の捨ててきた北の大地へと送り込まれた。

 過酷な北の大地に鍛えられた巨大で獰猛な恐竜や魔物。

 北の怪物たち。

 その怪物たちの帝国領内への侵入を防ぎ、帝国の民をその脅威から守るために。

 つまり、帝国は自国民を守るための『壁』として、征服した国の人々を『活用』したのだ。

 それ以来、わたしたちイシュタ人は、面積ばかりは広いけれど、雪と氷に閉ざされた生産性の低い居住区に押し込められ、帝国を北の怪物たちから守るための壁として働かされてきた。

 文字通りの『壁』だったのだ。

 帝国のために、恐竜や魔物の侵入を防ぐべく防壁を作りつづけ、壁を越えて侵入してきたとなれば自ら武器をもって追い払う。

 決して、帝国領内に侵入させてはならない。

 それが、イシュタ人に与えられた役割だったのだから。

 もちろん、その役割を与えられたのはイシュタ人だけではない。他にも何ヶ国もの人々が同じように北の大地に送り込まれ、『壁』として働かされてきた。

 防壁の建設と補修、それに、侵入してくる怪物たちとの戦いに忙殺されてその他の仕事をしている余裕なんてどこにもない。

 ただでさえ水にも食料にも乏しい過酷な北の大地。その上、農業にも牧畜にも人手を割けないとなれば豊かになれるはずもない。

 その日を食べていくだけで精一杯。

 それさえもままならない。

 一応、帝国からは壁建設の報酬として賃金は支払われていたけれど、そんなものは文字通り雀の涙。全額手に入ったところで一家族が一年間、食べていくためにはとうてい足りない。

 その上、賃金の多くが駐屯する帝国軍によって着服されていた。

 誰もが飢えていた。

 誰もが貧しかった。

 過酷な暮らしのなか、建設工事の疲労に倒れ、怪物たちに食われ、飢えと寒さにやられてバタバタと人が死んでいく。

 それでも、壁を作る。

 作りつづける。

 木を切り倒して枠を作り、そのなかに掘り返した永久凍土を詰めて突き固める。

 そんな粗末な壁で北の怪物たちを阻めるはずもない。作る端から破られ、侵入され、踏みにじられる。

 そのたびに新たに木を切り倒し、永久凍土を掘り返し、破られた壁を直していく。そして、また破られ、また直す。

 無意味とも思える同じ作業の繰り返し。

 終ることのない永遠の反復。

 それをつづけるしかない。

 イシュタ人は居住区のなかに閉じ込められ、特別な理由がない限り、外に出ることは許されない。許可なく出ようとすれば駐屯軍に問答無用で斬り捨てられる。

 なにより、始終、壁を建設し、修復しつづけていなければ怪物たちは好き放題にやってきて森を食い荒らす。そうなれば食べていけない。

 壁があればその内側で農業森を営み、食べていくことはできる。なんとか今日この日を食いつなぐ。

 そのためだけに壁を作る。

 作りつづける。

 そうするしかなかった。

 それが――。

 わたしたちイシュタ人、戦争に負けた民族の暮らしだった。

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