イオンモールは増えていく
課長
第1話 増殖するイオンモール
いつのまにか、町にイオンができていた。
僕がそれに気づいたのは、通勤の途中だった。以前そこに何があったのか、もう思い出せなかった。田んぼだったかもしれないし、ガソリンスタンドだったかもしれない。けれど今は広い駐車場があって、風に揺れる旗がひらひらと音を立てていた。
最初のうちは、ただ便利な場所ができたと思っただけだった。昼休みにカフェでコーヒーを飲んで、ついでに文具を買う。そんなふうに、少しずつ生活のリズムに入り込んできた。誰も文句を言わなかった。便利なものに理由はいらないのだ。
二つ目のイオンができたのは、半年後だった。
ひとつで充分だと思っていたけれど、みんな自然に二つ目へも行った。映画館の座席が少し柔らかいとか、フードコートのうどんが美味しいとか、そんな違いを嬉しそうに話した。
やがて三つ目ができ、四つ目ができた。休日の渋滞は絶望的だったけれど、人々は笑っていた。イオンを回ること自体が、レジャーになっていたのだ。
気づけば、町の名前を呼ぶ人はいなくなった。代わりに「どこのイオン行く?」と訊ねるようになった。町よりも、イオンのほうが具体的な場所だった。
そのうち会社の支店も、役所も、学校も、すべてイオンの中に移転した。僕の職場もそうだった。朝はイオンに出勤して、昼はイオンのレストランでランチを食べ、夜はイオンの本屋で時間を潰す。外に出る理由がなくなった。それに、外というもの自体が、もうどこにあるのかよくわからなくなっていた。
ある夜、帰り道を歩いていて、ふと気づいた。どこを歩いても、同じ明かり、同じ音楽、同じ匂いがしていた。まるで世界がひとつのイオンに変わってしまったようだった。
「ねえ、ここって、どこのイオン?」
隣を歩く恋人に尋ねてみた。彼女は少し考えてから言った。
「たぶん、最初のイオンじゃないかな。でも、もしかしたら違うかも」
僕たちは立ち止まってみたが、見分けはつかなかった。赤いロゴが光っている。その光はやけに優しくて、現実の輪郭を溶かしていくようだった。
館内放送が流れた。
「お待たせいたしました。ただいま、新しいイオンがオープンいたしました」
僕たちは顔を見合わせ、笑った。それがどこにできたのか、もう誰も知らない。けれど、きっと近くだ。きっと行ける。
僕たちはそのまま歩き続けた。
夜風の代わりに、冷房の風が頬を撫でていた。
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