5.忌み子

中学校を後にした僕達は、そのまま歩いて大叔母の家に向かった。山の稜線を真っ赤に焼きながら沈む夕日を背に、ヒグラシの声がこだまする田舎道を三人で歩く。この寂れた道を歩く感覚も懐かしかったが、嬉しいものではなかった。そうして、しばらく歩くと、水田の中に一軒の古ぼけた家が見えてきた。あそこが、大叔母の家である。

「一晩泊めてもらうんだよね。何だか緊張しちゃうな」

そう言って、すみれ先輩が自分の頬を揉み解す。当初は、僕達姉弟だけを泊めるはずだったのだが、僕達が懇意にしてもらっていた先輩もやって来るということを聞いた祖母が、彼女も泊めてあげてくれないかと頼んだのだった。結果的には泊めてもらえることになったが、大叔母の機嫌はとてつもなく悪くなっていた。

「じゃあ、私が開けますね。時羽もいいよね?」

家の戸の前に立ち、みそらが僕とすみれ先輩を見る。その言葉に、僕も先輩も頷く。みそらも大叔母が苦手であろうに、自ら先陣を切ってくれるとは、本当にありがたい限りである。そうして、みそらが戸の横のインターホンを押すと、少しして戸が開いた。

「……来たのかい」

出てきたのは、小柄で白髪混じりの年老いた女性であった。僕達姉弟の大叔母、文姫洋子さんである。僕達の父の母の妹であり、父方の祖母、文姫和歌子おばあちゃんの妹である。僕達をかわいがってくれた祖母とは真逆で、僕達をひどく嫌っている。小さい時から、細々と嫌がらせを受けてきたため、僕もみそらも苦手であり、正直関わりたくなかった。だが、この町には宿泊施設がなく、先生のお葬式に出るとなると、大叔母を頼らざるを得なかった。

「あの、お世話になってます。みそらちゃんと時羽君の先輩の、鈴風すみれです」

すみれ先輩が、緊張で僅かに震える声で大叔母に改めて自己紹介をする。だが、当の大叔母は、それを鼻で笑って一蹴した。

「心にも無いことを。そういうのは要らんわ」

「あっ、すみません……」

大叔母の冷たい対応に、すみれ先輩が悲しそうに俯いてしまう。それを見て、大叔母はわざとらしく大きなため息をついた。

「姉さんの頼みじゃなかったら断ってるところなんだけどね。アンタ達を家に入れるなんて、死んでも嫌だから。ただ、頼まれたものは仕方ない。ほら、さっさと上がりな」

大叔母はそう言うと、さっさと廊下の奥に行ってしまった。それを見てから、三人で家へと上がる。床を踏んだ瞬間に、床板が怪しい音を立てて軋む。見渡すと、壁や天井のあちこちにシミが出来ており、この家がどれだけの年月を過ごしてきたのかを物語っていた。

「えっと、私達が使わせてもらう部屋は、何処かな?」

「二階ですよ」

先導するみそらの後を追って、階段を上がっていく。実は、この家に来たのは、今回が初めてではなかった。まだ小学校に上がる前、物心がつくかつかないかくらいの幼い時に、数回来たことがあった。その時、僕達が決まって使わせてもらっていたのが、二階にある部屋だった。この家に来るのは実に十数年ぶりになるが、泊まる部屋は同じであった。

「ここです」

みそらがそう言って、古ぼけた木の扉を開ける。すると、その先には、遠い記憶と一致する部屋が広がっていた。カーペットだけ敷き、後は簡素な机と椅子だけを置いた、拘りの無いシンプルな部屋。大叔母によると、時々来る客のための部屋とのことだった。しかし、長いこと掃除されていないようで、部屋のあちこちに埃が積もっていた。分かってはいたことだが、全くもって歓迎されていない。

「ええっと、その……」

あまりにも殺風景な部屋に、流石のすみれ先輩も言葉に詰まってしまう。そんな先輩を見て、みそらが力無く首を振った。

「隠さなくてもいいですよ。酷いって思ったんでしょう?」

みそらの言葉に、すみれ先輩が小さく頷く。しかし、気持ちを切り替えるように首を振ると、先輩は改めて部屋を見渡した。

「でも、泊めてもらえるだけでもありがたいよ。ワガママは言わないよ」

そう言って、先輩が鞄を置く。それを合図に、僕とみそらが床に座り、それから先輩も座った。因みに、机と椅子は部屋の隅に追いやられており、使ってもらうために置かれている様子ではなかった。明らかに、三人を泊めるために無理矢理片付けた、といった様子だった。

「えっと、二人とも、小さい時から、この家に来た時はこの部屋に?」

首を傾げるすみれ先輩に、二人揃って頷く。

「来たらすぐに、僕達はこの部屋に押し込まれていました。ただでさえ邪魔なんだから、これ以上邪魔するなって。後は帰る時を待つだけでした」

大叔母の家にはあまり寄りついていなかったが、それでも行かなければいけない時というのはしばしばあった。そうして、両親や祖母と共にここに連れてこられた時は、不用品を納戸にしまうかのように、家の隅にあるこの部屋に押し込まれていた。僕達姉弟を部屋に押し込めてから、下で何をしていたのかは分からない。僕達はただ、帰る時まで、この部屋で待たされていた。

「あの、さ。これ、訊いていいか分からないんだけど……」

先輩は、そう言うと、僕とみそらを交互に見ながら、言いにくそうに言葉を絞り出した。

「二人は、どうしてここまで色んな人に疎まれているの? 時羽君の病気を抜きにしても、あまりにも酷いなって思って。こんなこと、二人が訊きたいくらいだと思うんだけど、どうしても私の中で納得が行かなくて」

その言葉に、みそらと顔を見合わせる。僕とみそらが、あらゆる人から忌み嫌われている理由。僕達が訊きたいくらいではないかと先輩は言ったが、その理由を、僕達は知っている。無論、到底納得できるものではないが、理由なら、あった。これは、先輩にも知ってもらうべきだろう。そう思った僕は、みそらに頷いてみせた。それに応えるかのように、みそらもまた頷くと、すみれ先輩の方を見て静かに口を開いた。

「生まれた時から、僕とみそらは『忌み子』と言われてきたんです」

「忌み子……?」

あまりにも重い言葉に、すみれ先輩が目に見えて狼狽える。それもそうだろう。『忌み子』なんて、それだけで理不尽極まりない言葉である。

「先輩も知っての通り、私達文姫一族は、日本舞踊の『文姫流』のお家元です。当初、その看板を受け継ぐとされていたのは、大叔母の孫達とされていたんです」

僕とみそらが生まれた文姫家は、歴史こそ浅いが日本舞踊界に名を轟かす流派『文姫流』のお家元であった。日本舞踊の世界は、現代日本では考えられないような古い伝統を重んじる世界であり、流派の看板を誰が引き継ぐか、というのは極めて重要な問題であった。大叔母と祖母とでは、大叔母の子供の方が結婚と出産が早く、当初は大叔母の孫達が『文姫流』の看板を継承するとされていた。技芸の看板を継承するということは、大変に誉なことであり、それだけで一つの大きなステータスになったという。それ故、大叔母は、私の家系が看板を継ぐのだと、継承に執着していた。

「でも、その後に、私と時羽が生まれたんです。当然記憶にありませんけど、それだけで大叔母の方からは恨まれたそうです。姉妹の孫なら、長女の孫の方が、看板を継承するに相応しいという流れに一変したんですから」

みそらはそこまで言うと、額に手を当ててため息をついた。相当ストレスが溜まっているサインである。だが、みそらはすぐに顔を上げて続きを話し始めた。

「それに加えて、私と時羽には、日本舞踊の才能があった。一方、大叔母の孫達はあまり芸能に向いていなかった。それが、私達を『忌み子』と決定づけました。文姫流の看板を奪った、と」

その言葉に、すみれ先輩が額に拳を当てて唸り声を上げた。

「ちょっと待って。二人が文姫流の師範を受け継ぐまでは、誰が継承者だったの? というか、二人のご両親とか、大叔母さんのお子さんは受け継がなかったの?」

すみれ先輩が混乱するのも当然である。この辺りは、正直かなりややこしい。

「僕達が師範を継承するまでは、実は正式な継承者は決まってなかったんです。祖母と大叔母の二人が師範、みたいな感じでした。それと、僕達の両親や大叔母の子供たちは、師範を受け継ぐことが出来なかったようです。一応日本舞踊は教わったみたいなんですけど、性に合わなかったとのことでした」

僕とみそらが文姫流の師範を受け継ぐまでは、祖母と大叔母の二人が事実上の師範を務めていた。僕達が生まれる前に、二人の子供達も日本舞踊を教わったのだが、誰一人として受け継ぐに相応しい人がおらず、そのまま二人が師範を続けていたのだった。そして、僕とみそらが文姫流を受け継ぐに相応しい踊りの才能と実力を持っており、一世代飛んで僕達が師範を受け継いだのだった。

「ただ、僕達が師範を継承したのが、大叔母の気に食わなかったみたいです。いや、そもそも生まれたこと自体が、気に入らなかった」

「それで『忌み子』なの……?」

口を押さえて声を絞り出したすみれ先輩に、黙って頷く。僕とみそらは、生まれたこと自体を恨まれた、文姫家にとっての『忌み子』。当然納得は行かないが、僕達が疎まれているのは、そういう理由であった。

だが、それはあくまで、僕達が恨まれている理由の『根底』に過ぎない。理由なら他にもあった。

「みそらはともかく、僕は男なのに気弱で、見た目もこの通り、女性に間違われやすいくらい中性的。そして何より、特殊な家の子。周りから嫌がらせされたり軽蔑されたりする理由は、いくらでもあったんです」

気弱で、見た目も中性的で、家が日本舞踊の流派のお家元。『普通』と異なる、それらの特徴だけで、周りが僕を嫌うには十分だった。気が強い人は「意気地なし」と軽蔑し、見た目を重視する人は「男のくせに女っぽい」と馬鹿にし、家柄や家族を気にする人は「変な家の子」と遠ざけ、僕の周りにいた人達は、勝手に離れていった。

「私の場合は、容姿を妬まれたこともありました。ちょっと可愛いからって調子に乗るなっていちゃもんつけられたり、ありもしない恋の噂を立てられたり。後は、時羽を庇って反抗するのが気に食わない人もいましたね。女のくせにって」

みそらがそう言って僕を見る。みそらは、普段は穏やかだが芯がとても強く、僕が窮地に陥る度に身を挺して助けてくれた。暴力で他者を支配したがる人には、それが気に食わなかったらしい。みそらが女性だというのも、逆風になった。

『普通』と、ほんの少し違う。それだけで、奇異の目で見られ、理不尽な目に遭わされ、嫌な記憶ばかりが紡がれていく。文姫家にとってだけではない。この町にとって、僕達、いや、僕は紛れもない『忌み子』だった。生まれてきたこと自体が罪。生きているだけで、害悪。血縁者含め、色んな人から死を望まれてきた。おまけに、僕は精神疾患を患っている。周囲にかける負担は、筆舌に尽くし難い程大きい。どうして、ここまで生きているのか。正直、自分でも分からない。

「外からの嫌がらせも、身内からの嫌がらせも、時羽がうつ病を患ってから一気にエスカレートしました。特に、身内からは『由緒正しい文姫流の家に、精神異常者はいらない』と猛烈な反発が起きて、一時期は時羽を戸籍上文姫家から追い出そうという動きも起きました。あるいは、時羽のうつ病をもっと重くして、閉鎖病棟に閉じ込めて廃人に追い込もうとしたり。そんな逆風に耐えきれずに、私達はこの町を出ました」

みそらの言葉を、すみれ先輩は俯きながら黙って聞いていた。しかし、その肩は、震えていた。思惑と憎悪の渦巻く、僕を巡る周囲の動き。ある時は見知らぬ親戚が突然来て罵声を浴びせたり、ある時はいきなり精神病棟に放り込まれたり。どれもこれも、僕が『忌み子』だったが故に起きたことである。

みそらはいい。だが、僕は、間違いなく、生まれない方が良かった人間だろう。

「酷い、酷すぎるよ……うつ病に苦しんでいるのなら、大切にされるべきはずなのに、それを蔑んで、あわよくば廃人に追い込もうなんて!」

すみれ先輩が、嗚咽混じりの、しかし確かに燃えている静かな怒りを宿した声を上げて、僕達の顔を見た。その目には、悲しみと怒りと、苦しみと、そんな『負の感情』がぐちゃぐちゃに混ざり、少し鈍った光となって宿っていた。

「そういうわけで、僕達は『忌み子』と言われてきたんです。まぁ、本当に忌み子なのは、僕だけだと思うんですけど」

その言葉に、みそらがピクリと反応する。しかし、それ以上何かを言うことはなかった。優しくて面倒見が良くて、でも芯は強い。そんなみそらは、きっと必要とされているだろう。でも、気が弱くて、繊細で、精神的に不安定。そんな僕が生きている意味は、無い。そういう意味で、本当の『忌み子』は、僕だけだろう。

「そんな、時羽君だって忌み子なんかじゃ――」

すみれ先輩がそう言いかけた、その時だった。

「おーい、アンタ達、いるんだろ?」

ふと階下から声がした。大叔母の声である。三人で咄嗟にドアの方を見ると、そのまま下から声が聞こえてきた。

「姉さんの家を整理してたら、時羽の昔の荷物が出てきたんだ。その部屋に置いてあるから、確認して捨てるなり持ち帰るなりしてくれ。邪魔で仕方ないんだよ」

それから、と大叔母が一息置く。

「ご飯を食べるなら、さっさとしておくれ。アンタ達の顔を見ながらご飯なんて食べたくないからね。食材と台所は使っていいから。ほら、早くしなさい」

それきり、大叔母の声は聞こえなくなった。僕とみそら、すみれ先輩の三人で、暫し顔を見合わせる。しかし、その沈黙をみそらが破った。

「なら、私、下でご飯作ってきますよ。先輩は待ってて下さい。時羽は、その『昔の荷物』を確認してみて」

「いや、私も行くよ。みそらちゃんだけに負担をかけるわけにはいかないから」

恐縮です、とみそらが頭を下げる。一方の僕も、立ち上がろうとしていた。自分だけ何もしないのは申し訳ない。しかし、僕のその意図を汲み取ったのか、僕が立つよりも先に、みそらが僕の方を見て言った。

「時羽、大丈夫だよ。私と先輩に任せて。時羽は、例の『昔の荷物』を見てみて」

ここまで言われると、流石にそれ以上言う気にはなれなかった。ここで自分も手伝うと、無理に自分の意見を押し通せば、みそらの気遣いを無碍にすることになる。言葉に甘えるということも、時には大事である。

「なら、行きましょう、先輩」

そう言うと、みそらとすみれ先輩は部屋を出て階段を降りていった。その背中を見送ってから、改めて部屋を見渡す。こんな何もない部屋に、そんな荷物などあるだろうか。そう思って探すと、部屋の隅に置かれた椅子の上に、それらしき小さな箱を見つけた。取って見てみると、箱には僕の名前が書かれていた。しかし、自分で書いたものではない。この筆跡、見覚えがある。

「(これは……?)」

微かな予感を胸に抱きながら箱を開けると、中にはガラスで出来た風鈴が入っていた。上の部分が僅かに青くなっている、透明な風鈴。それを見た瞬間に、僕は思い出した。

「先生がくれた、風鈴だ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る