12章「Mama」ーツバメのママ〜喰らわれる快楽を求めてー
12章「Mama」
ーツバメのママ〜喰らわれる快楽を求めてー
私の娘は、二十八歳でした。
娘が生まれたあの日のことは、いまも昨日のことのように思い出せます。
私と主人の宝物。この世でいちばん大切な、宝物でした。
娘はまるでお人形のように可愛くて、近所でも評判でした。
誰にでも優しくて、挨拶もきちんとできて、先生にもお友だちにも好かれていた。
特に、私。私ほど娘を理解し、愛していた人間はいません。娘の部屋の家具、服の色、持ち物、全てを私が娘のために選びました。
娘は、私自身がなりたかった「完璧でかわいい私」そのものでしたから。
娘は、私たちから贈ったお人形やぬいぐるみを「ありがとう」と大切に抱いてくれて。
私が作った料理も、「おいしいね」と笑顔で食べてくれていたのです。
あの子は、非の打ち所がない良い子だったのです。
反抗期ひとつなく、私たちを困らせたことなんて、一度もありませんでした。それは当然です。娘には、反抗する理由など何一つありませんでしたから。
私は夢を見ていました。
娘がふつうに恋をして、ふつうに結婚をして、近所の誰もが羨むような孫を抱かせてくれる未来を。
それだけが、主人と私の、ささやかな願いでした。
それなのに。
娘は、たった二十八歳で、醜い女に命を奪われてしまったのです。あれは事故なんかじゃない、殺人でした。
娘を奪ったのは、ある醜い女でした。
警察によると、娘は「memo」というSNSで、その女と知り合ったそうです。
女は言いました。娘がmemoで中年男性に誹謗中傷されていた、と。
でも、考えてみてください。
あの子が、いったい、何をしたというのですか?
やさしくて、かわいくて、誰にも迷惑をかけない娘が、なぜ、こんな目に遭わなければならなかったのでしょうか?
私は、怒りを抑えることができませんでした。
そして、私は怒っていいのです。娘を失った親として、怒る権利が、私にはあるのです。
このまま黙っていてはいけない。
私は、tubitterで娘の死の真相を投稿しました。
すると、信じられないほどの反響がありました。
いいねは二十万を超え、拡散され、五千人以上の方が私をフォローしてくださいました。
インフルエンサーの方も「memoを廃止させよう」という署名を立ち上げてくださいました。
私は、娘のmemoに投稿されていたエッセイも載せました。
「こんなやさしい子が、殺されるなんて」
多くの人が、そう声をあげてくれました。
ネットニュースにもなり、memo内で起きていた数々の誹謗中傷が明るみに出ました。
娘が亡くなって、ちょうど三か月が経ったある日、こんなニュースが流れました。
※ネットニュース(2025.11.10)
memoアプリ、2025年をもってサービス終了へ
SNS「memo」運営元は9日、当該アプリを2025年12月31日をもって終了すると発表。
利用者数の減少が理由とされているが、関係者によれば、SNS上での「言語疲れ」や「殺人事件の影響」が背景にあるという。
特に、memoを介して出会った二人の女性による殺人事件は大きな波紋を呼び、アプリ内の投稿数は激減。「言葉に殺されるとは思わなかった」との投稿も拡散され、社会的な問題として報じられていた。
memo終了については、「言葉の墓場として役割を終えた」という声がある一方、「ただの毒の温床だった」とする批判も根強い。
今後、ユーザーはそれぞれの言葉の居場所を探すことになる。
※
memoは、なくなりました。
私は、娘の無念を、少しは晴らせた気がしています。
でも、娘は帰ってきません。
悲しみも、苦しみも、怒りも、癒えることはないのです。
memoのサービスが終わってから、投稿に対する反応は少なくなりました。
でも、数十人の方が、変わらず「いいね」をくださり、私の気持ちに寄り添ってくれています。
私は今日も、娘の部屋で、何か、tubitterで投稿する手がかりが残っていないかと探していました。
すると、一通の手紙を見つけたのです。
黒い封筒に入った、濃い墨色のペンで綴られた、手書きの手紙。
宛名は「カラスへ」。
あの醜い女。娘を殺した女への手紙でした。娘の持ち物の中で、唯一、私の趣味ではない、汚らしい黒いものでした。
私は、貪るように読みました。
「あなたに喰われるため」「殺されるのを待っていた」「私が“なりたかった私”だけが、あなたの手で、ちゃんと死ねた」
内容は、支離滅裂で、頭が痛くなるばかりでした。しかし、本能が叫んでいました。
『この手紙は、無かったことにしなくてはならない』
この手紙が公になれば、娘が「異常者」であったと証明され、私の築き上げてきた「悲劇の聖女」という物語が崩壊してしまう。
私の正義とフォロワーは、全て、この紙切れ一枚で消し飛んでしまう。
私は、手紙を台所に持ち込み、ガスコンロの青い火に押し付けました。
手紙は、一瞬で、ツバメの雛のように白い便箋を黒く染め、音もなく燃え上がりました。
私の指が熱くなるまで、燃え尽きるのを待ちました。
燃やせば、無かったことになるのです。
うちの娘は、「ツバメ」なんかじゃありません。
どこにでもいる、やさしくて、かわいくて、ふつうの良い子でした。
私たち家族は、間違ってなどいません。
私たちは、ただ、娘を大切に愛していた。そのことだけは確かです。
私はこれからも、娘の好きだった料理を作り、写真を撮って、tubitterに上げていきます。
それが、娘への供養になると信じています。
―ツバメからの手紙―
私の親愛なる友だち、カラスへ。
私は、あなたが大好きでした。
あなたの声も、言葉も、大好きでした。
いま思えば、私は、
あなたに喰われるために、memoにいたのかもしれません。
あなたが持っていた、黒く美しい牙。
その言葉に、私はすべてを差し出したかったのです。
memoは、光るものを拾い集める場所。
私は、他人の言葉を盗んで、かき集めて、巣をつくった。
その上で、誰かに殺されるのを待っていたのです。
そして現れたのが、あなた。
美しいカラスでした。
私の「かわいさ」は、あなたにだけ届けばよかった。
memoの誰にも、届かなくてよかった。
でも、あなたも、最後まで気づいてくれなかった。
私は、嘘がとても上手だったから。
カラス。
どうか、自分を責めないで。
あなたが助けたのは、私じゃない。
あなたが殺したのも、私じゃない。
私が「なりたかった私」だけが、あなたの手で、ちゃんと死ねたのです。
透明になった私は、もう、誰にも喰らわれない。
でも、もし望みが叶うのなら、
あなたの中にだけ、私の味が残っていてくれたら、それでいい。
カラス。
私を喰らってくれて、ありがとう。
私は、美味しくあれたでしょうか?
ツバメより
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