第9話 センセイの強さ
センセイが話を終えると、事務所内にはエアコンの稼働音だけが残っていた。
「後味悪っ……!」
良い思い出話くらいのつもりで聞き始めたら、まさかの死人が出てんじゃねえか。神様案件だし。
俺はテーブルからかき氷の器を持ち上げた。底からポタポタと水滴が落ちる。
「そうかぁ?」
センセイは俺たちに話をしながら器用にスプーンを進め、特大のかき氷を食べ終えていた。メロンソーダの残りも飲み切り、底に残ったサクランボを舐めると、
「まあ、
と、笑った。センセイの唇はブルーハワイのシロップで青く染まり、真っ赤なサクランボを咥えた様子は、キレイだけど怪しげな雰囲気を醸し出している。ゾクッと全身に寒気が走り、腕に鳥肌が立った。俺がかき氷に意識を戻すと、秋葉先輩は笑みを浮かべて事務机から身を乗り出した。
「眼病に関する祠ですか! 地元の信仰として古くから根付いているのだとすると、トラコーマでしょうか? クラミジア・トラコマチスを病原体とする感染症でして、日本でも明治初期から流行していたといわれています。根本的に治療できるようになったのは、抗生物質を使うようになった戦後からで……」
「後でセンセーに訊いてみな。神様が直々に罰を与えに行かなくて済むよう、祠の管理者と話をしたって言っていたから」
放り投げるようにセンセイが話を遮ったことを気にした様子もなく、秋葉先輩は喜んだ様子でぶつぶつと考え込んでいた。話を聞き終えて黙っていたのは、祠について考えていたからなのだろう。白い猿の神様が気になるらしく、虎がどうの、干支でいえば裏に当たるなどと呟いている。普段だと顔に出難い感情も、超常的な話になると手に取れるぐらい分かりやすく表れていた。センセイの天職が
希望通りかき氷を飲み終え、俺はアイスの溶け切ったコーラフロートをストローでかき混ぜた。炭酸が抜け、一口すすると甘くクリーミーな味が広がった。
自分を信じなかった幼馴染の死を聞き届けるなんて、やっぱりセンセイは強いと思ってしまう。人目を気にして、上野からもらったサングラスを置いてきてしまった俺が、センセイみたいに他人の評価を気にせず生きられるかは分からないが……。
コーラフロートの甘さで後味の悪さが薄まると、事務所の扉がノックとほぼ同時に開いた。遠慮のない訪問者に、俺たちはそろって顔を上げた。
「よお
センセイの師匠の大塚さんだろう。
「何しに来やがった、クソジジィ!」
センセイはソファから立ち上がると、大股で大塚さんに歩み寄った。俺と秋葉先輩もそれぞれ席を立つ。
「おいおい、それが師匠を出迎える言葉かよ?」
口の悪さを嘆きながら、大塚さんは荷物をセンセイに差し出した。
「これ、玄関の前に置いてあったぞ」
「ありがとう……。あっ、
段ボールを傾けて差出人を確認すると、センセイの顔に笑みが広がった。秋葉先輩が空になった器を片付けながら言う。
「
「えっ! 久留米さんってさっきの話に出てきた……?」
杏奈さんと一緒に恋のおまじないを行った女子生徒だ。センセイの話によれば、彼女も再び神様の怒りを買ったことで、死亡したんじゃなかっただろうか。混乱する俺に、秋葉先輩がテーブルを拭く手を止めて顔を上げた。
「おや、
「矛盾っすか?」
センセイの霊感を信じていなかったのに、除霊に付き合ったことだろうか。俺が答えを出せずにいると、先輩は「救急車を呼んだことさ」と教えてくれた。
「
血のりと本物の血液ぐらい簡単に見分けられるけれどね、と先輩は肩をすくめた。
「じゃあ、救急車を呼んだのは大塚さん……?」
「それも矛盾するんだ。病院で目を覚ました
秋葉先輩からいきなり話を振られ、大塚さんは目を見開いたが、すぐに合点がいったらしく「ああ」と頷いた。
「救急車を呼んだのは俺じゃない。すぐに同じ制服を着た娘がやって来たからな。疑われるのも面倒臭ぇし、隠れていたよ」
「また、病室には綾香さんのカバンが置いてあった。つまり救急車を呼んだのは、あの時公園にいたもう一人の人物――つまり久留米さんというわけだ」
先輩がそう締めくくると、センセイがため息をついた。
「そんな回りくどい説明しなくても、伊予が私の話を信じてくれた、だけでいいじゃないか。杏奈は引いたみたいだけど、伊予は血を流した私を見て『必死で救おうとしてくれた』って思ったそうだよ」
秋葉先輩はセンセイに「性分なもので」と返し、大塚さんに飲み物の注文を訊いてソファへ座るよう勧めた。
「でも、誰が救急車を呼んだかだけで、先輩には久留米さんが助かったと分かったんですか?」
だとしたら探偵を通り越して、超能力レベルの推理力だ。
「いいや? 祠で会ったお婆さんは、おまじないを行ったのを“四人”と言っていただろう?」
先輩に言われて思い出した。センセイが神様に謝った後、障気に包まれていたのは三人だった。一人足りないのだ。
「そっちを先に言ってくださいよ……」
先輩が探偵なら、今の俺は間抜けな相棒かへっぽこな刑事の役目だろう。センセイは「とにかく」と言ってデスクに就き、カッターを手に取った。
「伊予だけは生き延びて、今は旅行関連のライターをしている。たまに、こうしてお土産を送ってくれるんだ」
「へぇ。今回はどこに行ったんですか?」
俺の質問にセンセイは段ボールからお菓子の箱を出して掲げた。
「沖縄だね。海ぶどう味のちんすこうだって」
「……羊羹も彼女のチョイスでしたか」
そう言いながら秋葉先輩はジンギスカン羊羹を切り始めた。小倉羊羹より赤く、梅羊羹よりも黒い、レバーのような色合いだった。みたらし団子のような甘い醤油に交じって、ニンニクの香りがする。
俺はソファから一歩前に出て、両足をそろえて背筋を伸ばした。キッチンを訝し気に見ながら、大塚さんが近づいて来る。大塚さんは優し気な笑みを向け、俺に手を差し出した。
「おお、お前が雅弘か! 初めまして、大塚だ」
「は、はい! 初めまして! 神田雅弘です!」
緊張しながら俺が手を取ると、大塚さんはグッと指先に力を込めて握り返した。力強い握手に俺は自然と笑みをこぼした。
「修行のほうは上手くやれているか?」
「はい。センセイがちゃんと教えてくれてるんで……!!」
俺が答えると、大塚さんは「あの
「んだよセンセー!」
と唇を尖らせた。唇は青く染まったままなのに、子供じみた仕草がなんだかおかしかった。
「いや~、俺も雅弘を育てたかったな~、って。なにせ敬語が使えやがる」
「ははん! いいだろ!! マサは大当たりの愛弟子だもんね!」
センセイは高笑いしながらちんすこうを口に入れたが、
大塚さんは懐に手を入れながら、俺に向き直った。
「強い血を持つお前も、祓い屋になるなら恵比寿みたいに“負け無し”を目指すしかねぇからな」
「はい!」
「かと言って、なんでもアイツを真似すんなよ? 事前調査もロクにせず突っ込んで行ったり、相手の数も分からんのに刀が折れるほどの力で叩っ斬たり……」
特に自分の血で化け物を呼び寄せんのは危険だからな、と言いおいて、大塚さんは電話番号の書かれた名刺を俺に差し出した。
「まあ、直接は育てらんなくても、俺が師匠の師匠であることは変わりない。何か困った事とかあったら、気軽に連絡しろ……」
耳打ちするみたいに手を添えて
「男同士だからよ」
と小声で付け足した。
「ありがとうございます!」
名刺を受け取ると、大塚センセーは俺の頭をクシャっと撫でてから背中を強く叩いた。俺より背が低いのに、親しみを込めて頭を撫でられると、なんだか守られている気がする。気恥ずかしさを感じながらお辞儀をし、俺はソファの裏にしゃがんだ。床に置いていたカバンを開き、名刺が折れ曲がらないようノートの間に挟んで仕舞う。
「秋葉君、これ資料ね」
「はい。承りました」
大塚センセーは向かいのソファに座ると、冷茶と羊羹を持って来た秋葉先輩に茶封筒を渡した。先輩はお盆を小脇に挟み、中の資料に目を通し始めた。センセイがデスクに手を叩きつけて立ち上がった。
「やっぱ仕事を押し付けに来たんじゃねぇか、このクソジジィ!」
「近場で依頼があったから、弟子の顔を見に立ち寄ったんだよ。仕事はついでだ」
「ったく、どうだか……てか、承るなよ千晴ー!!」
「……大丈夫ですよ綾香さん。これなら五日後の予定に組み込めそうですから」
上司であり雇い主であるはずのセンセイの制止を聞かず、秋葉先輩はスケジュールを押さえてしまった。五日後なら俺も同行できるから、後で内容を教えてもらえるだろう。大塚センセーが冷茶を飲んで笑った。
「秋葉君みたいな優秀な事務員がいると、仕事を押し付けるのも楽でいいや。事務所内も片付いているしな」
依頼が立て込んでいるときには、先輩が事務所で夕飯も作っているそうだ。
秋葉先輩が働く前は、仕事に忙殺されていたセンセイが寝泊まりすることも多く、事務所は別宅のように使われていた。去年の夏休みのように生活感が漂っていたら、俺がホテルの宿泊に
「クソ……千晴が有能すぎんだよ……!」
師匠と従業員に敗北して歯噛みしているセンセイは、悔しそうに見えてどこか嬉しそうだった。悪霊や化け物には負け無しでも、人間相手では勝手が違うみたいだ。
俺は仕舞ったばかりの名刺が入ったカバンを見下ろした。
(ホテルの除霊、大塚センセーに相談してみるか……)
センセイを頼るとなんだか負けた気がするが、大塚センセーならそんな気分にもならない。
(それに……)
センセイが大塚センセーに言われた『味方を大切にしろ』という言葉が胸によみがえった。センセイは大塚センセーを、久留米さんはセンセイを信じたことで、二人は今も生きている。味方になってくれる人を信じるのなら、頼ってみてもいいんじゃないかと思う。
(上野にも「困った時くらい! 頼ってください!!」って怒られたしな)
俺はセンセイが“負け無しの祓い屋”であり続けられる強さの理由を知った気がした。自分の味方になってくれる人を頼る事は、その人を信じる事にもつながるのだ。
俺は大きく深呼吸をして立ち上がった。ジンギスカン羊羹を口にした大塚センセーを見てセンセイが笑い、笑うセンセイを見た秋葉先輩が微笑んでいる。俺はソファの裏から出て、温かい味方が作る輪の中へと戻った。
こんなに頼もしい人達が味方だと思うと、俺もセンセイみたいに強くなれる気がした。
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