第16話 出生の秘密

 大怪我をして帰ってきた俺を見て、ママさんは大号泣した。

 パパさんも青ざめ、すぐに腕利きの医者が五人も六人も屋敷に呼ばれ、俺は日替わりでセカンドオピニオンを受け続けることになった。

 いくら矢で射られたとはいえ、命にかかわる怪我ではない。腕も痛むがちゃんと動く。

 俺はすぐにでも学院に帰りたかった。アスターが心配だ。彼は自分の命が狙われていることを知らない。そんな状態では危険を回避することもできないだろう。

 必死になって引き留めるママさんに配慮して、一週間は大人しくしていたがそれが限界だった。

「帰る。もう絶対に帰る。いますぐ学園に帰ります」

「駄目よライル、お願いだから考え直してちょうだい。お医者様は全治三週間と言っていたじゃない。まだ一週間しか経っていないわ」 

 ママさんがぽろぽろと泣きながら俺を引き留めた。言っても聞かないと思っているのか、鞄に物を入れていく傍から出されていく。三回繰り返して、俺は荷物を諦めた。もう身一つで行く。

 ママさんの「お願いお願い、待ってちょうだい、お願いよ」という声を無視して大広間に出ると、パパさんが立っていた。立ちはだかる彼を毅然と睨みつける。何を言われてもひかない覚悟だ。

「ライル、落ち着きなさい。私たちはお前の親として、お前を危険なところに行かせるわけにはいかない。学院から怪我について納得のいく説明がない限り、お前を家から出すつもりはないよ」

「なんて言われたって絶対に行きます。這ってでも行く」

「お願いあなた、ライルを止めてちょうだい」

 パパさんが目配せをすると、壁際で待機していた使用人たちが一斉に俺を取り押さえた。そのまま階段を逆戻りし、部屋へ連れ戻される。がちゃりと外鍵をかけられる音がして、俺は震えた。閉じ込められた。ここまでするか⁉

 俺はベッドに腰かけ、考え込んだ。パパさんはダメだ。流石一国の宰相だけあって、俺なんかが丸め込める相手ではない。ママさんには泣き落としが効きそうだが、彼女はあらゆることを夫に確認してから勧める癖がある。

 八方ふさがりだ。枕に顔を埋め、すぐにぱっと上げた。

 ママさんとパパさんを出し抜ける第三者がいるじゃないか!

 俺は兄のニールが帰ってくるのを狙い、使用人に手紙を渡してもらった。彼以外とは絶対に話さないという決意の手紙だ。丸三日食事の誘いにも無言を貫いた俺に音を上げた家族は、四日目にしてようやくニールを俺の部屋へ通した。

「ライル、ちゃんと食事を摂らなければ倒れてしまうよ」

 パパさんによく似た、それでいて若さの漲った美丈夫が困ったように眉を下げて柔らかい声を出す。

 俺は布団に丸まり拒絶の姿勢を続けたまま彼を迎え入れた。シーツの隙間からニールを確認する。俺は彼がベッドに近づいてきたのを見ると、勢いよく抱きついた。絞め殺す勢いでしがみつき大声で「お願いお願い」と駄々をこねる。

「お願いお願いお願い兄さん、お願いだから俺を学院に返して」

「ら、ライル、落ち着いて」

「帰りたい帰りたい、兄さんお願い、兄さんしか頼れないんだ」

「ライル……」

 異世界に来てから今まで、この兄は俺の頼みをただの一度も断ったことがない。しょっちゅう繰り返されるおさがりの無心にも、寛容に答え続けてきた。つまり、ニール相手なら俺のわがままが通るのだ。

 ニールは俺を抱えたままぐるりと回り、ベッドに座った。膝の上に抱え上げられる形になり、俺は流石に気まずくなって自主的に体を離した。適切な距離をとってから、再度説得を試みる。狂ったように「お願い」を繰り返す俺を、ニールは「分かったから、少し静かにしてごらん」となだめた。

「ライル、私たちはなにも意地悪でお前を屋敷から出してやらないわけじゃないんだよ」

「でも、俺はこんなに学院に行きたいんだよ。怪我をしたのは学院の外だったし、勉強するのはいいことだろ、兄さん、お願いだから学院に行かせてよ」

「これは王子殿下のご命令でもあるんだ」

 俺は口を閉じた。

 王子殿下? フィン・クラウディウスのことか? なぜ彼が?

 ぴたっと止まった俺を見て、ニールはやっと納得したのだと思ったらしい。よく休むよう声をかけてから出て行った。

 が、もちろん納得したわけではなかった。むしろこれは光明だ。フィン王子なら知らぬ相手ではないのだし、肉親の情がない分説得もしやすいだろう。

 俺は少し考えてから時計を持ち、靴下を履き、窓を開けた。

 育ちの良い公爵家の皆様は窓を出入り口だと認識していないが、俺はもはや外に出られさえすればなんでも良かった。シーツを使って簡易的な命綱を作り、窓枠に足をかける。

 なんとか生きて外に出られた。手の甲で額の汗を拭う。学院までは簡単にたどり着くことが出来た。街で時計を売り払い、靴と列車の切符を買ったのだ。問題はどうやって門の中へ入るかだった。門の前には見張りがいて、通行証を見せなければ魔法によって見張りごと門が消えてしまう。

 迷ったが、俺は暴力的手段をとることにした。緊急事態なので仕方ない。街でいつも決まった時間に来る郵便職員を待ち伏せし、彼から制服と通行証を奪う。人に向かって眠りの呪文を唱えるのは初めてで緊張したが、上手く行った。

 信じられないほど法律を犯して学院へ入った俺は、すぐに寮の部屋へ行き、置いてあった制服に着替えた。授業中で、アスターはいなかった。教師や顔見知りに見つからないよう、隠れながら構内を移動して王子を探す。

 図書室も中庭も寮にある彼の部屋も全部空振りで、やっと彼を見つけたのは魔法薬学室だった。窓際の椅子に座り、本を読んでいる。俺はドアを開け「王子」と彼に声をかけた。

「……ライル?」

 俺は頷き、彼の隣の席へ座った。王子は開いた本のページに手を置いたまま、静かに首を傾げた。

「どうしてここにいるの? 療養中だと聞いたけど」

「もう治った。王子、俺が学院に帰れるよう口添えしてくれよ。母上も父上も俺が心配だと言って聞かないし、兄上はあなたの命令だから戻せないって言うんだ」

 王子はまくしたてる俺を静かな目で見ていた。

 気持ちを落ち着かせるようにたっぷりと間を置いて、柔らかな声音が返ってくる。

「ご両親の心配はもっともだろう。私も君は家にいた方が良いと思う」

 らちがあかない。俺はさっとあたりを見回して他に誰もいないことを確認すると、彼に事の経緯を話した。アスターの命が狙われていること。解毒薬はアスターのために作ったこと。今回の俺の怪我も、アスターの命を狙うやつらによるものだということ。

 全てを打ち明け、もう一度王子の顔を見る。彼はやはり穏やかに微笑んでいた。違和感に胸が騒ぐ。

「王子……?」

「ごめんね。全部知っているんだ」

 俺は言葉を失った。思わず立ち上がって後ろへ下がる。足がぶつかり、椅子が音を立てて倒れた。

 王子は頬杖をつき、窓から外を眺めた。何も知らない生徒たちが歓談を楽しんでいる、いつもの中庭の風景。窓から差し込む木漏れ日が彼の金色の髪に反射している。

「いい景色だね」

 彼は囁くように言った。

「こんな日々がいつまでも続けばいいのに……」

 俺は彼の横顔を凝視した。喉から勝手に言葉が飛び出す。

「知ってたって……、なにを? いつから?」

 フィン王子が伏せ目がちに微笑んだ。

「全てを。最初から」

 じゃあ、アスターの命が狙われているのを知っていて解毒薬づくりに協力してくれたのか? なら、彼はアスターの味方だ。もう一度アスターを助けてくれるよう頼もうとした俺を、フィン王子自身の視線が制した。

「兄の幸せを願っていた」

「兄って……」

「アスターのことさ。アスター・クラウディウス。私の双子の兄。この国の、本来の第一王子だ」

 双子の兄? 思ってもみなかった言葉に、頭がくらくらする。だって、フィン王子とアスターは全然似ていない。髪の色も、目の色だって。否定する要素を数え上げる自分の裏で、冷静な俺自身がアスターと接して感じていた違和感を思い出させる。背が伸びたアスターに対して、俺はどう思ったんだった? まるで一緒に解毒薬を作った時のフィン王子のようだと……。

「王族に双子は不吉だ。アスターは生まれてはならない子供だった。乳母は赤子を殺すように命じられたが、良心が咎めて殺さず孤児院に捨てた……。誰にも見つからず、孤児として生き、孤児として死ぬはずだった。あの日、魔力が暴走するまでは……」

 言いながら、フィン王子はレースのカーテンを閉めた。日光が遮られ、全てが灰色がかって見える。

「大きすぎる魔力は、王族に発現しやすい。私と同い年の子供だ。すぐに調べられて、身元が割れてしまった。私は彼を学院へ呼び寄せ、せめて殺されないように見守るつもりだったが……状況が変わった。ライル、君のせいで」

「お、俺がいったい何を……」

「みすぼらしい孤児のままでいれば捨てておけたのに、彼を美しく育て上げてしまっただろう」

 フィン王子の絹のような髪が揺れた。俺は彼の言葉を受け止めきれず、しゃがみこんだ。こみあげてくる吐き気に口元を抑える。なんだ? 俺が、俺がなにをしたって?

「膨大な魔力、人を惹きつける容姿、天性の賢さ……、まさに王の器だ。私は兄を守りたいと思っていたが、それは民に害が及ばなければの話だ」

 俺はえづき、板張りの床に嘔吐した。ぱしゃりと音がして、床についた手が汚れる。

「アスターを放っておけば、いつか必ず国の基盤が揺らぐ。宮廷の保守派どもはそう考えて手先を差し向けているんだろう。私も、今はそう思う。兄のことは大切に思うが、彼の存在で国が揺れ大勢の民が苦しんだり死んだりするよりは、兄が死んだ方が良い」

 そんなわけない。俺は必死に反論を組み立てた。目の前の男を説得して、今まで通り学院に通い、アスターの隣へ戻る方法を探す。

 アスターが死んだ方が良い? そんなわけない。彼の命は、どんな天秤にもかけられない。大勢の国民の命がアスターより軽いわけがないのと同じで、アスターの命だって大勢の国民の命より軽いわけがないのだ。

 俺は言葉を探したが、唇から出るのは掠れた息だけだった。胃酸で焼かれた喉が痛い。生理的な涙が床に落ちる。

 王子は俺にゆっくりと近づくと、白い指先で俺の顎を持ち上げた。青い瞳に俺が映っている。

「無関係な君が傷つくところは見たくない。全てが終わるまで、少し早い休暇だと思って家でゆっくりしておいで」

 美しい微笑み。

 部屋を出て行く彼の足音を聞きながら、俺はアスターの名前を呟いた。


 授業から帰ってきたアスターは、真っ暗な部屋で膝を抱えている俺を見てさすがに驚いたようだった。

 荷物を下ろし、早足で近づいてくると肩に手を置いて覗き込まれる。俺は彼を睨んだ。気持ちがぐちゃぐちゃで、険しい顔をしないと今にも泣きだしそうだったからだ。アスターは困惑して俺の名前を呼んだ。

「ライル、いつ帰ってきたんだ? 灯りもつけないで……」

「アスター、俺と逃げよう」

 声を出した瞬間、あれほど出したくないと思っていた涙が出た。アスターが切れ長の目を瞬いて口をつぐむ。

「こんな国捨てて、俺と一緒にどこか遠いところで暮らそう。俺、一生懸命働く。絶対お前に不自由させないから」

 違う国に行けば、彼は王位争いに巻き込まれたりしない。俺は手を伸ばして、アスターの制服を掴んだ。力を込めると、彼は簡単にこちらへ来た。彼の胸元に顔を押し付ける。

 「うん」

 短い返事が聞こえて、俺は弾かれたようにアスターの顔を見た。彼は真剣な顔をしていた。まっすぐに俺を見て、もう一度「うん」と頷く。

「分かった」

「馬鹿だな、なにが分かったんだよ」

 俺は思わず笑ってしまった。手を伸ばし、彼の頬におそるおそる触れる。クモのモンスターに襲われた時に出来た怪我はほとんど治り、目を凝らさなければ気づかないほど薄くなっている。俺は親指の腹で何度も彼の頬を撫でた。

「ライルが一緒ならいい。俺は料理が上手いから、違う国でも生きて行けると思う」

 彼はそう言うと、何も持たずに俺の手を握った。固い手の皮膚。

 俺は目元を拭い、立ち上がった。アスターの手を握り返して、二人で部屋を出る。俺たちはそのまま走り出した。人のまばらな廊下を抜け、中庭を抜け、あとは門だけというところで、背中に焼けるような痛みを感じる。足がもつれ、地面に倒れこむ。芝が頬に刺さった。アスターが俺の名前を呼ぶ。低くなった視界に、遠くからこちらへ向かってくる教師たちの姿が見えた。

 その中に剣術と魔法生物学の教師が見えて思わず笑ってしまう。あんなにあからさまにアスターを冷遇していたのに気づかないなんて、俺は馬鹿だ。

 背中が痛くて起き上がれない。音が遠くに聞こえた。倒れた俺を庇うようにアスターが立ちはだかる。燃え上がる炎。だめだ。俺は重たい手を動かしてアスターに触れた。彼が振り向く。ああ、だめなのに。俺がここで死んだら、アスターはどうなる? 律樹は? 何かを言おうとして、言葉の代わりに喉を血が通った。俺を見るアスターの瞳が赤く光る。魔力の暴走。ああ、だめなのに。

 暗転。

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