第9話 仲直り

 夕食をすっぽかして考え続け、やはり問題の解決には対話しかないという結論に至った。

 外はすっかり日が暮れて誰かを訪ねるには頭のおかしい時間になっていたが、待っていられなかった。今すぐにでもアスターと話したい。

 俺は寝間着の上にカーディガンを羽織り、外出用のランタンを手に持って部屋を出た。長い廊下をひたすらに歩く。アスターは物置のような部屋を借りて寝起きしているらしい、と噂で知っていた。そんなに俺と会いたくないのか? 物置で寝るほど? 歩いていると、だんだん腹が立ってきた。

 冷静に話し合おうと部屋を出たが、一言くらい文句を言ってもいいかもしれない。そんなに怪我させたことを後悔するならまずは直接謝るべきだろ、とか。同室を解消したいなら勝手に部屋を出る前に俺に相談しろよ、とか。

 どすどすどす、と音を立てて歩いていると、消灯している部屋から「うるさい!」と怒鳴られた。しまった、夜中だった。慌てて足音を立てないよう、ゆっくりと足を動かした。

 細心の注意を払って歴史ある古びた床が軋まないように歩いていると、ふと誰かの話し声が聞こえた。こんなところをうろついている俺が言うのもなんだが、歓談するには遅すぎる時間だ。不審に思って聞き耳を立てようとして、はっとする。

 そういえば、最近寮内で逢引きをする生徒が増えていると全校集会で注意喚起されていたような……? 学院は自由恋愛だが、構内での性交渉は風紀を乱すとして遠回しに禁止のお達しが出ていたのだ。俺個人としても男性同士の恋愛に偏見はないが、人として他人のプライベートなシーンを覗くようなことはしたくない。

 よし、早足で通り抜けよう。足音を立てないよう、かつ出来る限りのスピードで動こうとした時だった。

「アスターはまだ始末できないのか?」

 思わず足が止まる。俺は声の聞こえてきた扉を凝視した。一瞬の躊躇ののち、恥も外聞も投げ捨てて耳をべたっと扉に押し付ける。古い木の匂い。ランプの灯が足元を丸く照らす。

「時間がかかりすぎているんじゃないか。計画は順調なのか?」

「もちろんです。どうかご安心ください。時間がかかっているのは、後々面倒なことにならないよう、遅効性の毒をつかっているからなのです。このまま上手くいけば、一年経つ頃にはまるで病気で自然に死んだかのように見えることでしょう」

「遅効性ね……。くれぐれも失敗してくれるなよ。そのためにわざわざアスターを学院に入れたんだからな」

 毒。

 足元の光が揺れる。

 俺はふいに、出会ったばかりの頃アスターが言っていたことを思い出した。熱を出した彼は、体調が崩れたのを『慣れないから』だと言ったのだ。学院の生活に慣れないから熱が出たのだと。学院へ来る前はこんなんじゃなかったと言った。

 彼の具合が悪かったのは、ちゃんと食事をとらなかったからでも元々体が弱かったからでもない。誰かに毒を盛られていたからだったのだ。

 状況を理解して、俺は扉の中にいるのが誰かを探ろうとした。どこか中を見れる場所がないか。少し考えてから膝を床につく。四つ這いになって肘を曲げ、頰を床に押し付けるようにして扉と床の僅かな隙間から室内を覗いた。

 靴が二足見えた。黒く光沢のある革靴だ。一人は靴と同じく黒のズボン、もう一人は薄茶色のズボンを履いているのが、横に細長い視界に映る裾の色で分かる。

 他に何か見えないか、俺は顔の角度を変えて試行錯誤した。しかし男たちが誰かを俺が突き止める前に、黒い革靴のつま先が不意にこちらへ向いた。ぎくりと体がこわばる。

「どうかしたか?」

「いえ、物音が……見てまいります」

 バレる! 慌てて立ち上がり、廊下の角を曲がって体を隠した。ランタンの明かりを吹き消す。

 直後、がちゃりと扉の開く音がした。

「誰かいたのか?」

「いえ。……気のせいだったようです」

 胸がばくばくと早鐘を打っている。気づけば、自分の口元を強く抑えていた。

 つまり……、俺は頭の中で状況を整理した。つまり、アスターは誰かに命を狙われているということか? その誰かはアスターの食事に遅効性の毒を仕込んでいて、彼はそのせいで体調不良になり、魔力を暴走させてしまった。

 まずすぎる。こんなことがアスターに知れたら、闇落ち待ったなしだ。

 俺は震える手でもう一度ランタンに火をおこし、走る一歩直前のスピードで歩いた。足音の出ないギリギリの速度だ。一秒でも早くここを離れたかった。

 絶対にこんなことをアスターに知られるわけにはいかない。

 だって、アスターが口にしているのは俺が買ってくる軽食以外、全て学院が用意している食事なのだ。この件に関して、学院側は完全に黒だ。全く信用できない。学食の配膳係が全員敵の可能性もある。自分を取り巻く環境がこんな状態だと分かったら、アスターじゃなくても闇落ちしたくなる。

 さらに問題があった。

 どういう仕組みで同じ学食を食べている俺や他の生徒に影響を出さずアスターにだけ毒を持っているのかが分からない以上、避けようがないということだ。なら学食を利用しなければいいかといえば、そんなことをすれば毒で死ぬよりも前に飢え死にしてしまう。

 無効化するしかない。作るのだ。俺が、解毒薬を。

 肩で息をする。汗をかいて気持ちが悪かった。

 目的の物置部屋に着くと、俺は勢いのまま、ノックもせずに中へ入った。

 ガラクタが積み上がった室内、ぼろぼろのベッドで本を読んでいたアスターが大きな音で驚きに体を起こし、音の正体が俺だということに気づいて思わずという風に立ち上がった。

「ライル……」

 俺はずかずかと部屋を進むと、アスターの前に立った。

 部屋を出た時に言ってやるつもりだった言葉はすべて忘れていた。アスターの肩を掴み、ぐっと顔を近づけて言う。

「アスター、お前は俺が守る。お前はとりあえず魔力を制御できるようになれ。それだけ頑張れ」

 アスターが虚を突かれたような顔をする。彼は瞳を揺らし、ぐっと両手を握った。きつく唇を噛み締めてから、絞り出すように声を出す。

「責めないのか?」

「なにをだよ。責めることなんかないだろ」

「怪我させた」

「このくだらない怪我か? 馬鹿、こんなかすり傷でお前を責めたりしたら当たり屋と同じだ。俺を詐欺師扱いするつもりかよ」

 俺が早口で怒鳴ると、アスターは薄い唇を震わせた。綺麗な黒い瞳から、ぼろりと涙がこぼれる。俺は虚をつかれたように黙り込んだ。彼の涙を見た瞬間、頭が真っ白になってしまった。

「俺が、ライルを怪我させた……! そんなつもりなかったのに……!」

 興奮に頬を赤く染めて、アスターはぼろぼろ泣いた。子供のような泣き方に胸がつまる。

「あ、アスター」

「ライルは、俺を看病してくれたのに、優しくしてくれたのに」

 アスターが目をつむると、滴った大粒の涙が睫毛から落ちる。俺はさまよわせた手で彼の肩をそっと掴んだ。アスターが目を開き、懇願するように俺を上目遣いで見た。

「嫌わないで……」

「嫌うわけない!」

 アスターを嫌う? なんだってそんな馬鹿げた考えをするのか意味が分からない。

「おまえ、反省するなら勝手に俺から離れようとしたことを反省しろよ。部屋の変更願ってなんだよ。いいか? 俺は絶対にお前と同室を解消したりしない。死んでもな。こんなくだらない怪我でお前を嫌いになったりもしない。分かったら大人しく荷物をまとめて帰って来いよ。お前、次にこんなことをしたら二度と部屋から出してやらないからな」

 俺は反論する暇を与えずにまくしたてた。

 アスターはあまりの勢いに圧倒されたのか、次々転がり落ちていた涙もすっかり止まっている。その濡れた頬を袖で拭いてやり、深呼吸してからなるべく落ち着いたトーンを心掛けて「とにかく」と念を押す。

「とにかく、お前は魔力を制御できるようになることだけを考えろ」

 アスターは躊躇いがちに小さな声で、だがしっかりと「うん」と答えた。


 無事アスターを部屋に引き戻した俺の次の課題は、解毒薬をどう作るかということだった。

 マジで息つく暇もなく問題ばかり飛び込んでくる。

 無事部屋に戻ってきたアスターと連れ立って授業に出席した俺は、放課後になるや否や図書館に雪崩れ込み手当たり次第に薬草学の本を借りた。

 まずはアスターに使われているのがどんな毒なのかを知る必要がある。

 が、当然ながらどれだけ本を読んでみても『遅効性の毒』というだけでは見当もつかない。

 大浴場で湯に浸かりながら深くため息をつく。本を読んでいたせいで時間が遅くなり、浴場は貸し切り状態だった。いつも芋を洗うような入浴をしているので、浴槽の中でゆっくりと体を伸ばすとかなり気持ちが良かった。今度はアスターも連れてこよう。

 百人を優に超える寮生たちを抱える学院の大浴場は、俺が日本で住んでいたアパートの部屋が十個くらいは余裕で入りそうなくらい広い。が、いわゆる日本の銭湯とは違い、どちらかというとローマのテルマエに似ている。

 部屋の中央に大きな浴槽があり、さらに中央に噴水のような湯の噴出口、四方は石造りの柱で区切られた体を洗うための空間がいくつもあった。

 湯の流れる堕ちる音を聞きながら、片時も離さず身に着けているペンダントを手に取った。

 一体何が好転したのかさっぱり分からないが、ペンダントは黒い濁りが消え、淡く白い輝きを湛えている。

 なぜ? なにひとつ解決していないが……。むしろ、前期試験が終わった直後より白い気がした。ためつすがめつしていると、ペンダントの丸い局面に何か赤いものがよぎった気がした。赤なんて管理者の説明にはなかった。俺は目を凝らしてペンダントを見たが、気のせいだったのか石は青白く光ったままだった。


 翌日、俺はアスターにねだりたおして彼の朝食のパンを半分わけてもらった。本当は一欠けらで十分だったのだが、アスターが「そんなに腹が減っているなら、もっと食べた方が良い」と言ってパンを半分に割ってしまったのだ。

 彼は空になった皿を前に俺がパンをいつ食べるのかとじっとこちらを見ていたが、俺が少しずつ食べるつもりだと言うといたましいものを見る目をした。

 手段はともかく入手したアスターの食事を持って、薬学室へ行く。俺は上級生用の教科書を開き、ページとにらめっこしながら何か毒の手掛かりはないかとパンの成分を調べた。

 黒い鍋の中でぐつぐつと煮立った薬剤の中にちぎったパンのかけらを放り入れる。じゅっと音を立ててパンが消え、緑色だった薬剤が紫色に変化した。見るからに毒だ。俺は杖を持ち、ページに書いてある通りに呪文を唱えた。すると鍋の中の液体からぼんっと音を立てて白い煙が立つ。なみなみあった液体が消え、あとにはいくつかの石が残っている。

 俺はグローブを付けた手で鍋を逆さにし、机の上に石を並べた。教科書のページを捲り、石の色と教科書の写真を見比べる。

「水、小麦粉、牛乳、塩……」

 何の変哲もないパンの材料を選り分けていく。最後に一つ、赤黒い、見るからに危険そうな色の石が残った。しかし教科書にはこんな石、どこにも出てこない。石を指でつまみ、目線の高さまで持ち上げる。

 すると、後ろから良く通る涼やかな声が言った。

「逆さトカゲの胆汁」

 完全に一人きりだと思っていた俺は飛び上がるほど驚き、椅子から転げ落ちた。その拍子に手から石が落ちる。慌てて立ち上がると、声の主が石を拾い上げたところだった。

「かなり危険な薬物だけど……、なにかの課題?」

 フィン王子だ。彼は制服姿で、脇に数冊の教科書を抱えて立っていた。白く傷一つない指が俺に向かって石を差し出す。手のひらで受け取りながら礼を言うと、王子は微笑みで返した。そんな場合でもないのに、俺は思わず目を覆いたくなった。眩しすぎる。

「逆さトカゲの胆汁って?」

 聞くと、王子は持っていた本を俺が実験道具を広げている机に置き、その中の一冊を開いた。茶色い背表紙で辞書のように分厚い本だ。字は虫みたいに細かい。王子が開いたページには、確かに俺が持っている石と全く同じ石の写真が乗っていた。

「魔法薬の材料だよ。あんまりいい薬じゃないけどね。だいたいは毒に使われるんだ。大魔法士マーリンを暗殺するのに使われた毒にも、逆さトカゲの胆汁が入っていたって」

「そうなんだ……、あの、この本、ちょっと見てもいい…か?」

 話している途中で敬語を使うべきなのか、同級生だからため口を聞くべきなのか迷い、結局ため口が勝った。王子は気にした様子もなく本を貸してくれる。俺は感謝を伝えてから、本に頭をくっつけるようにして字を読んだ。

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