第8話 魔力暴走

 アスターのイメチェンによってピークを迎えた俺の気持ちの昂ぶりとは裏腹に、他校交流会は今から三か月も先、秋口のことである。

 アスターは相変わらず勉強に邁進していた。努力家なのだ。朝から晩まで、手を抜くことを知らないかのように剣を握るか杖を振るかペンを動かすかしている。

 彼が髪を切ってからというもの、あまりの顔の良さにあれほどアスターをいないもののように扱っていたクラスメイト達の態度は軟化していた。ルッキズムの残酷さと単純さを感じる。顔が良いって、めちゃくちゃ武器なんだなあ。

 反面、アスターは全くクラスメイトに興味がなかった。寄せられる視線にも無反応で、挨拶をされれば返すが自分から関わろうという意欲は全くない。

 俺はもどかしさに身もだえていた。お前、もっと仲良くなろうとしろよ。友達とか作れよ。

 彼が魔王になる直接の原因は深すぎる孤独なので、解決策は良好な人間関係しかない。

 アスターは孤児だ。家族がいない。つまり残る選択肢は友達か恋人なのだ。

 恋人は異世界でも社会通念上一人なので、そこをあてにするには失敗した時のリスクがあまりにデカすぎる。

 一方友達は多ければ多いほどいい。俺はアスターに必要なのは友達だと確信していた。別に同い年じゃなく、先輩でも後輩でもいいしなんなら教師陣の誰かでも構わないのだが、とにかく広く良好な人間関係こそ、アスターに必要なのだ。

 アスターの友達を増やしたい。一つ悩みが消えたと思ったら、また新たな悩みが出てきた。俺はため息をつきながら闇の生き物図鑑を閉じた。

 万が一の時のために蜘蛛のモンスターについて調べていたのだ。半人半虫の怪物。糸を使って獲物を捉え、牙から溶解毒を注入し中身を液体に変えてから啜って食べる。弱点は目。火にも弱いと書いてあるが、絶対にこんなモンスターに出会いたくない。

 俺がカバンに本とノートを詰めていると、隣に座って勉強をしていたアスターが不意に口元を抑えた。

「気持ち悪いのか?」

 アスターがこくりと頷く。たまに軽い微熱程度はあったものの、最近は調子が良かったから彼が体調を崩すのは久しぶりだ。彼の背中を落ち着くまでさすってやる。

 こんなに体が弱くて、本当に魔王なんかになれるのか? 俺はアスターをまじまじと見た。

 そういえば、写真で見た魔王にはツノが生えていたがアスターにはない。後天的に生えるのだろうか。その時に病弱なのも治るのかもしれない。

 魔王になるのは阻止しないといけないが、病弱なのは治した方がいい。俺は生物図鑑とは他に滋養強壮に効く薬の作り方の本を借りた。


 寮の部屋に帰ってから、アスターの体調は一気に悪化した。

 熱が上がり、膿盆に伏せた顔を上げられないでいる。水分すら吐き戻してしまってろくに取れない状態に、今夜は医務室で過ごさせようと彼の体を支えた時だった。

 頰と手のひらが燃えるように熱い。

 目の前になぜか絨毯がある。

 白く長い毛足に、ぱたたっと赤い液体が落ち丸い模様を作った。血だ。

 え⁉︎ 怪我⁉︎

 俺が正確に事態を把握する前に、部屋のドアが大きな音を立てて勢いよく開いた。入ってきたのは数名の教師だった。

 彼らは俺を見ると顔色を変え、一人は俺に駆け寄り、あとの二人はベッドの方へ向かった。

 声かけにとにかく大丈夫だ、大した怪我じゃないと答えながら立ち上がる。教師たちを追うように視線を動かすと、彼らはちょうどアスターに声をかけようとしているところだった。

 が、様子がおかしい。どこからどう見ても体調不良の生徒に荒々しい口調で何があったのかを問いただしている上、一人はアスターの肩をぐっと掴み腕を後ろに回して押さえつけているようだ。

 嘘だろ⁉ 体罰か⁉ 異世界の教育倫理は一体どうなってるんだ。俺は心配している教師を振り解いてベッドの方へ勢いよく突進した。

 歩きながらついさっきまでアスターのベッドの上で彼の背中をさすっていたはずなのに、ほとんど部屋の反対側に飛ばされていたことに気づく。

 もしかして、具合が悪すぎて魔力が暴走したのか? 頭に『学院生活のどこかで起こるタイミングの魔力暴走事故』がよぎる。暴走事故って、具合が悪くてもなるのかよ。取り返しのつかない事故が起こる前に、一刻も早くアスターの体を丈夫にする必要がある。

 俺は猛然と男たちに近づくと、アスターを押さえつけていた男を足蹴にして、取り戻した彼を背に庇った。

「生徒に乱暴するのはやめてください!」

 男たちが荒い息を整えながらこちらを見た。

 全員中年の、そこそこ学院内でも地位のありそうな教師たちだ。科目数が多すぎて見かけたことのない教師もいる。中でもひときわ紳士そうな、タータンチェックのスーツを着た恰幅のいい男が口を開いた。俺が蹴飛ばした男だ。

「アシュフォード、誤解するのはやめたまえ。我々は魔力の暴走を感知して危険を退けるためにここへ来たんだ」

 教師はゆっくりと話した。どうどうと落ち着けるように手を動かしている。俺は牛か?

「彼の魔力が規格外に大きいことは君も知っているだろう。我々は彼と、そして君たち他の生徒を魔力の暴走から守る義務がある」

 簡単に納得するつもりはなかった。アスターにとって、自分がこの場における唯一の味方だという責任感からだ。やすやすとひいてなるものか。どこの誰にだってアスターの人権を軽んじさせない。

「だからって、こんなに具合の悪そうなアスターを力で押さえつけるんですか? 体罰には断固反対します」

「もちろん体罰などしない。アシュフォード、彼を医務室に連れて行くだけだよ。さあ、こっちに来なさい。魔力の暴走に巻き込まれれば大怪我をすることになるぞ」

 俺は半信半疑で教師たちを睨んだ。

 が、正直医務室に行くことのは賛成だ。そもそも元からそのつもりだったのだし。どっちみち、アスターの体調不良は自室で対応できる範疇を越えている。

 とりあえずアスターの意向を確認しようと振り向き、俺は思わず息をのんだ。

 アスターはこの混乱の中で、まっすぐに俺だけを見ていた。彼の揺れる瞳は深く傷つき、戸惑い、恐怖を浮かべている。

 予想もしていなかった彼の表情に、俺の体は石になったように動かなくなってしまった。

 すかさず教師たちが俺とアスターの間に割り込み、彼を半ば引きずるように医務室へ連れて行く。俺は騒いだがすぐに押さえつけられ、アスターは抵抗しなかった。


 説明してくれた教師曰く、彼らは学園の警報器で魔力の異常な発露を検知し、出どころを辿って俺とアスターの部屋へ来たらしい。

 未熟な魔術師の多数在籍する学園には事故防止に魔力を測定する機会が常設されているらしい。

「この程度の怪我で済んでよかったよ。下手をすれば大怪我、最悪死んでたからね。彼の魔力は王立教会の大聖堂を一瞬にして砕くほど強いんだ」

 手当してくれた医務室の教師がそう言った。

 そういえば、入学式に他の生徒が魔力の暴走事故の話をしていたっけ。

 でも逆をいえば、本来なら石造の大きな建造物を木っ端微塵にできるアスターの魔力暴走に巻き込まれて、頰と手の切り傷くらいで済んだのだ。むしろ運がいい。アスターがあんな風に傷つく必要は全くない。

 俺は手当を受けながら完璧に組み立てた理論武装を携えて部屋に帰ったが、まだアスターは帰ってきていなかった。かなり具合が悪そうだったから、治療が長引いているのかもしれない。

 時計を見ると、もういい時間だった。今日はこのまま泊まる可能性もある。明日ゆっくり話せばいい……と思っていたのに、翌日もアスターは帰ってこなかった。

 帰ってこないくせに、授業には出ている。俺のことは無視して避ける。

 寮の監督生が「大丈夫か?」と言って心配そうに教えてくれたが、彼は部屋の変更願いを出しているらしい。全く意味が分からなかった。

 広すぎる部屋に一人、絨毯の上に寝転がってどうすればいいのか考える。

 さらに悪いことに、やっとわずかに白く光ったと思っていたペンダントが信じられないくらい黒く濁っていた。完全に白くするには途方もなく時間がかかりそうなのに、気を抜けばあっという間にどす黒くなってしまいそうで怖い。

 ペンダントが黒くなっているということは、アスターが魔王になる未来に近づいてしまっているということだ。

 絶対になんとかしなくてはならない。頭の下に敷いた右手の、大したことないはずの傷がじくじくと痛んだ。

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