第3話 静寂の鈴の音と、締め付ける心

 週末を待ちきれず、早乙女 葵は週明けすぐに図書室の当番日を調べた。普段の賑やかな活動はすべてうわの空。頭の中には、月ヶ瀬 雫から借りた小説の、孤独と救いの描写が繰り返し浮かんでいた。それは、雫の言葉にならない告白だったからだ。


 図書室で再び二人きりになった日。葵は借りた小説を返すとき、自分のバッグから、以前雫が手にしていた詩集をそっと取り出し、雫のテーブルの端に滑らせた。


「あの…これは、この前の、お礼。」


 葵の指先は震えていた。雫は、困惑と期待の入り混じった瞳で詩集を見つめる。


「開けてみて。」


 雫がページをると、ある一編に、青いボールペンで控えめに線が引かれていた。その詩は、「偽りのない自分」と「それを見つめる光」について歌うものだった。


 雫は、その線を見つめたまま、微動だにしない。葵が自分の心の中を、詩という鏡を通して、静かに見抜いてくれた。その事実に、彼女は言葉では表せないほどの安堵と感動に包まれた。


「…ありがとう、ございます。」


 雫の声は、かすれていたが、芯のある強い響きを帯びていた。それは、「あなたの気持ちは、確かに届きました」という、ぎこちない二人の最も雄弁な返事だった。


 そして、冬休み前、図書室の最後の当番日が訪れた。


 窓の外は、ついに本降りの雪。雪の粒が窓ガラスに叩きつけられる音が、閉館後の静寂の中で、二人の切ない心音のように響いていた。


「…じゃあ、鍵閉めるね。」


 葵がいつものように明るい声を出そうとしたが、喉の奥で詰まった。明日から、しばらく彼女に会えない。大勢の友人に囲まれていても、雫のいない日々の孤独が、今から胸を締め付ける。


 二人は、電気の消えた図書室を出て、凍える廊下を並んで歩いた。


 いつもより、少しだけ歩幅が近かった。


 誰もいない昇降口。外の寒気が、吐く息を白く染める。葵は、コートのポケットから、鍵がついた、小さな鈴付きのキーホルダーを取り出した。


「月ヶ瀬さん。」


 葵は、意を決して立ち止まり、不安を隠さずに雫を見つめた。その瞳は、普段の華やかさを失い、ただの、恋に戸惑う女の子の顔だった。


「年明け、また、この図書室で…私と、会ってくれるよね?」


 その言葉は、「私を忘れないで」という、切なる願いだった。


 雫は、そのき出しの葵の心を受け止め、ゆっくりと、しかし確かな決意を持って、一歩前に出た。


 そして、言葉ではなく…


 彼女は、葵の手からげられた、キーホルダーの鈴に、そして、かすかに葵の指先に、自分の細く白い指先を、そっと、一瞬だけ触れた。


 チリンッ、という小さな鈴の音が、静寂の廊下に響き渡る。


 その触れ方は、握り返すような強い熱はない。ただ、「離さないで」という微かな訴えと、「私はここにいる」という静かな誓いが込められていた。


 雫は、触れた指をすぐに離したが、その透明な瞳で、まっすぐ葵を見つめ、静かに微笑んだ。その微笑みは、冬の光のように優しく、切なく、そして確かな肯定を伝えていた。


「…また。」


 雫は、それだけをささやき、深く頭を下げた。


 翌朝。一面の雪化粧。


 早乙女 葵は、賑やかな友人たちの誘いを断り、一人で窓辺に座っていた。手のひらを広げ、昇降口で触れ合った、雫の指先の温度を確かめる。冷たいはずなのに、そこには確かな熱が残っていた。


 ――まだ恋人ではない


 しかし、この冬の静寂の中で、お互いの孤独を埋め合い、言葉ではなく心で繋がった、世界で一番、優しくて切ない特別な関係になった。


(また、会える。)


 葵の胸には、確かな約束と微かな希望だけが残っていた。図書室で二人が交わした詩と、昇降口で響いた鈴の音が、静かに、次の春を待っていた。

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