第4章 創作活動の変遷

 こちらはかつての雑記の記事の一部コピーですので、すでにお読みの方は読み飛ばしていただいても大丈夫です。


 AIの中でも、とくに生成AIというのはユーザーのリクエストに応じて何かしらの文章またはファイル(画像含む)を作り出す機能を持つAIです。

 まあ有名なAIはほとんどがその機能を持ち、かつその機能を売りにしているところもありますが。


 で、それが今まで人間にしかできなかった『ゼロから文章を作る』『ゼロから絵を描く』ということを(見た目には)可能にしているところが問題になっています……が。


 そもそもで、文章(小説等)を書く行為、そしてイラストなどを描く行為も、長い歴史の中でその道具は大きく変化しつつ、今に至ります。

 今回はそのお話。


【文章創作におけるツールの変化】

 文章を書く行為は、その行為が発生した当初においては、粘土板等に文字を刻むことで行われました。

 あ、さすがに文字の誕生より前には触れません。

 そこから紙が発明され、広がった経緯は雑記の『架空世界の本』という項でも紹介しているので割愛します。

 そして紙にインクで字を書いていくようになるか、あるいは墨で書いていくようになるかの違いはありますが、この紙に文字を書き記す、というのは、数百年、あるいは二千年近く行われ続けました。


 途中、活版印刷の発明がありましたが、あれでいきなり印刷し始める人がいるはずはなく、少なくとも文字を書く行為は、ずっと紙に記述し続けています。


 それが大きく変わった、紙の発明に続く大きな技術革新は、十九世紀後半(1870年代)に商品化されたタイプライターが登場した時でしょう。この時も、新聞記事や記録文書などではともかく、創作(小説や詩)などでは使うべきではない、という動きがあったそうです。

 ちなみにかの有名なマーク・トウェインの『トム・ソーヤの冒険』(その続編という話もある)の清書原稿は、そのタイプライターで出力されたものが出版社に提出されたとされ(全文かは不明)、当時少なくない反発もあったという記録もあります。


 時代は下って日本でも、ワープロが登場した時も同じ風潮が明確にありました。

 私はワープロが登場した頃も覚えているのですが……祖母が購入した2行だけディスプレイがあるワープロとか触ったことがあります。

 今思えばあれで文書作るとか地獄……(笑)

 それはともかく、この頃には、実際に『手書きで書いてこそ意味がある』ということで、原稿用紙に手で書く文化は結構残り続けました。ワープロが高価で誰もが持っているわけではなかったというのも、大きな理由だと思いますが。


 ただ、それもパソコンが普及し始める九十年代になると、さすがに減少していったと思われます。

 実際その頃になると、会社にパソコンがあるのは当たり前になり、文書もどんどん電子化されていきました。

 今、ワープロ(またはパソコン)で創作活動をやることを『手書きじゃないと魂がこもらない』などという人はおそらくほぼ皆無でしょう。

 そういえば履歴書とか、初期は手書きでという会社もありましたが、今はまずありませんね。


 今では人の声から文字起こしする装置もありますし、だからと言ってそれで作った小説が本物ではないという人もやはりいないかと思います。

 ある作家は『犬の鳴き声も文字に起こす』というような批判をされていたこともありますが、実際には便利なものであることは変わらないでしょうし。

 手指に問題があってキーボードからの入力や筆記が難しいという人もいますしね。


【イラスト等におけるツールの変化】

 絵を描く行為は、さらに道具の影響を強く受けています。

 始まりはそれこそ洞窟の壁に顔料で描くところから始まりますが、絵に関してはその後いろいろな絵具が発明あるいは発見され、様々な技法が生まれていきます。

 版画などもその一つといえるでしょう。

 ただ、共通していたのは人間が手で描く、ということ。

 あるいは人間が手で彫る。

 そこだけは変わりませんでした。


 それが大きく変わったのは、デジタル技術の登場です。

 私の記憶する限り、パソコンが登場してデジタルで絵を描くことが出来るようになってきた二十世紀末頃……というか、九十年代半ば。

 技術としてはもちろんもっと前からありましたが、一般の人がパソコンを持っているのが普通になり始めたのはこの頃です。

 その頃は、知り合いの中では手描きとデジタルは半々という感じでした。

 あとは線画は手で描いてスキャナで取込み、彩色はデジタルという人も多かったかな。

 その頃は、『デジタルで描いたのは本物の絵ではない』という人は普通にいましたしね。

 ただ、だんだんデジタルが主流になり、また、パソコンの性能とともに絵を描くためのソフトの性能も上がっていって、手作業では非常に手間のかかる処理でも、デジタルなら一瞬で終わるようなことも可能になりました。


 例えば分かりやすいところでは、レイヤー処理。

 特定の領域にだけ素早く彩色するというのは、手描きだと丁寧にやらないとなりませんが、デジタルでは一瞬。その範囲の認識も自動的に行ってくれます。

 失敗してもすぐ元に戻せる。

 また、微細なグラデーションをかけるといった処理も、パラメータと色の変化を指定すれば、ごく自然に、素早く行えるようになっています。

 当時、手描きでやってた人からすれば、『偽物』と言われてもまあ仕方ないところもあったかもしれませんが、実際生産性は桁違いなわけで、デジタルが当たり前になっていきました。今、デジタルイラストを『偽物』という人はほとんどいないでしょう。


【文章におけるAIの導入】

 正直に言うと、こちらの影響はまだ限定的だと思います。

 少なくとも、AIだけで書いた小説は、どこか不自然なところがある。

 私はほとんど使ったことがありませんが、文字数が増えるとだんだんおかしくなるとは聞いています。


 私がよく使うのは誤字脱字、それに言い回しなどで冗長的か、あるいは繰り返してないかなどについてはチェックしてもらいます。ちなみに本エッセイも複数のAIでチェックしながら書きました。

 ですがAIは、一見整合性が取れた意見をくれているように見えても、十万文字を超える作品については、全体の感想を言わせると結構頓珍漢なことを言い出します。


 もちろんいずれはもっと整合性のある読解ができるようになるでしょうし、設定次第では雑記の別の項で述べたように、コンテストの下読みなどを任せるといった運用が始まっていくと思います。

 ただ、現時点ではやはり限定的です。


 とはいえ、これも数年のうちに解消されていく可能性は高いです。

 そうなると、文章については『人間でなければ書けない』ものを書いていけるかが、人間の作家の生き残るための道になります。

 あるいは、小説の場合でしたら、プロットだけAIに渡すと小説が生成され、それを成型して自分の作品を発表する、なんて時代になる可能性もあります。この辺りはまた後程。


 実際誰もが一度は考えたことがないでしょうか。

 アイデアは頭の中にある。

 ただ、ちゃんと文章に起こすのに時間がかかりすぎる、って。

 それをAIは実際にやってくれてしまうようになる可能性があります。

 さすがにまだしばらくは無理でしょうが……それでも、それが出来るようになるのは、そう遠い未来ではないという気がします。


【絵・イラストにおけるAIの導入】

 こちらは逆にかなり進んでいます。

 実際、一年くらい前は『指が六本ある』『後ろにあるはずのフレームが前にある』など整合性の取れないイラストを出力するケースもありましたが、そのあたりもだいぶ改善されてきました。


 また、AIに完全にイラストを出させるのはなくても、例えばある場所の背景画像を取り込み、これを冬の景色に加工させるなどは、もちろん人間の手でもできますが、AIでもおそらく自然に行うことができるでしょう。

 そこまでいかなくても、例えば全体の色調を少し暗くする、という簡単な処理でも、人間が画像加工ソフトを使う場合は、ある程度それを使う知識や技術が必要です。

 ですが、AIの場合は画像を読み込ませてそう指示するだけで実行できるでしょう。これは少なくともビジネス的に見れば、コスト削減という面でいえば圧倒的なメリットがあるのは否定できません。

 これにより仕事が失われるという意見は当然あるでしょうが、それは三十年前、デジタルが登場した時にも手描きにこだわる人からも出た話です。


 AIだけで生成された画像についてはいったん除外します。AIだけで生成したイラストについては、現状でもまだ不完全な部分や、学習データの著作権の問題(現在も議論中)などもありますが、本項はあくまで人が描く場合の話であり、AIの位置づけはあくまで補助的なツールです。

 そしてAIをツールとして使うことで大幅に生産効率を上げることは、今後絵を描く仕事をする人にとっては、必須のスキルになっていくと思います。それは、かつてデジタル化した時に、画像加工ソフトの使い方を身に着けていったのと同じではないでしょうか。

 むしろ使いこなすことで、それでもAIではできない部分というのはあると思いますので、それによって差別化されていくべきだと思います。


【AI時代の創作活動】

 最終的な姿はまだ明確ではありませんが、文章にせよ絵にせよ、今後AIとうまく付き合っていく必要が出てくると思います。

 現状AIのみで生成された創作物には著作権はないというのが、日本含め世界中で共通した認識です。

 今後『どの程度AIを使ってどの程度人の手が入っていれば著作物となるのか』といった議論はされていくと思います。


 AIを毛嫌いする人が多いのは重々承知していますが、それでもあれが有用なツールであることは否定できないでしょう。画像加工ソフトで何工程もかけてやる作業を、曖昧な命令一つで実行してくれるというのは、ツールとして見た場合は対話型インタフェースを持った画像加工ソフトと見ることもできるかと思います。


 手描きしかしないと決めて、一点モノの絵だけで勝負できるような画家でない限りは、AIを忌避していてもいいことはありません。

 確かに現在のAIではまだ能力的に不足という面もありますが、AIの進歩は文字通り日進月歩。

 遠からず、無視できない力になる前に、今から使い方を模索すべきではあると思います。


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