おまけ:ラクの天界ふわふわナイトメア
おまけ1 零れ落ちるキミはわたしの星
ユキがアキの家に居候してから、しばらく経った。
元々いた四人の生活はさほど変わらなかったが、ユキにとっては毎日が賑やかで眩しいものとなっていた。天界にいた頃とは違い、特に監視任務などもない。コーヒーを淹れたりパソコンで調べ物をしたりといった趣味に没頭するようになり、甘い匂いが漂いがちなアキの家にまた違った雰囲気を加えていた。
天界にいた頃との違いはもう一つ。魔導具ラプラスダイバーの運用である。
元々は天界での任務に合わせ、未来を演算することでシミュレーションを行う使い方が主となっていた。しかし天界追放とともに権限も剥奪され、未来を演算するようなリソースを大きく消費する使い方は難しい。現在は天気予報のような軽い予知だったり、数秒後を見るような限定的な使い方となっている。
だがしかし。ユキはこつこつとリソースを貯めていた。フユを失ったことで生まれた「わからないものを全て知りたい」という強迫観念はなくなったが、知識欲自体は残ったためである。
そして、また新たなシミュレーションが始まる。
ある日の夕食時。
「天界が沈んだことはあったのか、って? にひ、あったらわたしたちアキと会えてないよ」
「まあ、そうだよね」
ユキがほぼ独力で天界を沈めかけたのなら、よく沈んだりするんだろうかというアキの質問。
「だが、十数年前に天使同士の闘いで沈みかけたという話は聞いたことがあるな」
「えっ、戦ったりするの?」
「滅多にないと思うがな……」
この時、ユキの貯めていたリソースの使い道が決まった。
もしユキ以外の天使が天界を墜とすとしたら、の調査である。
さて、まずは調査だ。私はラプラスダイバーを覗き、久しぶりにコンソールを開く。
ラプラスダイバーによるシミュレーション世界の作成は、起こり得る可能性の調査から始まる。木の枝のように分岐する並行世界を調べ、起こり得る未来を調べ、観測したい未来を決めるのだ。
まずフユが天界を沈める可能性についてだが……ほとんど発生しない。そもそもフユは自分から人間界に行ってしまうし、天界への興味が薄い。アキを天界でどうにかされるようなことにならない限り、天界を沈めるようなことにならないのだ。
次に、チカだが……こちらも見つからなかった。チカは思い悩むタイプでは無いので、天界で感情を重くすることもないし、気になるものがあればすぐ人間界に行ってしまう。
「最後に、ラクだが……」
ラクが天界を沈める可能性を調べた私は驚いた。……思ったより数倍、可能性が多かったのだ。
「ラク、ちょっといいか?」
「ユキちゃん、どうしたのぉ~?」
暇してそうなラクに話しかける。
「……今、私以外の天使が天界を沈めることはあるのかシミュレーションするところでな、ラクが天界を沈める可能性の世界を見てみたいのだが……いいか?」
これまでのシミュレーションで学んだ。こういうのは本人に聞いておいたほうが良い。
「うーん……」
ラクはしばらく悩んでいたが、やがて決心したように口を開く。
「いいよぉ、でもわたしにも見せてねぇ~?」
「まあ、いいだろう」
介入できるほどのリソースはないので、あくまで映像として見るだけとなる。展開によっては本人のトラウマになる可能性もあるが、その時には私がシミュレーションを止めるとしよう。
前もって「プライバシーの問題」と理由をつけ、部屋には私とラク以外入ってこれないようにしておいた。シミュレーションといっても、前もってどのような筋道を辿るのかは確認済みである。そもそもシミュレーションの途中からでも未来は無限に分岐するので、どのように展開するのかあらかじめ決めておかなければいけないのだ。
そうして。「もしラクがチカを追えず、天界でチカへの想いを募らせ続けていたら」という可能性世界のシミュレーションが始まった。
──天界にて。チカはいつものように、ラクと話していた。
「えっ、チカちゃん人間界に行くのぉ~?」
「うん! ちょっと気になることがあるんだ~」
「そうなんだ……気を付けてねぇ~」
そう言ってチカはすぐ人間界に行ってしまった。ここ数日、チカは人間界にいるフユの様子を見ていたし、興味が出たのかもしれない。
(チカちゃんがわたしを置いてっちゃったらどうしよう……)
不安はぐるぐる回りだす。しばらくして、ラクは一つの決意をした。
(次にチカちゃんが人間界に行くときには、わたしも着いていこう。だって、そのままじゃ、チカちゃんともう会えなくなっちゃうかもしれないから)
翌日。チカはもう一度人間界に行くらしい。
(よし、着いていかなきゃ……)
凄まじい速さで飛んでいってしまったチカ。本来なら、ラクは遅れつつもチカを追ってアキの家へと向かうのだが。
(……もし、わたしがチカちゃんやフユちゃんの邪魔をしちゃったらどうしよう。もし、知らない人と仲良くしてたらどうしよう……)
ラクの足は、そこで止まってしまった。
「なるほど、ここが分岐点なのか。本来はどうなっていたんだ?」
「……チカちゃんを必死に追いかけたねぇ。チカちゃんはすっごく速いけど、真っ直ぐ飛ぶから、行き先はわかりやすいねぇ」
そう答えるラクの表情は暗い。実際のラクは勇気を出してチカを追いかけたのだろうが、そのハードルはとても高かったのだろう。
「顔色が悪いぞ、休憩でもするか?」
「……お言葉に甘えておくねぇ~」
少し休憩を入れ、シミュレーションの続きをする。
チカは割とすぐ帰ってきた。
「甘い匂いがする……何かあったのぉ~?」
「フユちゃんとアキくんがクッキー焼いてたんだ~! あっ、アキくんってのは、フユちゃんの彼氏さんで……」
楽しそうに話すチカに、ラクはできるだけ沈んだ顔を見せまいと耐えていた。
翌日、チカの三回目の人間界来訪。
……その日、チカは帰ってこなかった。
「チカちゃん、帰ってこないなぁ……」
その日の夜。ラクは独りごち、ベッドの上で転がる。
(もしこのまま、帰ってこなかったらどうしよう……)
チカの魔道具のように、人間界を覗くこともできない。……そうだ、魔導具を使えば良いんだ。
(「認識ふわふわヘアピン」、力を貸して……)
ラクが祈ると、ヘアピンが輝き出す。しばらくすると、ラクの感じる不安は薄らいでいった。
──不安がなくなったのではない。ラクが自分の抱える不安を認識しづらくなったのだ。
チカは翌日帰ってきた。
「ラクちゃん、ただいま~!」
チカはいくつかのお菓子を持って帰ってきた。
「チカちゃん、どこ行ってきたのぉ?」
「遊園地っていう、大きな遊ぶ機械がいっぱいある場所があるの~!」
「そうなんだねぇ~」
「ラクちゃんも行かない?」
「……みんなの邪魔しちゃ悪いし、大丈夫かなぁ~」
「そう? みんな気にしないと思うけど……」
この時。まだ感情に疎いチカは、ラクの抱える不安に気づかなかった。
その後も、チカの人間界へのお出かけは続いた。
アキの家やフユの家に泊まることも多く、ラクはそのたびに一人ぼっちな一日を過ごすこととなった。そのたびにラクはヘアピンで不安を感じなくしていった。
しばらくすると、ラクに異変が訪れる。
(なんか、頭が痛い……)
認識できない感情の重みが痛みとして警鐘を鳴らしていた。ラクはヘアピンで痛みを感じないことにした。
(なんか、普段みたいに浮かべない……?)
感情の質量がラクの羽根を押さえつけていた。ラクはヘアピンで重力をふわふわにし、普段通り浮かべるようにした。
(なんか、胸が痛い……)
よくわからないけど、感じないことにした。
そして。しばらくすると、チカは天界に帰ってこなくなった。
「……」
シミュレーションを見るラクは口数が少なくなっている。しかし、私からはコメントをしづらい。
「……こんなことになっちゃうん、だねぇ」
「ラク、大丈夫か?」
「うん、無かった世界のことだからねぇ。わたしは着いていったし……」
言葉とは裏腹に、表情が暗い。……冷蔵庫からアイスでも持ってくるか。
音が聞こえづらくなった、気がする。
視界がずっとぼやけてる、気がする。
食べるものの味がしない、気がする。
不意に転んでも痛くない、気がする。
羽根がふわふわしてない、気がする。
「チカちゃん……」
寝ても覚めても、チカちゃんのことばかり考えてて。
でも、それ以外のことなんて。何が大事なんだろう?
そんな中。
「天使ラク!」
「……?」
「天界警察だ! 感情質量取締法違反で捕縛す──」
「……頭に響くの。大きな声、出さないで」
知らない天使の体重をふわふわにする。知らない天使は体勢を崩し、戸惑う。
知らない天使の足元をふわふわにする。知らない天使は派手に吹き飛ぶ。
知らない天使の思考をふわふわにする。知らない天使は起き上がらない。
──うるさい声が止む。
「天使ラク……一人が、これを?」
報告を受けた天界裁判長、リコが呆然と呟く。
ラクの家を中心に、倒れる複数の天使たち。中心部を見るまでもなく、集積する感情の質量は凄まじいまでの重圧を放つ。
「このままほっといたら天界が沈んじゃうね……ごめんね、手荒に行くよ」
リコの魔導具、「Tiny Judge's Gavel」。構えたリコは高度を上げて、ラクの家へと急降下。
「簡略判決、被告を天界追放処分と……っ!?」
一気にラクの家ごとラクを叩き出そうとしたリコは、その寸前で身を翻した。ラクの「攻撃」に反応し、間一髪で防御を間に合わせる。慌てて距離を取り、ラクの方向を注視。
「……ちょっと、おかしいでしょこの出力! 『先祖返り』とかならともかく!」
リコがぼやきながらも魔導具を振るう。マジパンでできたような天使の人形が複数体現れ、倒れている天使を遠くへと運び出す中。リコは目を閉じ、空中に物体を生成していく。
最後の一人の天使が安全圏へ運ばれると共に、リコは目を開いた。
「判決──飴ちゃん百個の刑!」
──ラクの家に、巨大な砂糖の弾丸が殺到する。
轟音が止み、砂埃が収まるまで。リコは警戒を解かなかった。
仕留めきったとは思っていない。あの攻撃力がそのまま防御に使われるなら大したダメージを与えられていないだろうし、もしそうでなかったら……。
しかし。巨大な飴のいくつかが綿あめの如く変質しているのを視認すると共に、リコはその危惧が杞憂に終わったことを知る。
「まったく、もう! なんつー理不尽な……」
反撃に警戒していたはずの彼女だったが。
「戦闘……力……?」
瞬く間に辺り一面を覆い尽くした、攻撃ではない干渉の波にはなすすべもなかった。
「……あれ」
しばらく呆然としていたリコが我に返る。眼の前のクレーターにまみれた天界の地面を見て、リコは不思議そうに呟く。
「あれ……私、何してたんだっけ?」
少し前。
「めんどくさいなぁ、わたしはチカちゃんのことを考えなきゃいけないの……」
ラクはそう言い捨て、凄まじい一撃を叩き込まんとするリコを、リコが降らせる巨大な飴の隕石を「ふわふわに」する。ラクにはもはや、家が崩壊したことすらもさして関心を持てる事項ではなかった。
「……もう関わってこないでよ」
そう呟いてラクが放った不可視の波は、リコに、天界の天使に。ラクとその感情を見えなく、認識できなくする。
「探さなきゃ。見えるかなぁ、人間界……」
ラクはそのまま、廃墟となった家から姿を消した。
ラクの感情は膨れ上がり続け、質量を増し続ける。雲のようにも暗闇のようにも見えるそれは、もはや天界の天使には知覚できず、ただひたすら天界の地面を押し潰していた。
──誰にも気づかれないまま。天界が、沈む。
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