第6話

綾子が社会人になってから、幾年が過ぎたか。

会社の正面玄関前に立つ桜の木を見ながら、綾子は当時のことを思い返す。


会社した日、同期入社した人達と、玄関前の桜の木の下で記念写真を撮った。

それから、四回、玄関前の桜が咲く時期があった。

就職してから、社会人になってから、『大人』という種類の人間になってから、4年がたった。

冬が過ぎ、また再び桜が咲けば、ちょうど5年だ。

同期の幾人かは、他の会社に再就職したり、結婚して仕事辞めたりと、段々減っている。

「次はきっと私だよ」などと残った同期同士で軽口を言いながら、同期の減った寂しさを紛らわしている。

二十歳を過ぎ、大人になって5年近く経つが、たまに綾子考える。

「大人って何だろう」と。


仮に、大人になることが、年相応に老いることなら、自分はもう大人なんだろう。

仮に、大人になることが、どんな境遇にも挫けない強い心を持つことなら、私は大人じゃない。

仮に、大人になることが、子供の頃にできなかった事や夢を叶えることなら、夢が思い浮かばない私は、子供ですらないのかもしれない。



綾子が高田と別れてから、一ヶ月が過ぎた。

別れた直後は、情けなさとか、やるせ無さとかで頭がいっぱいだったが、一ヶ月も過ぎれば、気にならなくなってきた、…と思う。

仕事の休憩中、社員食堂で一人お弁当に箸をつける綾子。

ふと、携帯を手に取り、高田と撮った写真を見る。

何度も消そうと思ったが、なかなか消去ボタンに指が伸びない。

まだ未練があるのかもしれないなぁ、と自嘲する綾子。


そこに、数人の男性社員が社員食堂に入ってきた。

会議が終わったばかりのようで、食堂の机を数人で囲み、興奮した口調で会議の愚痴を言い合っている。

男達の会話に興味はなかったが、遠慮などとは無縁の男性集団の大声は、嫌でも綾子の耳に入ってくる。

「まったく。寺月の奴。なにかと言えば顧客満足顧客第一って。わかってるんだよ、そんな事は。若造に言われるまでもないんだよ。」

「そうですよね。やりたくてもできないから、苦労してる先輩の気持ちがまったくわかってないですよね。」

「だいたい、何事にもコストとか人員とか、考えなきゃいけない面倒臭い事がいっぱいあるんだよ。」

先輩にあたる男性社員が興奮して話をしている。

…休憩室では静かにして欲しいものだ。

その先輩の言葉を受けて、取り巻きのような社員が同意の返事を返していた。

階級がある組織では、よくある光景なのだろう。

…話題になっているのは、寺月徹(てらつきとおる)という男性社員のことである。

寺月徹は、会社の中では若手~中堅の間ぐらいに属する社員だ。

個人的な付き合いは無いが、真面目で物静かな人だった。

だが、仕事には熱心で、綾子の入社時や部署異動の際にはすごく丁寧に仕事を教えてくれたりと、後輩思いの人だった。


今、食堂では、その寺月徹への不満が口にされているのだ。

あまり、気持ちのいい話ではない。

綾子は、ほとんど空になっていた弁当箱を片付け、席を立つ支度をする。

と、その時。

「でも寺月さん…。」

寺月の名前を口にしたのは、集団の中では最も若い男性社員だった。

「寺月さんが会議の中で喋ると、身が引き締まるんですよね。軌道修正をしてくれるっていうか、忘れていたことを思い出すっていうか…。」

「わ、わかってるよ。だから俺たちは、そんな事は理解した上でだな…。」

会話から察するに、寺月のほうが一枚上手なのかもしれない。

そんな事を考えながら、綾子は席を立つ。



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