十
「思ったことがあるんだけどさ。」
休み時間、武石が神妙な面持ちで僕の席に来た。そして、何の前触れもなくポツリと呟くように言う。
「漢数字ってさ、なんかカッコいいよな。」
毒にも薬にもならない、男二人中身のない話が始まった。
「藪から棒にどうしたのさ。」
「いやな、さっきの授業中にぼーっと教科書を眺めてる時に、ふと天啓が降りたんだよ。」
武石はまだ神妙な面持ちを続けている。話題が話題なので、流石に無理があるのだが。
漢数字の話題くらいで天啓が降りないで欲しい。ちなみに、前の授業は数学である。
「数学の教科書を見て何を閃くんだよ。」
「いやさ、数字ってなんか可愛くないか?」
「はぁ。」
わけが分からず首を傾げる僕をよそに、武石は話を続ける。
「数字って可愛いんだよ。なんかこう、丸くて小さくて。」
「小動物的な?」
「そうそう、小動物的な可愛さ。」
ますます意味不明である。だいいち十数年生きてきて、数字に庇護欲を掻き立てられたことはない。
話を理解できないままだが、取り敢えず聞いてみる。
「それがどうして、漢数字に繋がるのかが分からないよ。普通?に数字可愛いでいいじゃん。」
「いやそれは入り口だから。一歩踏み出す段階なんだよ。」
どうやら僕は、入り口で躓いてしまったらしい。一歩も踏み出すことができないらしい。
もう理解することを諦めた方が良いのかもしれない。
「それでな、数字が可愛いのなら漢数字はどうなんだと、俺はそう考えたんだ。天才は目の付け所が人と違うらしいが、俺も例外ではないらしい。」
「そうだね。目の付け所がおかしいね。」
「授業の問題もそこそこに、俺はノートに漢数字を何度も書いてみた。」
「授業は真面目に受けようぜ、親友。」
僕のツッコミも聞かず、武石は親指を眉間に当てる。
知的なポーズをとってみても、さっきから話している内容が彼に知性を感じさせない。
「一から十まで、様々な大きさで繰り返し書いた。そうして数学のノートを丸々一ページ、漢数字で埋め尽くした時にハッとした。」
テスト前にノートの提出があるのだが大丈夫なのだろうか。
「数字は丸みを帯びた愛らしさがあるが、漢数字は逞しさがある。俺はその逞しさを、カッコいいと感じたんだ。」
漢字に逞しさのようなものを感じる気持ちは分からなくもないが、いややはり分からない。それに、なぜ数学の時間に閃くのか。
「俺の芸術的感性がな、数字に可愛さを、漢数字に逞しさを見出したんだ。中々に凄い発見だとは思わんかね。」
いよいよ変な口調になって来たので、少し気になったことを聞いてみる。
「漢数字も丸みを帯びてない?七とか九とか、これは可愛くないの?」
「いや、その理屈はもう乗り越えた。」
武石は手のひら突き出し、そう言う。一度は立ち止まったんだと、そう突っ込むのは野暮だろうか。
休み時間ももう残りわずか。武石はここぞとばかり畳み掛ける。その情熱はいったい何処から来るのか。
「よぉく聞いてくれ、確かに漢数字も丸みを帯びているものがある。それらを可愛いと感じてしまうのも、無理もないだろう。その気持ちはよく分かる。」
別に可愛いとは思っていないのだが。
「だがしかし、漢数字には他にはないものがあるんだ。それが何かわかるか?」
「いや、さっぱりだよ。」
ほんとに、もう本当にさっぱりである。
「それは、とめ・はね・はらいだ。漢数字はこれらがあることにより、カッコいいの土俵に立つことができるのだ。」
どうやら数字ではなく習字の話をしていたようだ。
これぞ漢習字。なんて考えてしまう僕の思考も、おかしくなっているのかも知れない。
「それじゃあ、俺は行くぜ。話したいことも話したし。」
人の思考を乱すだけ乱して、武石は満足したように席に戻ってしまう。やがて授業が始まったのだが、その内容は全く頭に入らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます